東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京外大生にインタビュー!第6弾【中国語科編】〈後編〉

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中国語科Tさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【留学編】

―留学はどちらへ行かれましたか?また、中国語圏に旅行をしたことはありますか。

三年次の秋から約半年間、北京の清華大学へ留学しました。派遣留学ではなく、休学留学で、自分で奨学金を取って行きました。1月に、再び中国に戻るつもりで日本に一時帰国したのですが、コロナウイルスの影響でそのまま留学終了となってしまいました。

 

清華大学のキャンパスは規模がとても大きく、キャンパス内に3、4階建ての食堂が7〜8個あったり、銀行の支店があったり、寮が留学生用だけで23棟あったり、小学校や中学校が併設されていたりと、その大きさには愕然としました。

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また、留学中に、ハルビンという街へ旅行に行きました。ハルビンは、中国の北端に位置する黒竜江省の省会(日本でいう県庁所在地のようなところ)です。

そのほか、二年生の時に台湾へ旅行したこともあります。

 

―外大と提携を結んでいる派遣先の大学ではなく、あえて清華大学を選んだのはなぜでしょうか?

まず、清華大学は経済学の分野において有名なので、経済を学びたい自分にとって魅力的だったということが大きな要因としてあります。加えて、この大学が理系分野に強いということも選んだ理由の一つです。実際に、留学先では経済学の授業やコンピュータ関連の授業を取りました。

自分の取った奨学金が語学留学を許さないタイプのものだったこともあり、基本的に学部の授業を取っていました。語学の授業もいくつかは取りましたが。

 

―学部の授業を中心に取っていたのですね!すごいです…!語学留学ではないのですね。留学してよかったと思う点は何ですか?

やはり、外大では学べないことが学べた点です。特にコンピュータ系の授業は外大では殆どないので。

あとは、現地に実際に行かないと分からないことを知ることができたという点でしょうか。やっぱり、本で読んだり人から話を聞いたりするのと、実際に自分の目で見て確かめるのとでは違いますね。例えば、留学前は中国の建物の耐久性に若干の不安を抱いていましたが、実際に行ってみて、「あ、意外と丈夫なんだ」と思ったりしました(笑)

また、よかったかどうかはわかりませんが、キャッシュレスが進んだ社会で生活したことで、「日本もいずれこうなるのかな」というイメージを持つことができました。

 

―確かに、中国ではキャッシュレスが進んでいますよね!実際に中国で暮らしてみてどうでしたか?本当に現金は全然使わないのでしょうか。

本当に、現金を使う機会は全くと言っていいほどなかったです。携帯さえあれば何でもできました。とはいえ、それは裏返せば携帯がないと何もできないということでもあります。充電がなくなると困るので、モバイルバッテリーを持ち歩いている人が多かったです。余談ですが、ハルビンへ旅行に行った時、寒さでバッテリーがやられるのか、すぐに電源が落ちてしまい困りました。

 

―寒さでバッテリーがやられるのは寒冷地あるあるですね(笑)

実際、現地の人はどうしているんでしょうね。寒冷地仕様の携帯なんかがあるのでしょうか…。

また、せっかくなので、ここでハルビンについての話もお聞きしたいと思います!

ハルビンはかなり北京から離れていますが、ハルビンへ旅行したのはなぜですか

一度、遠い所へ旅行してみたかったというのが大きいです。とはいえ、北京から遠く離れた町はたくさんあるわけですが、その中でもハルビンを選んだのは、大学で仲良くなった友達が黒竜江省の出身で、彼からよく話を聞く機会があり、興味を持っていたからです。

 

―そうなんですね!ハルビンに実際に行ってみてどうでしたか?

行ったのが1月だったこともあり、とにかく寒かったです。夜はマイナス30度にもなりました。

町並みで特徴的だったのが、ロシア風の聖堂や建物があちこちにあったことです。

 

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聖ソフィア聖堂(めっちゃロシア~~!!)

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阿列克謝耶夫教堂(聖アレクセーエフ教会)

また、雪まつり(氷雪大世界)をやっていて、それもとても綺麗でした。博物館なども訪れましたが、そこではシベリア鉄道に関する資料やかつて貼られていたであろうロシア語のポスターなどが展示されていました。

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氷像の写真。綺麗ですね!!

―へえ…!ロシアの面影が残っているんですね。

(19世紀末~20世紀初頭の清末期に列強諸国が次々に中国へ進出するなかで、ロシアは万里の長城以北を勢力圏としていました。清はロシアに対し、1896年の露清条約で東清鉄道の敷設権を認めています。条約締結後、この地域においてロシアは鉄道の敷設や町の建設を行い、ハルビンがその中心都市となりました。また、ロシア革命の際にハルビンへ亡命したロシア人も多く存在しました。)

 

とはいえ、今は、ロシア人はほとんど住んでいないんですよね。

(のちほど調べたところ、「ロシア人は満州国崩壊後もしばらくハルビンに暮らしていたが、1954年本国への帰還を許され、ほとんどがソ連に戻った」とのことです。「地球の歩き方 2019~20 大連 瀋陽 ハルビン 中国東北地方の自然と文化」p233参照。)

そうですね。今となっては、残っているのは建物くらいなのかなと思います。

探せばあるのかもしれませんが、ロシア料理店も見かけませんでした。ハルビンへ行く電車で乗り合わせた人たちにハルビンのおすすめの料理を聞きましたが、東北料理をすすめられましたし…。(インタビュー後に執筆者が調べたところ、ロシア料理店は何軒か存在するようです。)

 

そういえば、日本ではまず見られない光景だと思いますが、中国の列車で向かい合わせの席に乗ると、乗り合わせた人たちと見ず知らず人同士の場合であっても一緒に会話をします。新幹線や飛行機のような目的地への到着が速い交通機関だとまた異なるのかもしれませんが、なにせ列車の場合北京からハルビンまでは片道15時間かかるので・・・。

 

―面白いですね!15時間ずっと喋っていたのですか?どのような話をしましたか。

基本ずっと喋っていたと思います。互いのことについてあれこれ話したり聞いたりするのが普通だと思いますが、自分の場合、日本人ということで珍しがられ、色んなことをたくさん聞かれました。自分は彼らにハルビンのおすすめの観光スポットなどを聞きました。

また、かなり厚着をしていったつもりだったのですが、電車の中で「ハルビンの寒さをなめてる」とさんざんダメだしされました(笑)実際彼らの言う通り、とても寒かったです…。

 

―マイナス30度は激寒です…。

 

―留学全体を通して、関わった現地の人々の印象を教えてください。

現地の人たちは基本優しかったです。困ったことやわからないことがあったらまずは周りの人に助けを求めるという感じでした。僕も沢山助けてもらいましたし、逆に尋ねられることもありました。

ただ、お店の人は結構無愛想なことが多く、要は自然体なだけなのですが、日本の雰囲気に慣れているとちょっとびっくりするかもしれません。また、中国の方と話している時に相手が聞き取れないと、あぁ?」と結構大きめな声で聞かれます。日本の文化で考えると喧嘩腰に聞こえてしまいますが、単に「なんて言ったの?」と聞いているだけなので、あらかじめ知っておくと怖がらずに済むかもしれません。

 

―お店の人が無愛想なのは、ロシアも似ています(笑)

治安に関してはどうでしたか?

治安は僕が訪れた北京、ハルビンに関してはとても良くて、夜出歩いていても怖いと感じることはありませんでした。多少は警戒したほうがいいですが、荷物や財布が取られる心配は特になさそうでした。

 

【中国について知ろう編】

―中国地域を勉強する最初の一冊となるようなおすすめの本を教えてください。

地域基礎(一年次に行われる必修の授業。専攻地域に関する基礎知識を学ぶ)で使ったテキストですが、「はじめて出会う中国」(有斐閣アルマ)は分かりやすくていいなと感じました。

はじめて出会う中国 (有斐閣アルマ)

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  • 発売日: 2013/05/30
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―中国地域の音楽や絵画、文学、映画、アニメで有名なものはありますか?

あまり深くは知りませんが、Jay Chou周杰倫という人の音楽は友達がハマっていました。

文学で言うと、劉慈欣の三体」というSF小説が大人気になったそうです。日本語版も出ているのですが、かなり分厚いので手を出すかまだ躊躇しています。

三体

三体

 

(↑確かに長いです。Ⅰ巻、Ⅱ巻(上)、Ⅱ巻(下)の全3冊のようです。)

 

―著名人といえばどのような方がいますか?

