東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京でロシアを食べよう「赤の広場 銀座店」の購入品紹介

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Всем привет(フセム プリヴェート/みなさんこんにちは)!

久しぶりの更新になりました。ロシア語専攻4年のりおです!

 

大学では最近夏休みに入りました!実は外大の夏休みは2ヶ月以上もあって、これは日本の他の大学と比べてもかなり長いほうなんです。本当はこの間に旅行や短期留学に行けるといいのですが… まだまだ厳しい情勢が続きますね😣

 

私の春学期はというと、外大の授業とオンライン留学先のロシアの大学の授業を両立しながら大学院入試へ向けて準備するという、かなりハードな生活を送っていました(笑) オンライン留学体験については別の機会に詳しく書きたいと思っています!

 

さて今回は、私が以前に訪れた銀座のすてきなお店についてゆるっと紹介したいと思います(^ ^)

 

みなさんは東京でロシアの食料品を買うことのできるお店をご存知でしょうか?

 

今年オープンしたばかりの「赤の広場 銀座店」では、国内では手に入りにくいロシアの食料品が多く販売されています!しかもそれほど高価ではないので、学生でも手に取りやすいものばかりです。

 

私もいくつか気になったものを買ってきたので、それらを紹介していきます!

 

①  ウズベキスタンの郷土料理「プロフ」の素

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プロフはお米、肉、人参、玉ねぎを混ぜて煮込んだウズベキスタン(及び中央アジア)の伝統料理で、結婚式や祝宴のときによく食べられています。

これがおうちで作れるなんて最高ですね!今度実際に作ってみようと思います。

 

ちなみに、下の動画では150kgの超大量プロフを大釜で作る方法が紹介されています。

豪快すぎる調理法と超ギトギトの油に笑えます!そしてめちゃくちゃ美味しそう!!!

youtu.be

 

② レンズ豆スープの素

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ロシアのスープといえばビーツを使ったボルシチが有名ですが、ロシアでは他にもさまざまなスープ料理が食べられているんです!これはお湯を加えて煮込むだけでレンズ豆を使ったスープを作ることができる、ズボラな人(はーい!🙋‍♀️)にぴったりな超便利商品です(笑)

調べたところ、レンズ豆のスープはロシアというよりトルコの料理だそうでです。それでもロシア人が食べてるものを私も食べたい!これも今度作ってみます。

 

え!ここまで全然ロシアじゃなくない!?でも大丈夫、次こそちゃんとロシアです!

 

③ チョコレートがけカッテージチーズ「シローク」

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近年日本のロシア界隈でプチバズり(?)しているシロークです!こちらも赤の広場銀座店で購入することができます。

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お店にはいくつも種類があって迷ってしまいましたが、私が一番気に入ったのはコンデンスミルクが中に入っているものでした!甘いチョコレートと濃厚なカッテージチーズの組み合わせが絶妙で、とろけてしまうほど美味しいです…。


④ その他のロシアのお菓子

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こちらはスーシュカというドーナツ型の硬いビスケットのようなお菓子です!おやつにぴったりで、指にはめて遊びながら食べると童心に帰ったようで楽しいです(笑)

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他にも、可愛いクマのイラストが描かれたチョコレートや平たいキャラメルを買いました!

ロシアのお菓子はパッケージがユニークでおしゃれなものが多いので、このように日本で手に入れることができるのは嬉しいです☺️

 

 

以上、赤の広場 銀座店での購入品紹介でした!気になるものはありましたか?

都外に住んでいる人、外出を控えたい人は赤の広場 銀座店を出店しているVictoriaShopさんのホームページで通販でも購入することができるので、ぜひチェックしてみてください✨
 

それでは До скорого(ダ スコーラヴァ/また会いましょう)!

 

文責:りお

 

●VictoriaShopさんのHP

victoriashop | 赤の広場銀座店

●シロークについて

魔法のお菓子シローク 〜シロークが無ければ自分で作ればいいじゃない〜 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

*今日のロシア語*

покупка(パクープカ)

 意味:買い物

пища(ピーシャ)

 意味:食料品

 

沼野恭子教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

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↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

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葛藤の時期を越えて

―沼野先生はどんどん新しいことに取り組んでいらっしゃる印象がありますが、これまでに何かで行き詰まった経験はありましたか?

そうですね… これから私はどうやって生きていったらいいのだろうと一番悩んでいたのは、やはりアメリカに行くことを決めたころですね。学生時代にあれだけロシア語を頑張ってきて、本当にロシア語を使える仕事に就けたわけですし、当時勤めていたNHKはとても良い職場でした。それなら仕事を頑張ればいいって思うじゃない? なのに三年という短い期間で辞めちゃうなんてもったいないし、周囲の人にも申し訳ない話なんですが、先ほども話したように私は渡米することに決めました。

決定的だったのは、こんなことを言って恥ずかしいんですけれども、NHKに勤めていた当時は23, 24とかだったんですよ。大学を卒業して一年も経たないその時期に結婚したんだけれど、新婚の大事な僕たちの青春の時期に一緒にいないってどうなのよって話をしてね。じゃあ向こうが帰ってきたらいいじゃない、とも思いましたが…(笑) でも夫は夫で自分のキャリアがありますし、ハーバード大学は研究者にとっては本当に良い研究環境でしたからね。まあ、そういうわけで、私がアメリカに行って何ができるのってすごく悩んだけれども、とりあえず私たちの人生で一番輝いているかもしれない時期を二人一緒に過ごさないというのは、やっぱり残念かなと思ったわけです。だから、結果としてキャリアよりも自分の人生を選びました。実態はそんなに素晴らしく美しくないんだけれども、そういう話し方をするとなんだか小説みたいじゃない?(笑)

でも、アメリカに渡った後もしばらく葛藤を抱えていました。向こうで日本語教師として働けるかもしれないと想定して、行く前に日本語教授法の短期の研修を受けておいたのですが、やはり働きながらもずっと悩んでいましたね。あんなにロシア語をやっていたのに、これが本当に私のやりたいことなのかと。ずっと心の中ではもやもやしていました。

 

―「自分の人生を選んだ」という言葉がとてもかっこいいです…!

沼野先生は以前に「嫌なことはすぐに忘れて切り替える」とおっしゃっていたのが印象的なのですが、そのような前向きな性格は誰かの影響があったのでしょうか?

忘れっぽいというのは昔からですね(笑) でも、物事に対して積極的になったのは、大学生の時の友人の影響がとても大きいんです。私はもともと引っ込み思案な性格で、自分から進んで人前に出たり、組織のリーダーになったりなどということには縁のないタイプだったんですよね。一方で仲良くなった友人はどんどん積極的に新しいことに挑戦していくすごくアクティブな人だったんです。その人とはロシア語の個人レッスンにも一緒に行ったし、コンツェルトで一緒に活動していた時期もありました。彼女と時間を過ごすうちに自然と学んだことはとてもたくさんあったと思います。

このような友人の影響というのは本当に大きくて、ピアレビューという言葉もあるように、研究者同士がお互いに切磋琢磨するっていうのはすごく大きな知的刺激になるんですよね。ですから、学生時代に良い親友や仲間ができるといいのではないかと、皆さんに対しても思っています。

 

―大切な仲間との繋がりは本当に価値のあるものですよね。

沼野先生には、恩師と言えるような存在の方はいらっしゃいますか?

まず高校の話をさせてもらいますが、私の通っていた名古屋大学附属中学高校がなかなかユニークな学校だったんですよ。ついこの間、名古屋大学教育学部の先生を中心に何人か年代の違うこの高校の出身者が集まってシンポジウムをして、私たちの高校って面白かったよねという思い出話をしたんです。その時に改めて思ったのが、非常に自由な学校だったということです。

その高校にはものすごくユニークで一風変わった先生が多かったんですよ。例えば、生徒に向けて一生懸命にアインシュタインの相対性理論を説明してくれる先生がいてね(笑) 生徒たちも教科書のどこにもそんなの出てこないなぁなんて言って、完全に先生の話を理解できたわけではないけれど楽しく聞いていた覚えがあります。

あるいは現代史の先生が「僕たちは反対していることがあるので来週からストライキをします」って言うんですよ。「みんなには迷惑をかけますけれども、ストライキというのは人に迷惑をかけるものだから」って(笑) それで私たち生徒も、そうかぁなんて納得したりね。私たちは迷惑をかけられるけどそれでいいんだって、先生のやりたいことをやるんだ、これが労働者の権利なんだってね。そう思ったのが今でも印象に残っています。

あと、先ほど話したロシア文学が好きな現代国語の先生が運営されていたロシア語サークルに私も参加していました。NHKラジオのテクストを使って、АБВ…ってロシア語のアルファベットをみんなで練習しました。ですから外大に入ったとき、私はアルファベットとЧто это?(「これは何?」)だけ知っていたんです(笑) その現代国語の先生は私が外大ロシア科に入ったことをすごく喜んでくださいました。その後、私がロシア語のラジオやテレビで講師をやる度にテクストをお送りすると必ず全部見てくださったり、出版した本を送ると読んでくださったりして、いつも温かいお手紙を送ってくださるんですよ。その先生が私にとっての恩師と言える存在だと思いますね。

そんな高校が私にとって「学校」という教育の場のイメージなので、自分の考えがあれば何をやってもいいんだ、みんなそれぞれ自分の好きなことをするんだ、という高校全体の自由な雰囲気が私の中の基盤になっていると思います。何といっても「自由」が一番大事という考えは、高校の時に形成されたのではないかと思いますね。

 

大学の変化 −ロシア研究を志す皆さんへ

―沼野先生は外大のご出身ですが、現在の大学と先生が在学されていた当時の大学は、どのような違いがあると思いますか?