アリババの馬雲やテンセントの馬化騰のような大企業の社長は有名ですね。

网红(ワンホン)と呼ばれる中国のネットインフルエンサーも有名だと思います。李佳琦という人は聞いたことがあります。

 

―近年の中国の政治・経済の状況をTさんはどう見ていますか。

経済のことで言うと、数年前から中国は「新常態」と呼ばれる安定成長の時期に入っており、それ以前のG D P2桁成長ではなく5〜6%程度での安定的な成長期に入っています。

 

特に最近の話ですと、コロナの発生地と考えられている場所であり、またそこから比較的早く回復した中国ですが、工場に関していえばまだそこまで復旧していないらしいです。

中国の政策はややもすれば強引になってしまうところがあり、その一例として都市や幹線道路の封鎖がありましたが、その影響で故郷から工場のある街へ行くことができなくなってしまった人が多く出たみたいです。コロナが流行った2月ごろはちょうど中国の旧正月の時期と重なっていて、多くの人が出稼ぎから故郷に戻ったタイミングだったためこのようなことが起こったようです。

 

ざっくりとですが、現在、中国当局は「民衆の不満に対するコントロール」を強く意識してやっているように思います。例えばコロナに関しては、当初は中国政府に対して国民の不満が高まりましたが、その後の対応によって、「武漢の政策はイマイチだったけれども、中国政府はうまくやった」という印象を与えたと個人的には感じました。

資本主義経済を取り入れ、もはや当初の共産主義社会主義的な思想の土台が失われてしまったため、国民を共産党につなぎとめることに必死なようです。とはいえ、留学中に現地の人々と接した限りでは、「なんだかんだ安定して経済成長を遂げているし、まあ、このままでいいか」という風に現在の状況を捉えている人が多いと感じました。

 

ソ連の場合は社会主義が立ち行かなくなって結局崩壊してしまったので、経済のあり方は変わったとはいえまだ続いている中国がすごいなあと思っています(笑)

でも、そのお話を聞く限り、しばらく中国の体制は変わらなさそうですね。

そうですね。周りを見る限り、当局に反感を持っているような人はいませんでした。逆に、熱狂的に共産党を支持しているという印象も受けませんでしたが。

 

―そうなんですね。実際の現地の様子をお聞きすることが出来てとても興味深いです。

 

本日はインタビューにお付き合いいただき本当にありがとうございました!中国語科についての話、外大での授業の話、留学の話、どれも聞いていてとても楽しかったです!

 

文責:R

(インタビュー実施日:2020年9月21日)

 

東京外大生にインタビュー!第6弾【中国語科編】〈前編〉

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中国語科Tさんへのインタビュー

 

中国語科について 60名ほどの学生が在籍する、外大の中では比較的大規模な語科。東京外大の中で最も長い歴史を持つ語科の一つ。(明治6年、英・独・仏・露・中の5語科を持って東京外国語学校が発足した。)通称チャイ科。

 

Tさんについて 2017年4月に東京外国語大学国際社会学部中国語科に入学。3年次秋から約半年間中国へ留学。新型コロナウイルスの影響で当初より予定を早めて帰国。現在4回生4年生で、再来年(2022年)3月に卒業予定。卓球部に所属しており、留学先の中国でも卓球のクラブで活動していたそう。

 

外大生活編(外大を選んだ理由・中国語科について)】

―外大に入った理由と、なぜその語科にしたか、学部はどうやって決めたかを教えてください。

大学に入る動機として中国語を学びたいとずっと思っていたので、語科は自然と決まりました。中国語を学びたいと思った理由は、小さい頃から漢字が好きだったからです。また、親が中国の歴史が好きで、その影響もあって自然と中国に対して親しみを持っていました。

学部については僕が入学した当時、後期日程は国際社会学部以外選ぶことができなかったため自動的に決まりました。(2021年度入試においても、後期日程では国際社会学部しか受験することができません。)

 

―外大に実際に入ってみてどうでしたか?いい意味でも悪い意味でも、思っていたことと違った、ということはありましたか?

正直高校時代は大学での勉強がどのようなものか全く想像がついていなかったのでギャップというものはあまり感じませんでした。強いていうなら、思っていたより要求される勉強時間が長いとは感じました。

また、国社(国際社会学部)でも外大だし言語学について学べるだろうと思っていたことについては見事に裏切られました。もともとは言語学を学んでみたかったので・・・。

 

言語学ですか。言語文化学部の導入科目などは取らなかったのですか?

(外大では他学部の授業も取ることができます。上限はありますが、単位認定もされます。)

そうですね。結局取りませんでした。転学部をしようかと真剣に考えたこともあったのですが、転学部という制度を知った時期が遅かったため、国社のまま進むことにしました。

あまり社会学に興味を持たないまま国際社会学部に入ったこともあり、学びたい専門分野がなかなか思い浮かばずゼミ選びで苦労しました。

 

―そうだったのですね。ゼミについては、後ほどまた詳しくお聞きしたいと思います!まず、中国語科や中国語の勉強について伺います。

最初に、中国語科の雰囲気を教えてください。

比較的真面目な人が多い印象です。良くも悪くもはしゃぎすぎない感じで、そんな雰囲気が僕は個人的に気に入っています。また、1学年60人以上いる大語科なので、みんなでまとまって動くというよりは小さなグループがあちこちにできているように思います。

 

―中国語科に入って良かったことを教えてください。

自分が大学に入った一番の動機である、「中国語を学ぶ」ということをストレートに達成できたことと、自分にとって心地よい雰囲気の中勉強をすることができたことだと思います。あまり騒がれると集中できないので・・・。

 

―大切なことですね!逆に、入って後悔したことや辛かったことはありますか?

語科というより大学そのものに対する後悔ですが、どうしても語学ばかりに傾倒してしまい、他の学問を深く学ぶことができなくなってしまうことが少し残念でした。もちろん意識次第で自学自習を進めることはできるのですが。

他大学の学生たちが何かひとつ専門と呼べるような学問を身につけているのに対し、自分は勉強時間の多くを語学に充てていたため、「語学は果たして学問と呼べるのか」問題も含めて自分なりによく葛藤していました。そんな葛藤を抱えていたこともあり、留学先の大学で、語学だけでなく専門科目の勉強(経済学など)も学べたのはとても良かったと思っています。 

 

―語科の卒業生はどのような進路に進む方が多いですか。

正直あまり知らないのですが、印象だけで話すなら中国語を生かす仕事に就いている人はそこまで多くない気がします。僕も、直接は中国語と関係しない職業に就くつもりです。仕事をやっていく上で中国語を使う必要が出た場合はもちろん喜んで使いますが、進んで翻訳・通訳になったり中国に進出している企業に勤めたりする予定は今の所ありません。大学院に進む人ももちろんいます。

 

【勉強編(語学・その他)】

―中国語科では、言語の勉強はどのように進みますか?

(例:ロシア語科の場合、一年次はネイティブを除きすべて文法、二年次はほぼすべて講読。)

1年次、2年次ともに春秋5コマずつの計20コマで、1年次は文法2コマ、読解1コマ、ネイティブ(日本語堪能)による会話2コマの構成、2年次は文法1コマ、読解1コマ、講読(扱っているテキストが読解と異なるが、やっていることは読解とさほど変わらない)1コマ、ネイティブ(日本語堪能)による会話1コマ、ネイティブ(日本語話せない)による会話1コマという構成です。

3年次以降は中国語の方言上海語、福建語、台湾語など)のクラスや、レベルの上がった会話クラス、難しめの文章を扱った読解クラスなどを自由に選ぶことができます。

 

―1年次から読解の授業があるんですね・・・!

そうです。文法はさっぱり分からない状態ですが、一応漢字を見ればなんとなく意味は分かったりします。もちろん、初学者向けのやさしい文章を読むのですが。

 

―そうなんですね。中国語の授業で一番面白かったものは何ですか?

個人的には2年次に受けるM先生の講読のクラスが一番面白かったです。文章の文法構成をきちんと捉え、それを訳に活かすということを学生にしっかりと身につけさせようとしていて、どんな訳を書けば直しのない訳になるのかなと考えながら予習するのが楽しかったのを覚えています。また、扱った文章が現代小説で、普通に読んでいても面白かったです。

  

―力がつきそうな授業ですね!

また、専攻地域と関係なく、Tさんが個人的に取っていて好きだった外大の授業も教えてください。

沖縄語の授業と、経営組織論の授業が面白かったです。

前者(沖縄語)は世界教養科目(主に1・2年次に取ることになる科目。各大学で一般に教養科目として開講されているものとさほど変わらないと思われる)で、通年の授業です。沖縄語の文法を基礎からやっていく授業です。春学期にある程度語彙や文法を蓄積し、秋学期では会話の練習をしながらさらに新しい文法を学んでいきます。毎回宿題と小テストがありますが、そこまで大変ではないです。日本語にかなり近い言語であるおかげでちょうどいいくらいの難しさに落ち着いてくれています。

ちなみに秋学期の最後の授業が終わったあと、先生と時間のある人たちとで一緒に武蔵境の沖縄料理屋に行って、ポーク卵おにぎりや豆腐よう、泡盛などの沖縄料理をいただきました。美味しかったです!

また、先生は今年の3月に沖縄語の教科書を出されました。生協にも並んでいるらしいです。 

初級沖縄語

初級沖縄語

  • 作者:悟, 花薗
  • 発売日: 2020/03/16
  • メディア: 単行本
 

 (↑こちらですね。Amazonの評価は★5つです!)