根幹部分はあまり変わっていないと思いますね。それが前提なんですが、時代の流れもあって、今の大学の方が留学などさまざまな面で制度が整ってきていると思います。でも、面倒見がいいということは、学生にとっては一概に良いとは言えず、良い面も悪い面もありますよね。教師や大学側が手取り足取り学生を指導していくというのは高校生までならいいと思いますが、大学というのは少し違って、自分で自分の道を切り開いて、自分から積極的に働きかけをして何かを得るところだと思うんですよね。教師があまりにも面倒見が良すぎると学生さんが安心してしまうこともあるかもしれません。昔のようにほっとかれていたら何をすべきか自分で考えなければいけないので、それはそれで悪くなかったんじゃないかなっていう気もしています。ですから、大学側がわりと放任的だった昔に対して、今は学生さんに寄り添う傾向が強いというのが一番大きな違いだと思います。

 

―最後に、今後ロシア研究に携わりたいと思っている学生に向けて、メッセージをお願いします。

まず、自分の好きなものを徹底的に追求してほしいと思います。誰が何と言おうが私はこれが好きだというものを一つ見つけて、とことん自分が納得するまで調査して追求していく、という姿勢が基本だと思いますね。ただ、それと矛盾することを言うようですけれど、私のゼミのようにいろんなことに興味を持つことも大事なので、その両方をバランスよくやってくれるといいと思います。例えば、ドストエフスキーの研究をすると決めていたとしても、他のことは全く見向きもしないのではなく、ドストエフスキーっていう軸足はあるんだけれども、いろんなことに興味を持つことが大切です。そうすると、これは何かでドストエフスキーに繋がるんじゃないか、これはもしかしてドストエフスキーの影響を受けているんじゃないかって、さまざまなものがさまざまな形で繋がっていくと思います。文学的にはインターテクスチュアリティーと呼ばれているものですが、網目がだんだんできてくる、これが面白いんですよね。これこそが知的な作業になってきます。

ですから、矛盾するようだけれど、自分のものすごく好きなことを自由に徹底的に追求すること、でも自分を狭く限定しすぎずにいろんなことに広く関心を持つこと、この二つに取り組んでほしいです。なにもロシア研究だけではなくて、どんな分野にも言えることだと思いますけどね。

 

沼野先生が当時の仕事を辞めてアメリカに行く決断をされたときの、キャリアよりも輝いている「今」を大切にしたいという思いがほんとうに文学作品の一場面のように感じられ、取材した私たちの心にぐっときました! 私たちを含む多くの学生がコロナ禍で色々なことを断念し歯痒い思いをせざるを得なかった一年でしたが、先生のお話を聞き、それでも自分の心が動く感覚を大切にして今できることに真摯に取り組んでいきたいと思いました。

 

お忙しい中で取材に応じてくださった沼野先生、本当にありがとうございました!

 

取材・執筆担当:片貝里桜(4年)、川又えみか(3年)、小副川将剛(1年)

 

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沼野恭子教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 沼野恭子/Numano Kyoko

1957年、東京都生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京大学大学院総合文化研究 科博士課程単位取得満期退学。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。ご専門はロシア文学・比較文学であり、大学ではロシア語の語学の授業も持っていらっしゃいます。ゼミでは、卒論指導のほか、ロシア現代文学作品の講読、またBLM運動やベラルーシでのデモなどの社会的なトピックに関するディスカッションなども行なっています。主な著書は『ロシア万華鏡―社会・文学・芸術』(五柳書院、2020年)、『アレクシエーヴィチとの対話──「小さき人々」の声を求めて』(共著、岩波書店、2021年)など。

 

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ロシア語に打ち込んだ学生時代

―初めに、なぜ大学の専攻としてロシア語を選ばれたのですか?