 

後者(経営組織論)は国際社会学部の概論(主に二年次に取る科目)で、こちらも通年の授業です。経営組織論という名前ではありますが、実際には心理学のような内容で、人の認知バイアスや行動の傾向について学ぶことができます。春学期は個人の行動の傾向、秋学期は集団における個人の行動の傾向を主に扱っていて、個人的にとても興味深い内容でした。

正直どちらの先生もキャラクターにややクセがあるかもしれませんが、それも含めて面白いなと感じました。

 

―どちらの授業も面白そうですね!沖縄語まで学ぶことができるのは、外大ならではという感じがします。

(外大では、27の専攻語のほかに、「世界のことば」という教養科目の授業で世界各地のさまざまな言語を学ぶことができます。ラテン語ギリシア語といった有名な言語がある一方、コリマ・ユカギール語のようなマニアックな言語もあります。)

 

【勉強編(ゼミについて)】

―所属しているゼミと、入った理由を教えてください。

経済学ゼミに所属しています。元から少し数学が好きで、経済学なら数字を扱えると思ったからです。

 

語科ゼミ(地域研究に特化したゼミ)でも経済を学ぶことはできると思いますが、そうではなく経済学一般についてのゼミを選んだのはなぜですか?

実際、国際関係コースの経済学ゼミと地域研究コースの中国経済を学ぶゼミとで少し迷いましたが、

個人的には、中国経済ゼミの方は、経済理論から中国経済を分析するというよりは中国の持つ独自の文化的観点から中国経済を捉えるという感じのゼミだという印象を持ちました。そのため、理論を中心に経済を学びたい自分とは少しずれているかなと思い、地域研究に特化しない方の経済学ゼミを選びました。

 

―なるほど!実際に、ゼミではどのようなことを学んでいるのですか?

現時点で3年生の春学期のゼミしか受けていませんが、その時は日本のバブル崩壊とその後の「失われた20年」の原因について学びました。秋学期には行動経済学について学ぶ予定です。

 

―ゼミでの勉強の面白さを教えてください。

経済学はお金の動きだけを見る学問だと思われがちですが、実際には「効用を最大化する」という大きな命題のもとに様々な分野に用いられる、ツールのような側面もあります。そのため、経済学で学んだ考え方(モデル)が日常のさまざまな事象を説明するのに活用できるところが面白いなと感じています。

 

―なんだか、心理学みたいですね!先ほど紹介してくださった、経営組織論の授業とも通ずるところがあるように思います。

そうですね。心理学の場合は科学なので、実験を通してもっと実証的に分析する印象があります。

 

―卒論はどのようなテーマで書く予定ですか?

現時点ではまだはっきりと決まっていませんが、なんとなく中国経済に関することか、行動経済学に関することを扱いたいかなとは思っています。

  

☆次回!中国語科後編!

―驚愕の超巨大キャンパス!中国での留学生活!

バッテリーがやられる!?極寒の大国、中国とロシアについて!

―最近の中国経済事情って?

季節を感じる現地の写真とともにお届けします!明日更新です!お見逃しなく!

 

文責:R

(インタビュー実施日:2020年9月21日)

 

↓後編はこちら 

tufs-russialove.hatenablog.com

 

東京外大生にインタビュー!第5弾【トルコ語科編】〈後編〉 

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トルコ語科Sさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

<トルコについて>

―話題は変わって、トルコの著名人と言えば、どんな人がいる?

ノーベル文学賞受賞者のオルハン・パムクとかかな。あと、初代大統領のケマル・アタテュルクとか。アタテュルクに関しては、今も英雄視されていてSNSで彼を礼賛する投稿もよく見かけるけど、実際には評価が分かれているらしい。

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初代大統領ケマル・アタテュルクの肖像

―トルコの文化で有名なものってあるかな?

BS日テレでも放送されてるけど、オスマン帝国外伝」というテレビドラマシリーズはトルコ国内外に人気があるみたい。ロングランで結構ボリュームがあって、なんか「濃かった」から私は途中で見るのを断念しちゃったけど、ハマってる友達もいたよ(笑)なんか、大げさというか、こってりというか(笑)音楽では、男性ポップ歌手のTarkan(タルカン)さんが人気だと思う!

 

タルカンさんの動画↓

www.youtube.com

 

Tarkanさん、イケメンだね!なんかトルコ人って美男美女が多い気がするよ!ウクライナもそんなイメージがあるけど、やはり文明の交差点だからこそ、ということかな。

そういえば、文明の交差点といえば、イスタンブルって猫が多いと言われているんだけど、すごい色んな種類の猫がいるんだよね。一説には、ヨーロッパ各地からイスタンブルを訪れる船に乗り込んでいた猫がイスタンブルで降りたから、らしいよ(笑)

 

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―今日はありがとう!興味深くお話聞かせてもらいました!

こちらこそ!

 

【ロシア×トルコ】

―受験生必見高校世界史で登場するロシア×トルコ―

 

ビザンツ帝国スラヴ人の関係

現在のイスタンブール(トルコの主要都市)は、もともと、紀元前7世紀半ばにギリシア人の植民市として建設された都市で、その時の名はビザンティオンといいました。前2世紀にローマ帝国支配下におかれますが、地理的に重要意味を持っていたこともあり、330年には時のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によってこの地に首都が移されました。帝の名を取り、コンスタンティノープルという都市へと名称が変わりました。

395年にローマ帝国が分裂し(ちなみに私は「さっくりごぶにぶんれつ」と覚えました、五分じゃなくて二分ですが…)、西ローマ帝国が滅亡(476)した後も、コンスタンティノープル東ローマ帝国、そしてビザンツ帝国の首都として重要な役割を果たすことになりました。(ビザンツという名称は、ビザンティオンがもとになっています!)

そして、1054年キリスト教の教会が東西に分裂し、ギリシア正教が成立しました。現在もギリシア正教の総本山はコンスタンティノープルにあります!ビザンツ皇帝はギリシア正教会の宗主権を握っていました。

そして!ここからがロシアと関連するところですが、ビザンツ皇帝はスラヴ人たちにギリシア正教を布教するため、彼らの住む地域に宣教師たちを派遣しました!キリル文字が考案されたのも、布教のためです。現在でもロシアで広く信仰されているロシア正教会は、元を辿るとここに行きつくのですね!

 

キリル文字の歴史については、こちらのリュボーフィの記事もチェック!↓)

世界史選択必見!キリル文字でたどるロシア史 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

キエフ公国のウラディミル1世がビザンツ皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗&国教化したり、モスクワ大公国のイヴァン3世がビザンツ皇帝の姪と結婚してビザンツの継承者として「ツァー」を自称したりと、ビザンツ帝国とロシアの間にはかなり深い関係があります。

 

②  近代史におけるロシア×トルコ 東方問題など

19世紀頃のオスマン帝国をめぐる、不安定な国際情勢を指して「東方問題」と呼ぶことがありますが、ロシアもこの問題に強く絡んでいました。帝政時代にロシアが南下政策不凍港や地中海への出口を求める政策)を繰り広げ、その際にオスマン帝国とも衝突しました。特に知られているのが19世紀のクリミア戦争(1853)と露土戦争(1877~78)ですが、さらに前のピョートル大帝の時代からオスマン帝国との衝突は起こっていたようです。17世紀から19世紀の200年間で大小合わせて12度も戦争をしていたというのですから、驚きます…。

ロシアもオスマン帝国も、これらの時期には様々な国と戦争を繰り広げているため、もちろん二国間の戦い以外にもさまざまな要因がありますが、両国の衝突はそれぞれ自国の近代化改革を促してもいます。例えば、ロシアの場合、クリミア戦争の敗北がアレクサンドル二世による国内改革を促しました。いっぽう、ミドハト憲法をはじめとするタンジマート(恩恵改革)が進んでいたオスマン帝国では、露土戦争の際に「緊急事態だ!」ということでアブデュル=ハミト2世が専制を復活させてしまいましたが、戦争に敗北し、これが1908年の青年トルコ革命へと繋がっていきます。また、オスマン帝国露土戦争の敗北によってバルカン半島を失い、帝国の領土は現在のトルコ共和国のそれにかなり近づきました。バルカン半島の喪失により、帝国内のトルコ人の割合が高くなりました。このこともトルコ人の団結を強めた一因です。

 

③ 最近のロシア×トルコ

直近のニュースといえば、今年(2020年)の9月にアゼルバイジャン領のナゴルノ・カラバフ自治州を巡り、アゼルバイジャンアルメニアの間で大規模な戦闘が勃発したことが挙げられます。10月10日にロシアの仲介によってアゼルバイジャンアルメニア両国の停戦が発効しましたが、今後の情勢がどうなるかは不明です。この紛争について、一見ロシアとトルコは何も関係がないように思えますが、アルメニアはロシアの同盟国です。一方で、トルコはアゼルバイジャンを支持しています。

また、中東情勢においてもロシアとトルコが対立する場面は多く、必ずしも両国の関係は良好とはいえないようです。トルコがNATOの加盟国であることも影響しています。

 

(ロシアと中東の関係については、こちらのリュボーフィの記事もチェック!)

ロシアと中東情勢 〜シリア停戦合意の裏で〜 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

ただし、エネルギー産業では手を結んだりと、利害に応じて対応を変えるなどなかなか複雑な関係を結んでいるようです。

少なくとも現在のロシアとトルコに関して言えば、対立をしていると言ってもあくまでもそれは外交上の関係においてであり、国民レベルでは特に互いに特別な印象を抱いているわけではないように思います。

 

④ トルコに興味を持ったあなたへ!

「トルコを知るための53章」が入門書としておすすめです!ぜひどうぞ!

 

文責:トモヒト

 

東京外大生にインタビュー!第5弾【トルコ語科編】〈前編〉 

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トルコ語科Sさんへのインタビュー

 

Привет!(プリビェット;やあ)

こんにちは、トモヒトです!ロシア地域ロシア語専攻で、ロシア政治経済を勉強するゼミに所属しています!

今回、トルコ語科代表としてインタビューに協力してくれたSさんは、バイトの同期だった友達です!

僕自身トルコに関しては知らないことが多く、インタビューを通してとっても勉強させられました!

Sさんの旅行体験記もあります!是非最後までお読みください!!

 

Sさんについて 2018年4月に東京外国語大学言語文化学部トルコ語科に入学。一年次夏にトルコへのショートビジットを、二年次にトルコ~ギリシャ一人旅を経験する。今年9月から派遣留学を予定していたものの、新型コロナウイルスの影響より断念。現在3年生3回生で、再来年(2022年)3月に卒業予定。

 

トルコ語科について15人前後の語科生で構成される比較的小規模な語科。Sさんの学年は、男女比1:2ほどだという。通称トル科。定期的に仲間内で食事会なども開催しているようで、比較的アットホームな語科と言えよう。

 

<学内生活編>

―外大に入学したのには、どんな理由があったの?

姉が外大のフランス語科で勉強してたんだ。外語祭にも行ったのだけど、外大が割と気に入って。語科は、世界史の資料集に載っていたモスクの写真に惹かれて決めた。学部は、文化により興味があるからという単純な理由で言語文化学部にした!

 

―俺は入試直前に外大に進路を決めたから、そうやって高校時代から外大を目指して入学した人には本当に頭が下がる!モスクの写真がきっかけでトル科に決めたということだけど、実際に外大のトル科に入ってみてどうだった?日常はどんな感じ?

うん、先生はペースを見ながら授業をすすめてくれるし、トルコ語は日本語と近くて結構勉強し易いからよかった。言語が難しくて勉強が嫌になることがなかったのは、良かったなあと思う。一年生のときに語科のみんなでトルコへ短期留学したり、定期的に食事会をしたりしていて、楽しくやっているよ。

 

―ロシア語はすごく難しいから、専攻語が勉強し易いのは憧れるな~。授業はどんな感じで進む?

馴染みのない文字だし、ロシア語はむずかしそう・・・。(トルコ語では現在ラテン文字トルコ語アルファベット)を使用している)トル科は、一年次は文法、ネイティブの会話、秋学期から講読で、二年次以降は会話と講読が中心だよ。ネイティブは1人で、日本人の先生は3人くらい。

 

―そういえば、Sさんは記事翻訳の活動をしているんだよね?一体どんな内容なの?

実は、外大が運営しているサイトで、海外メディアの記事を翻訳するTUFS mediaというものがあるのだけど、そこの中東メディア担当として和訳記事を書いてる!3年生以降の学生に声がかかっていて、政治・経済・文化などに関わる現地メディアの記事を先生に割り振ってもらって、という感じ。トルコ関連では、トルコ学生会議という団体にも所属しているよ。

 

(参考 TUFS media:http://www.el.tufs.ac.jp/tufsmedia/

 

<ゼミ編>

―ゼミではどんな内容を勉強しているの?

ゼミは、語科ゼミ(自身の専攻言語と学習領域がつながっているゼミ。例えばSさんの場合なら、トルコ地域やトルコ語の研究を行うゼミ。ゼミとは、少人数の学生と教員が自らの発表や討論により切磋琢磨する教育形式を念頭においた授業のこと)ではなくて、イスラム圏の文化を研究するゼミに入ってる!このゼミに決めた理由は、トルコ人や彼らの文化を理解しようとするにはイスラムを学ぶ必要があると思ったから。トルコだけじゃなくて、中東とか他の地域もカバーしてるんだ。イスラムという宗教に基づいた食生活や衣服、断食月、結婚などの文化に関する色々な資料をプレゼンテーションしているよ。アラビア語科とか、トルコ語科以外の学生も一緒なんだけど、Zoom授業だからまだ全然話したことないんだよね・・・。ちなみに、トル科の語科ゼミは一つしかないみたいだよ。

 

イスラムという一つのワードで色々な地域がつながるのは面白いね!

そうだね。ゼミで気づいたことの一つは、現地の人々の考え方の背景にある宗教というフィルターを通して見てみると、文化がよく理解できるということ。例えば、トルコ人のおもてなし精神とか。少し話は変わるけど、考え方って言葉にも表れるよね。トルコ語にはinşallah (インシャッラー)という言葉があって、直訳で「神の御心のままに」という意味なんだけど、「だといいね」というような意味で使われてるよ。ゼミを通して、偏見やステレオタイプに気づいた上でそれらが実際のところどうなのかを知る体験ができていると思う。ハラールフードのビジネス的な側面に気づいたりもした。

 

―なるほど。ロシア語のСпасибо(スパシーバ;ありがとう)も、「神のご加護を」っていう原義だよ。卒論は何について書く予定なの?

ドイツの70年代トルコ系労働移民について書くのが面白そうだな、と思ってる!第二世代、第三世代と続いていて規模が大きいから、様々な側面から研究できるかなって

 

―知ってる!ガストアルバイターってやつだよね!ところで、留学が取り消しになって、今就活しているよね?希望進路はあるの?

正直、あんまり決まってない・・・(笑)専攻語に関わる仕事に就けたらいいな、とは思うけど、やっぱり選択肢が狭いから諦めざるを得ないのかなって・・・。

 

ガストアルバイター:ドイツやスイスで、一時的滞在者として扱われる移民・難民の外国人労働者。客員労働者。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC-229985より)

 

<旅行編>

―さて次は海外経験について聞いていきたいと思うんだけど・・・

旅行といえば、一か月くらい使って、二年生のときにトルコへ一人旅に行ったよ。トルコだけじゃなくて、フェリーとかを使ってギリシャの島とかも巡ったんだけどね。

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夜景にモスクが映える

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雑踏の中にイスタンブルの賑わいが感じられる

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アヤソフィア(ハギア・ソフィア)

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―そうなんだ!1か月って凄い!トルコとギリシャって地理的に近いから、文化が似ているところもあったでしょ?

そうだね、例えば食べ物では、トルコにはロクム(Lokum)(ターキッシュ・ディライト(Turkish Delight)とも呼ばれる)というお菓子があるんだけど、ギリシャでも似たようなものが食べられてた。あとは、トルコではナザールポンジュウ(Nazar boncuğu)と呼ばれてる魔除けのお守りが、ギリシャにもあったり。

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うず高く積まれたロクム(ターキッシュ・ディライト)

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青色が美しいナザールポンジュウ

―どんな旅程で巡ったの?

南から北上して、アンタルヤイズミルとかも巡って、地中海沿いに北上していった。途中で現地の人の家に泊めてもらったり、宿で働く代わりに泊めてもらったりして案外旅費はやりくりできたなあ。エフェソス公会議の遺跡とか、当時は聖地とされてたデロス島とかも行ったんだけど、聖なる雰囲気みたいなものを感じた!あと、お気に入りのモスクが出来たよ!Pertevniyal Valide Sultan Mosque(ヴァリデ・ジャーミー)っていうんだけど。

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ヴァリデ・ジャーミー

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ギリシャの快晴はまさに“蒼天”

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世界史の教科書でみたことありますね

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―モスクもギリシャもすごくきれい!人とのご縁で豊かな旅行になったみたいだね。

やっぱりトルコ人はおもてなし好きだなあと思うよ。アンタルヤで出会ったご夫婦には、イスタンブルで過ごすときにご自宅に泊めて頂いたんだよね。もちろん多少の警戒心はもつようにしているけど、この人たちなら信頼できるって思ったから。今でもSNSで連絡が続いてる!あとは、イズミルでホステルに泊まったときに相部屋だったアルジェリア人の女の子とは、一緒に観光地を回ったよ。モスクで彼女が礼拝する様子を間近で見せてもらったなあ~。治安は、時間と場所を気を付ければ問題ないと思う。

 

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アンタルヤの横丁

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うららかなアンタルヤの日差し

  

☆次回!トルコ語科後編!

―トルコの有名人・文化とは?

受験生必見!高校世界史で登場するトルコ×ロシア!

―そして今日のトルコとロシアについても!

可愛いお猫様の写真もあります!明日更新です!ぜひチェックしてください!

 


文責:トモヒト

 

↓後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

東京外大生にインタビュー!第4弾【中央アジア地域編】〈後編〉

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中央アジア地域ロシア語・ウズベク語専攻Kさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらからどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【留学についてのあれこれ(つづき)

―留学してみて気付いた現地の特徴はありますか?

ロシア語とカザフ語が入り混じっていることです。街の道路標識やメニューなどは、カザフ語とロシア語両方の言語表記があります。

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アルマトイでは基本ロシア語とカザフ語の2言語表記ですが、このボタンは英語も含めた3言語表記です。上からカザフ語、ロシア語、英語となっています。

また、映画館で上映される映画は大抵ロシア語音声・カザフ語字幕です。欧米映画のオリジナル英語音声ではほとんど観ることができません。

 

—映画館ではオリジナルの英語音声での上映はほとんどなく、ロシア語吹き替え&カザフ語字幕がほとんどだということは、カザフスタンでは日本などに比べて英語の影響力が小さいのでしょうか?

そうですね、街中で英語を見かけることもほとんどありませんでした。強いていうなら、外資系のビジネスマンや英語が母語の留学生とすれ違うことがたまにある程度でした。もし私たちが外国人だとわかっても、英語で話しかけてくるのはやんちゃなカフェの店員くらいでしたね(笑)。とはいえ、カザフスタンでも最近は英語教育に力を入れているらしく、私の通っていたカザフ国立大学の中の国際関係学部では、オールイングリッシュの授業が行われていました。

 

カザフスタンでそんな英語教育が行われているというのは少し意外でした。カザフスタンへはどの国からの留学生が多いのですか?

一番多いのは中国からの学生でした。中国本土からの留学生に加えて、新疆ウイグル自治区出身で、カザフ系のルーツをもった学生が数多く留学に来ていました。彼らの言語状況は様々で、中国語をベースに、カザフスタンでは国際関係学部で上述の通りすべて英語の授業を受けている人もいました。カザフ語をベースとして、ロシア語を勉強しているという人もいて様々でした。

その次に多いのがアフガニスタンからの留学生で、彼らの中には日本に興味を持っている学生が彼らは昨年9月に中村哲さん(パキスタンアフガニスタンでの医療活動に加え、インフラ整備等にも従事していた。)が銃撃事件により亡くなると、追悼のセレモニーを開いてくれました。それ以外にも、韓国、トルコ、ウズベキスタントルクメニスタンアメリカ、フランスなど、本当に様々な国からの留学生がいました。

 

―中村さんが亡くなったとき、カザフスタンではそんなことが行われていたのですね。悲しい事件ではありましたが、そのようなセレモニーを開いてもらえたというのは、日本人としては心の暖まる出来事ですね。

 

―現地におけるロシア語とカザフ語の話に戻りますが、アルマトイでは、現地の方々は何語を主に話されていたのでしょうか?

人々の会話は、人にもよりますが、ロシア語で話していると突然カザフ語になる、またはその逆が起こるといった場合や、接続詞だけロシア語であとはカザフ語、なんて場合がよくあります。

相手によって使う言語を分けている例もよくあります。カザフ語とロシア語が両方同じくらい使える人の場合、カザフ語優勢の人にはカザフ語で、ロシア語優勢の人にはロシア語で話しています。

私はカザフ人らしい顔に見受けられることが多く、基本的にタクシー運転手やスーパーのレジの人の第一声はカザフ語でした。同じ状況で友人の日本人は常にロシア語で話しかけられていましたが。

 

—Kさんご自身は、カザフスタン留学中はカザフ語とロシア語をどのような頻度で使っていましたか?

留学前の春学期に、週に1コマカザフ語の授業を取っていたのですが、カザフ語の勉強は本当にそれだけで、現地ではロシア語が通じるのでロシア語をメインで使って生活していました。カザフ国立大学でもカザフ語の授業は50分×週2コマのみで、カザフ語はそこまで伸びませんでしたね。ほぼロシア語で生活してました。でも、ちょっと道を聞かれた時などは「そっちだよ」「あっちだよ」程度であればカザフ語で会話ができました。

 

—なるほど。Kさんは国社なので、語学留学というよりもカザフスタンの内情を知るための留学だったのでしょうか?ウズベキスタンではなくカザフスタンを長期留学先として選んだのはなぜですか?

留学先にカザフスタンを選んだ理由は3つあります。1つ目にロシア語。ウズベキスタン中央アジア地域の学生の留学先としてメジャーですが、スタディツアーで訪れた時にはロシア語よりもウズベク語が中心に話されているというように感じました。私はロシア語をメインで学びたいと思っていたので、中央アジアの中でも広くロシア語が使われているカザフスタンを選びました。2つ目の理由として、カザフスタンは経済発展著しい新興国であり、一国の成長や変化の様子を自分の目で見ることは将来のキャリアにとっても貴重な経験になるかもしれないと思ったからです。3つ目の理由がボランティアです。語学勉強以外にできる活動の場を探していて、ちょうどアルマトイでボランティア団体が見つかったんです。以上の理由から留学先にカザフスタンを選びました。

 

—Kさんはカザフ人らしい顔で、何度もカザフ人と間違えられたということですが、その辺りのお話をもう少し詳しく伺いたいです。

そうですね、とにかく私はカザフらしい顔立ちらしくて…(笑)。元々カザフ人の中に日本人と顔立ちが非常に似ているタイプの人がいるためだと思います。アルマトイでは外見ではあまり外国人だと思われないのが印象的でした。

留学開始直後、レストランで当然のごとくカザフ語で話しかけられ、まごついていると「なんだカザフ人じゃないのか」と逆に驚かれることがよくありました。

日本人だとわかると、「カザフ人と日本人は遺伝学的には兄弟なんだよ!」と嬉しそうに話してくれる人が多いです。韓国人の友人と一緒にキルギスの首都ビシュケクに行ったときには、ホステルの主人に「君たちカザフから来たのか?キルギス人とカザフ人は兄弟なんだ!」と言われ、話しているうちに、結局カザフ、キルギス、韓国、日本、みんな兄弟だな!ということになりました(笑)。顔立ちも似ているし、言語の特徴が似ている(カザフ語、キルギス語、日本語、韓国語は語順が同じという意味で)のも面白いなと思いました。

 

また、メイクを現地の人に寄せると完全に間違えられます。髪型もロング(センター分け)が多く、腰くらいまである人も結構います。とにかく眉とアイメイクをがっつりという子ばかりで、メイクにあまり多様性はなかったです。ファッションも画一的で、革ジャンが好きだとか、黒スキニーが好きだという子が多かったですね。でも、みんな脚が長く、スタイルが本当にいいです。

 

―そうなんですね!もう少し詳しく現地の方々の様子について教えてくださいますか?

多民族・多国籍・多宗教の多様性溢れる場所だと思います。

カザフ人から聞いた話だと、カザフの遊牧文化には「遠方から来た人を丁重にもてなす」という文化があるそうです。現在は都市化しておりそのような遊牧生活を営んでいる人はほとんどいませんが、かつての遊牧生活の中で育まれた文化は考え方は現在も息づいているようで、実際、旅行や留学で来た人達に優しく接してくれる人が多いように感じました。

親戚や家族をとても大切にしている人が多く、家族とは頻繁に連絡を取っているようです。個人差はありますが、人間関係において相手のことを広く知ることで距離を縮めていくが多いかもしれません。何人家族で、彼らが今どこで働いているのか、などを授業でもずばずばと聞かれます。日本だと個人情報としてあまり聞かないようにすることも、オープンに自分から話す人もいますね。

挨拶はハグ・握手で、親しい人同士では道でばったり会っただけでも、結構しっかりとハグします。

他に現地で感じたこととしては、遊びの予定などが結構直前に決まるということでしょうか。明日会おう、今週イベントをやろうなど、基本的に短期的な考え方が主流かもしれません。

 

―治安はどうでしたか?

治安は良いです。夜間に出歩いても特に危険を感じることはありませんでした。

  

中央アジア料理はロシア、中国、インド、中東の食文化が融合したもので、だからおいしい、なんて言いますが、実際、留学してみて食生活の面ではどうでしたか?

うんうん、まさに料理に現れていると思いますね。私の留学していたカザフスタンには、トルコ料理もあれば、中国料理もあれば、新疆ウイグル自治区の料理も、ロシア料理も、もちろんカザフ料理もあって、本当に食べ物の種類には困らなかったです。私はトルコ料理ばかり食べてましたけどね(笑)。あと食べ物といえば、タクシーに乗った時に外国人だとわかるたびに「ベシュバルマク(馬肉を使ったカザフの麺料理)は食べたか?」と聞かれました。100回くらい(笑)。

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カザフスタンについて、政治・経済・文化などなど 

中央アジア地域やカザフスタンについて勉強する際の最初の一冊となるようなおすすめの本はありますか?

中央アジアを知るための60章」や「カザフスタンを知るための60章」がおすすめです。

  

―近年のカザフスタンの政治・経済の状況を、Kさんのご存じの範囲で構いませんので教えてください。

大統領権力が強い政治体制がとられているようです。経済的には、ロシア資本、そして近年では韓国・中国の資本が積極的な進出を進めていると言われています。

    

カザフスタンの音楽で有名なものはありますか?

音楽なら、ディマシュ・クダイベルゲン(DimashKudaibergen)という男性歌手が有名です。

(ディマシュ・クダイベルゲンについて知らない方はこちらのリュボーフィの記事をチェック!!)

カザフスタンの国民的歌手-ディマシュ・クダイベルゲン - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

そういえば、川又さん(聞き手)はディマシュがお好きなんですよね? 

 

—そうなんですよ!あるYouTuberの方の動画で出会うことができました。カザフ人に彼の話をするとどんな反応をするんでしょうか?

カザフスタンでディマシュの話をしたら喜ばれますよ。カザフスタン出身の国際的に活躍する歌手ということで、誇りを持って彼のことを語る人が多いです。彼と同郷の人は特に。

もともと彼はカザフスタン国外の中国で人気を集めたのですが、そのうちに「我らがカザフ人!」という感じでカザフスタンでも持ち上げられるようになったそうです。

個人的には彼が民族楽器ドンブラを迫力満点で弾く姿もかっこいいと思います!

(参考)https://youtu.be/Z7GZkShQK7s

 

実は私もアルマトイでドンブラ教室に通ってたんですよ。だからこそあんなに速く指を動かせるの、本当に尊敬しちゃいます。ドンブラを始めた理由としては、音楽の才能はないと思っていたのですが、何か新しいことにチャレンジしてみたかったのと、あと割と暇だったので(笑)。ドンブラといえば、大学の教科書販売所で日本人の友達と会話をしていたら「日本語ちょっとわかります」と話しかけてきたトルコ人の男の人がいて、実は彼はドンブラ奏者を仕事としている方だったんです。その人に「友人の出ている演奏会に行こう」と誘われて一緒に行ったことを思い出しました。カザフスタンではそんな突然の出会いがたくさんありましたね。

 

―そうなんですね!実は私もカザフスタンに留学したらドンブラを習いたいと思っていたんです。そしてそんな出会いもカザフスタンならではというか、日本ではあまりなさそうな体験ですね…!楽しそう。

 

―映画では何か有名なものはありますか?

Бизнес по-казахски(カザフ人流のビジネス)シリーズは、現地人も認める面白い映画です。You tubeでフルで観られます。

https://youtu.be/10Iyadqcqq0

 

―他に、現地で盛んな文化・芸術などがありましたら教えてください。

オペラやバレエなどを日本に比べ安価で観られるので、留学中何度も通いました。

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アバイ記念カザフ国立オペラ・バレエ劇場では、なんと500円でこんなオペラを鑑賞することができたそうです!

【ゼミ・留学後の現在、将来についてなど】

―所属しているゼミと、入った理由、勉強している内容を教えてください。  

中央アジア地域研究のゼミに所属しています。中央アジアの地域研究は他の大学ではほとんど学べないため、せっかく環境があるなら専門性を高めてみようと思い、また、中央アジア地域は他地域との関係も含めて研究の切り口がたくさんあり面白そうだと思って選びました。

内容はゼミ生個人によって異なり、それぞれが自身の興味のあるテーマについて勉強しています。

私の場合、留学前はカザフスタンの帰還民(オラルマン)について、留学中・後はカザフスタンの廃棄物の増加・リサイクル問題をテーマにしていて、政府政策やボランティアなどの市民活動について調べています。留学中にボランティア活動をしていたことがきっかけになりました。留学中の自分の体験を自分のフィールドワークを研究に生かせるのがおもしろいなと感じます。

 

—留学中のボランティアではどのような活動をされていたのですか?

休日に年代がバラバラ(小学生からおばさんまで)な有志の市民で集まって、マンションや集合団地の裏などに不法投棄されているゴミをプラスチックだとか燃えるゴミだとかに分別して、分別したものをしかるべき業者さんに送り届けるというボランティアをしていました。

もともとアルマトイではごみ収集のシステムがうまく働いていないんですよね。真冬には氷の下に埋まった瓶を掻き出すみたいなこともしていました。

 

—留学中の体験から興味を広げられるって素晴らしいですね!

卒論はどのようなテーマで書く予定ですか?

カザフスタンの廃棄物の増加・リサイクル問題がテーマで、政府政策とボランティアなど市民活動について書く予定です。

 

―将来就きたい仕事や、仕事ではなくてもこれをやってみたい!という夢はありますか?

ロシア語を使ったり、何らかの形で中央アジアと関係を持ちながら仕事ができればと思っています。

 

―現在就活中ですか?

そうです。今のところ私はいろいろな企業を見ている段階なのでまだ決定ではないですが、医療機器の輸出や医療技術の提供が、現在日本と、ロシア・中央アジアの間でホットらしいので、その辺りの企業に特に注目しています。医療レベルがやはり日本に比べると低いので。

 

—医療ですか…勉強になりました!

 

 

ロシア×カザフスタン

カザフスタンとロシアの関わりについて、ご存じのことを教えてください。

カザフスタン旧ソ連国であり、現在もロシアとの経済協力関係は続いています。

カザフスタンの国家語はカザフ語、公用語はカザフ語、ロシア語です。カザフ語を優位にしようとする動きもありますが、ロシア語が重要であることに変わりはないと思います。政治的な場、例えば大統領の年末の演説ではカザフ語―ロシア語の順で話していました。ビジネスの場ではロシア語・英語の使用機会が多いと聞きます。

 

ロシア制作の映画や音楽なども人々の間に自然にあるものです。年代が上の人を中心に、ロシア文学やロシア語そのもの、そしてソ連時代の記憶を大切にしている人が多いという印象を受けました。

 

―そうなんですね。カザフスタンに住むカザフ人の、ロシアやロシア人に対する印象をお伺いしたいです。

「ロシアが嫌い!」という人と、生活している限り出会うことはありませんでした。

現代的な生活の中でもカザフ文化を大切にしている人はいるようで、カザフの民族衣装を身につけている女性や、カザフ人の歴史を詳しく語ってくれるタクシー運転手さんには数多く出会いました。

言語の面では、ロシア語もカザフ語も同じくらい話せるけれども、カザフ語で話すほうが好きという人もいました。友人が体調を崩して救急車を呼んだとき、現地の医師が診察をカザフ語でやりたそうにしていたのにはロシア語をメインで勉強していた外国人としては少し困ってしまいましたが(笑)

とはいえ、ロシアを含めて、色々な民族の調和、協調、多様性を大切にするという意識が人々の中にあるように感じました。

 

―最後に何か一言あればお願いいたします!

いわゆる“マイナー”な地域ではありますが、知れば知るほど面白い地域だと思います。

文字通り“中央”に位置している地域なので、その周辺にある国・地域との関連を調べてみるのも面白いと思います。より多くの人に興味をもってもらえるとうれしいです。

 

 

―今回のインタビューは、カザフスタン留学もいいなと考えていた私にとって、とてもいい機会になりました!ますますカザフスタンという国が魅力的に感じられるようになりました。Kさん、お忙しい中時間を割いていただきありがとうございました!

 

Kさんは東京外国語大学オープンキャンパス動画の制作に関わっていらっしゃったそうです。

ロシア語科中央アジア地域についてさらに詳しく知りたい方はぜひこちらもご覧ください!

www.youtube.com

 

文責 : 川又

 

東京外大生にインタビュー!第4弾【中央アジア地域編】〈前編〉

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中央アジア地域ロシア語・ウズベク語専攻Kさんへのインタビュー

 

Kさんについて 2017年度に、国際社会学中央アジア地域ロシア語専攻として入学。2019年9月から、ロシア語とカザフ語(ウズベク語と同じテュルク諸語)を学ぶことができる、カザフスタンアルマトイにあるカザフ国立大学に留学。当初6月に留学を終える予定だったが、新型コロナウイルスの影響で3月に帰国。再来年2022年3月に外大を卒業予定。

 

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カザフスタンはかつてソ連に組み込まれていた国の1つで、北はロシアに面している。(首都はアスタナとあるが、昨年名称が変更されて現在は「ヌルスルタン」となっている。) (地図は外務省HPより)

 

中央アジア地域について 外大の中央アジア地域には「モンゴル語専攻」と「ロシア語及びウズベク語専攻」の2種類があります。Kさんの所属する後者のクラスでは、中央アジア地域に関する知識を深めるため、1年次に旧ソ連圏の共通言語であるロシア語を学び、さらに中央アジア地域で使用される言語のうち最も話者数の多いウズベクの学習を2年次から開始します。ロシア語の授業はネイティブの先生の少人数のクラスもロシア地域の学生に混じって受けるので「ロシア語科と何が違うんだろう」と思ってしまいますが、外語祭では例年1年次でロシア語科とは別で料理店を企画し、中央アジア地域の料理を提供しています。しかし、2年次で行う語劇には中央アジア地域専攻の学生もロシア語劇に一緒に参加します。半分ロシア語科に属しているような、イレギュラーな存在です。ロシア語科と違い、人数は12、3人と小規模です。

 

 

―外大に入った理由と、なぜウズベク語専攻を選んだのか、学部はどうやって決めたかを教えてください。

私が外大を志望したのは、高校の世界史の先生が外大の話をよくしていて英語以外の言語を専門にするのは面白そうだと思ったからです。外大の海外留学制度が充実していることも決め手になりました。

ずっと国社(国際社会学部)西アジア北アフリカ地域アラビア語志望だったのですが、センターリサーチの結果が危うかったので、その次に興味があった中央アジア地域に直前で変更しました。

言語文化学部よりも勉強の幅が広そうだと感じたため、国際社会学部を選びました。

 

当初国社の西アジア北アフリカ地域(アラビア語科)が第1志望だったということですが、イスラーム圏に興味があったのでしょうか?

イスラームもそうなのですが、それに限らず、文明の十字路というか、いろいろな文化の交流点になっている場所、例を挙げるとするとモロッコやトルコや中央アジアのような地域に高校の頃から興味を持っていました。そのような多様な文化、宗教があり、多様な民族が暮らす地域の方が多様なことを学べると思って。

 

―なるほど!中央アジア地域専攻には、実際に入ってみてどうでしたか?良い意味でも悪い意味でも、思っていたことと異なったということはありましたか?

勉強時間が多いことに驚きました。毎日初めて学ぶ言語の授業があるうえに、予習・復習が大変で…最初の頃は苦労しました。良い意味で驚きだったことは、短期留学やスタディツアー、長期留学など留学の種類がたくさんあったことです。

   

中央アジア専攻に入って良かったことは何ですか?

大語科と小語科の良いところを両方味わえるところだと思います。ロシア語科の先生の授業も受けられるのに加え、中央アジアの地基礎やウズベク語のアットホームな雰囲気も味わえるというのは、中央アジア専攻の魅力です。

また、同じ学費なのに専攻語が2つあるのはお得な気がします。最初はウズベク語なんてどこで使えるんだ・・・と思っていましたが、中央アジア地域に留学したとき、勉強しておいてよかったと思う瞬間が何度もありました。

   

―逆に、入って後悔したことや辛かったことはありますか?

特にはないですが、強いて言えば、他の大学の人に自分の専攻について説明するのが難しいということです。本当はウズベク語なのに「ウズベキスタンってウズベキスタン語?」とか、「スタン」がつく他の国と間違えて「留学先アフガニスタン?」と言われることがしばしばあります。

   

―言語の勉強はどのように進みますか?(例:ロシア語科の場合、一年次はネイティブを除きすべて文法、二年次はほぼすべて講読。)

中央アジア専攻の場合、1年次ではロシア語科と同じカリキュラムで学びます。そして、2年次にウズベク語の授業が始まります。文法2コマ、ネイティブ1コマです。3年次のウズベク語は、講読2コマネイティブ1コマとなります。

 

—2年次以降は、ロシア語は必須の授業ではなくなるのですか?

そうですね、必須ではなくなります。ただ、国社(国際社会学部)の場合、ロシア語を最低14単位(1年次の授業数だけで間に合う)、ウズベク語を最低12単位含む形で、卒業までに36単位分言語科目を履修する必要があります。私はロシア語圏への留学を考えていたこともあり、継続してロシア語の授業を取っていました。

言語単位の内訳は自由で、GLIP(英語専攻以外の人向けの英語の授業)でも教養外国語(いわゆる第二外国語でも、なんでもOKでした。私は教養外国語でまず朝鮮語、続いて中国語も取っていたので、1学期に3、4言語並行して学習していました。

 

—ただでさえ専攻言語が2つもあるのに更に教養外国語にも挑戦できるのはすごいです!

中央アジア地域の1年生はロシア語科といつも一緒に行動しているイメージがあるのですが、1年生の頃から中央アジア地域のメンバーだけで受ける授業はあったのですか?

中央アジア5ヶ国の歴史や文化について学ぶ、中央アジア地域基礎中央アジア研究入門)の授業は、ロシア語科ともモンゴル語科とも別で、中央アジア専攻の学生だけで受けていました。ウズベク語の授業は1年次ではまだありませんでしたが、語科のメンバーと仲良くなる機会は結構ありました。

 

中央アジア地域の学生の雰囲気を教えてください!

先輩後輩の仲がいいと感じます。学年を越えて、大体の顔と名前がわかるのも1学年13人程度の小語科(語科の人数が15名程度の小規模な語科のこと)ならではですね。

 

語科の卒業生はどのような進路に進む方が多いですか?

大学院に進む方もいますし、公的機関に就職される方も民間企業に就職される方もいます。様々だと思います。

 

中央アジア地域関連で面白い授業にはどのようなものがありますか?

いずれも国社地域社会研究コース選択科目ですが、中央アジア史概説、中央アジアにおける中露外交の歴史、ロシアにおけるイスラームの歴史 などがあります。ロシア、イスラームなど関連のある分野と合わせて勉強すると全体像が見え、理解が深まるように思います。

 

 

【留学についてのあれこれ】   

―留学や旅行の経験について教えてください。

キルギスビシュケクへ旅行をしたことがあります。また、ウズベキスタンスタディツアーへも行きました。

長期では、カザフスタンアルマトイに7か月間留学をしました。カザフスタンの首都はヌルスルタンですが、1998年まで同国の首都であったアルマトイが、経済、教育、文化などの中心地とされています。

 

―Kさんはウズベク語専攻ですが、長期で行ったのはウズベキスタンではなく、ロシア語とカザフ語の話されているカザフスタンだったのですね。

カザフスタン留学中に印象に残った場所を教えてください!

シンブラック。これぞ冬のアルマトイ、という感じの雪景色が楽しめるところです。

  

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シンブラック

また、チャリンキャニオンも印象に残っています。中央アジアエアーズロックと言われている場所です。写真としては一番映えるかもしれません(笑)。

 

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☆次回!中央アジア地域ロシア語・ウズベク語専攻後編!

―「なんだカザフ人じゃないのか」

―「カザフ人と日本人は遺伝学的には兄弟なんだよ!」

「俺はカザフ語で喋りたいんだ!」

Kさんの将来のお話や毎回恒例ロシアとの繋がりトークに加え、多民族・多国籍・多宗教の多様性溢れる場所、カザフスタンでの経験談たっぷりでお届けします!明日更新です!お楽しみに!

 

文責:川又

 

↓後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

東京外大生にインタビュー!第3弾【ポルトガル語科編】〈後編〉

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ポルトガル語科北川さんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【言語の学習】−言語学を専攻する北川さんのポルトガル語学習法

りお:じゃあ、外大生必須の「言語学習」について少し聞きたいと思います!北川先輩がポルトガル語を学ぶ上で意識していることはありますか?

北川:文法は外大の授業できっちり習うはずだし、外大生ならしっかり勉強すればきっとマスターできるから、俺は「単語」がめっちゃ大事だと思ってる。日常生活で使う単語って、大学の授業ではあんまり習わなかったりするじゃん?

りお:そうですね。

北川:現地で生活していれば徐々に覚えていくけどね。俺は言語学をやってるから言語学の用語は詳しくなるけど…。単語力はマジで大事ってことを、4年前に戻れるなら教えてあげたいなあ。その時もわかってたはずなんだけどね(笑)

りお:私も1,2年生の時はロシア語の文法規則を覚えるだけで手一杯だったなあ。単語っていつでも復習できそうなぶん、忘れがちなポイントかもしれないですね。

北川:会話では文法が多少曖昧でも案外通じるよね。単語が出てこないほうが致命的なミスが起こりやすいと思う。

りお:たしかにたしかに。

北川:あとは、ネイティヴの人と話す機会があれば、多少間違ってもいいから言いたいことを最後まで話し切るほうが自分のためになると思うよ。キョドってても何も学べないし。かっこいい言葉で言うと、「間違うことを恐れるな」ってことかな。

 

りお:外大でポルトガル語を勉強するのと、現地に行って勉強するのって、けっこう違った感覚なんでしょうか?先輩のご自身の学習を振り返ってみて、どうですか?

北川:俺が一番ポルトガル語力が伸びたなって思うのは、2年生の時にポルトガル語弁論大会に出場するって決めた時期かな。ネイティブのポルトガル人の教授と週2,3回のペースで練習させてもらって、練習の後も一緒にご飯に行かせてもらったりもしていい会話練習になったよ。やっぱりネイティブと話すことはめちゃくちゃ重要だと思ってる。1年の時にショートビジット(外大の提携する大学への短期留学プログラム)でポルトガルに行ったときも、3年で派遣留学で行ったときも、「絶対に英語は喋らない」って決めてたんだよね。英語に逃げることは簡単だけど、苦労しながらもその国の言語で話すのが一番語学力が伸びると思うし、何度聞き返されようと頑固にポルトガル語で話し続けてた。自分の学んでいる言語にこだわるのはすごく大事だと思うよ。

りお:カッコいい!おっしゃる通りですね。

北川:外大でも留学先の大学でも、俺が勉強してた内容は言語学だったから、留学先の授業はなんとか聞き取れたよ。言語学の用語は英語由来の言葉が多いし。初めは授業のノートを取るのは大変だったけど、授業自体はそれほど大変ではなかった。俺は留学に行った時からネイティヴポルトガル語を聞くのはそんなに苦じゃなかったし、日本でしっかり勉強してたらそのまま活かせると思うよ。

りお:そうですか、ちゃんと勉強しなきゃなあ…。

北川:現地人の友達がいるといいよね。そんなに沢山じゃなくていいけど、信頼できるネイティヴの友達が2,3人いれば十分。語学力を鍛えたいなら、やっぱり現地では日本人とつるまないほうがいいよ。元も子もないこと言っちゃえば、全部「気合い」!

りお:(笑)

北川:何においてもね。コツコツ勉強するっていう気合いも大事だろうし、例えば異国で風邪ひいた時にどう対応すべきか考えることも、外国人だからって現地人にバカにされても「なんだこの野郎!」って言い返せるくらいの根性を持つことも大事なのかなと思う。

りお:おっしゃる通りですね。とっても頼もしい!

 

ポルトガルに関わる活動について】−ポルトガル語の輪を広げるために

りお:北川先輩はポルトガルに関わる学生団体も運営されていますよね。

北川:そうそう。学生団体「Estudamos Português!(エストゥーダーモス ポルトゥゲース)」ね。

Estudamos Português!とは?

2018年設立。ポルトガル語ポルトガル語圏の文化の普及促進や言語学習者・母語話者との交流を目的として様々な活動を行なっている学生団体。2020年5月現在、日本全国の大学から83名の会員が在籍。北川さんはその初代代表を務めていらっしゃいました。


りお
:団体で発行されているフリーペーパー読みましたよ〜!ポルトガルやブラジルに関する知識がほとんどない私でも、めちゃくちゃ楽しく読めました。日本にこんなに広いポルトガル語学習者のコミュニティがあるなんて知らなかったですし、執筆者の皆さんの留学先でのエピソードがとても面白かったです。

北川:おっ、ありがとう。実際、ポルトガル語に触れる機会ってかなり限られてると思うし、ポルトガル語とかその文化とか、留学のことについて気軽に知れるような情報発信ができるといいなと思ってね。第二号も発表したところなんだ。(記事末尾にフリーペーパーのURLあり。)第一号は主に大学生向けの内容だったから、今回は社会人やもう少し幅広い層の人も楽しめるように内容を工夫したのさ。

 

りお:最近は外国人を交えたスピーキングセッション社会人の方を招いた勉強会も行っていますよね。それらはどんな意図で始めたものなんですか?

北川:スピーキングセッションに関しては、俺の個人的な実感がベースになって始めたものだよ。例えばさ、留学先で会ったポルトガル人と会話の練習をしたいからってビデオ電話するのって、なんかむずがゆいじゃん?(笑) いきなり電話するのもアレだし、利害関係がない人と話せればいいなって思って始めたのがこのスピーキングセッションなんだよね。やっぱコロナのせいで直接会って会話練習できる場も減ってるから、自分たちでそういう機会を作っちゃえばいいと思って。

りお:ほほ〜!素晴らしいアイディアですね。

北川:スピーキングセッションの対象を学生だけにするか、社会人も入れるかは迷ったんだけど、社会人も入れることにしたんだ。結果的に参加してくれた社会人の方がフリーペーパーに支援してくれたり、コミュニティの輪も広がったから、よかったと思うな。

りお:ふむふむ。じゃあ勉強会のほうはどうですか?

北川:勉強会は、ラッキーなことに外大の常勤の講師の方が「もしよかったらこういうのやってみない?」って話をくれたんだ。ゲストはポルトガル駐日大使の方や、学者、新聞記者といった方々を講師の方の知り合いを通じて紹介してもらった。もし対面でこういう勉強会をやるとなると場所借りるのが大変だけど、オンライン主流の今だからこそ開催できたのかもしれない。 

 

ポルトガルとロシアの繋がり】−あんまりなさそうだけど…?

りお:今回の企画の方針上、北川先輩の専攻するポルトガル地域と私のロシア地域との繋がりや違いを探りたいと思ってるんですが…。

北川:正直あんまり繋がりを感じたことはないかなあ。現地でロシア料理屋なんて見たことないし、ロシア人を見かけることもなかったし…。

りお:地理的にもかなり離れてますよね。

北川:そういえばポルトガルに「ロシアの山」(montanha russa)っていうジェットコースターがある。元はフランス語だったかな。

りお:へ〜!

北川:あと、俺の行ってたポルトガルの大学にはロシア文学を学ぶコースがあったよ。あとは〜、そうだな、政治的にはポルトガルは結構左寄りの国なんだよね。「ポルトガルはスイカのような国だ」って言われることがある。外側は緑色で一見平和で穏やかそうだけど、中は赤くて共産主義的な面がある。社会党共産党議席数も多いし。

りお:比較的リベラルな国なんですね。それはもしかするとソ連社会主義の思想的な影響も何か受けてるかもしれませんね。でも今のロシアはまたちょっと違うからなあ。

北川プーチン様様だもんね。

りお:外から見るとそうかもしれませんね(笑) でもここ2年くらいは支持率が落ちてきてますけどね。あと、昔からロシア人は暖かい地方への憧れみたいなものがあるんですよ。黒海カスピ海に囲まれたコーカサス地方には、ロシアの有名な詩人や作家も度々訪れてるんです。

北川:なるほどね。ポルトガルでいうと本土最南端にアルガルヴェ地方っていうところがあって、ここはビーチが有名なリゾート地でもある。

りお:へー!そうなんですか。あとサッカーはポルトガルでもロシアでも人気ですよね。

北川:ロシアのチーム弱いじゃん。

りお:そんなこと言わないでください(笑) ロシアでも一番人気のスポーツはやっぱりサッカーだと思いますよ。

北川:2019年のロシアW杯ではポルトガル人選手もロシアに行ってたね。あとポルトガルとロシアの共通点としては、ナポレオンに攻められたってことかな。

りお:(笑) ナポレオンは世界中駆け回ってますね。

 

 

りお:北川先輩、今日はインタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました!外大での語学授業からポルトガルでの留学生活、学生団体のことなど、貴重なお話を聞けてとても嬉しかったです。

北川:いえいえ。すごくいい企画だと思うから今後も頑張ってね!

 

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ポルトガルにあるユーラシア大陸最西端のロカ岬。ポルトガル最大の詩人カモンイスが読んだ、「ここに地果て、海始まる」"Aqui... onde a terra se acaba e o mar começa.."という碑文が彫られてるそうです。

 

【おまけ】−ポルトガルやブラジルについてさらに知りたい方へ

記事を読んでポルトガルやブラジルに興味を持った方へ、北川さんが関連するおすすめの本やエンタメを教えてくださいました。ぜひチェックしてみてください!

 

Q. ポルトガルを勉強する最初の一冊となるおすすめの本は?

金七紀男『ポルトガル史』

ポルトガル史

ポルトガル史

  • 作者:金七 紀男
  • 発売日: 2010/09/22
  • メディア: 単行本
 

 

Q. ポルトガルやブラジルの音楽、映画、文学等で有名なものは?

音楽:ボサノヴァ(ブラジル音楽のジャンル)、ファド(ポルトガルの伝統歌謡)

映画:シダージ・デ・デウス(2002年制作のブラジル映画。スラム街のストリートチルドレンを描いた。)

文学:ジョゼ・サラマーゴポルトガルの作家。視覚障害をテーマとした『白の闇』で1998年ノーベル賞を受賞。)、フェルナンド・ペッソーア(ポルトガルの詩人・作家。『不穏の書、断章』など。)

 

Q. ポルトガルやブラジルの著名人といえば?

クリスティアーノ・ロナウドポルトガル代表のサッカー選手)

ネイマール(ブラジル代表のサッカー選手)

グテーレス事務総長(現国連事務総長

 

 

文責:りお

(インタビュー実施日:2020年8月3日)

 

 

北川さんが代表を務めていた、日本でポルトガル語を学ぶ大学生による学生団体「Estudamos Português!」 の公式サイト

https://estudamos-portugues.amebaownd.com

フリーペーパー第一弾はこちら(無料で閲覧・ダウンロードできます)

https://estudamos-portugues.amebaownd.com/posts/6900040

フリーペーパー第二弾はこちら(無料で閲覧・ダウンロードできます)

https://estudamos-portugues.amebaownd.com/posts/9391675