一つ目の理由としては、ロシア語に希少価値があると思ったからです。私は大学に入る頃からロシア語を仕事で使いたいと思っていたのですが、希少価値のある言語の中でも、比較的世界で広く使われており、それでいてフランス語やドイツ語ほど学んでいる人が多くない言語を選びました。二つ目の理由は、ロシア文学が大好きだったからです。高校生の時の現代国語の先生がロシア文学をお好きな方で、まるで夢見るようにロシア文学の話をしてくださったんですよね。当時、私は文学を職業にするつもりはなかったのですけれど、ドストエフスキーやトルストイの作品を原文で読むことができたらすてきだろうな、と考えていました。

 

―ロシア語を使える仕事に就きたいという思いがあったのですね。現在でも国内でロシア語が使える職場は決して多くないと思うのですが、沼野先生の学生時代にはロシアと関わる仕事は多かったのでしょうか?

私の学生時代も同じように絶望的でしたが、それでも「絶対にロシア語を使った仕事に就きたい」と考えていました。もちろん本当にロシア語で食べていけるのかという不安はずっとありましたけれど、とにかく強い思いは持っていました。

 

―ロシアに関わる仕事に就くために、学生時代に意識して取り組んでいたことはありますか?

ロシアと関わりのある仕事は多くなかったので、最初は外交官を目指して勉強していました。特に学部2年生の頃は、早稲田大学で行われていた外交官試験勉強会に参加させてもらっていました。ですが、だんだん外交官になるのは難しそうだと思い始めて、いつの間にか気持ちは薄れていきました。

ロシア語学習についてですが、今皆さんが受けるТРКИ(テ・エル・カ・イ/外国語としてロシア語を学ぶ人のための、ロシア連邦教育科学省が認定する国家能力試験)やロシア語能力検定試験ではなくて、ロシア語の通訳案内士の試験に合格することを目標に取り組んでいました。ロシア語能力の他に、日本に関する教養も求められる試験です。その試験には無事に合格したのですが、結局ガイドの仕事は一つも来ませんでした(笑) また、大学時代の岡本先生という方が何人かの学生を自宅に招いてロシア語の本の講読会を開いてくださっていたので、そこに毎週お邪魔していました。会話に関しては、ネイティブの先生や、私の所属していたコンツェルト(東京外国語大学や早稲田大学などが合同で活動しているロシア語演劇サークル)の野村タチヤーナ先生とお話しするなどして練習していたのですが、本格的な会話練習のために1年半くらいの期間、友達と個人レッスンに通っていたこともありました。

 

―同時並行での学習は大変そうですが、いろいろなリソースを活用されていてすごいですね。次に留学のお話を聞かせていただきたいです。

私は学部2年生の夏に1ヶ月ペテルブルク(当時はレニングラード)に行っただけなんです。ソ連時代なのにかなり自由なツアーで、午前中はロシア語の先生が私たちのホテルまで来て出張授業をしてくれて、午後は自由時間だったので、ずっとレニングラードの街を歩き回っていました。ちなみに、この留学が決まったことを原卓也先生に報告したら、なんと現地のコメディ劇場の看板女優オリガ・アントーノワさんに紹介状を書いてくださって、その方の自宅にも招待してもらったり、劇場の端っこの方の特別席で生の芝居を見せてもらったりして、とても貴重な経験をさせていただきました。この短期留学があまりにも楽しかったものですから、もう一度ロシアへ行きたいと思ったんですよね。長期留学は簡単にはできない時代だったので、旅行もしくは語学研修で行くことになるのですが、どうしたら安く行けるだろうと考えました。そこで、ロシア行きの飛行機の往復チケットがもらえるという、朝日新聞社が主催していたロシア語スピーチコンテストがあったんですよね。これに出場して準優勝し、3年生の時にまたレニングラードを訪れました。

 

沼野先生の考えるロシア文学研究の魅力

―沼野恭子先生のご主人の沼野充義先生もロシア文学の研究者とのことですが、研究者としてのキャリアと家族のプライベートとの折り合いはどうつけていらっしゃいますか

折り合いがついているのかいないのか、わからないうちに数十年経ってしまいました(笑) 実は、私は初めからは研究者になるつもりはありませんでした。大学卒業後の経緯から話すと、外大を卒業したあとNHKに就職して働いていたら、夫がアメリカへ留学することになったんです。夫は1,2年で帰国する予定だったので、私は遠距離の別居結婚という形で、日本で仕事をしながら待っていることにしました。ところが、いろいろな事情があって夫はなかなか日本に戻ってこないので、私も思い切ってアメリカに行くことにしたんです。そこで現地の学生に日本語を教えるという仕事を二年間続けたのですが、働いているうちにこれは自分の仕事じゃないと思うようになりました。同時に、やっぱり私はロシアの文化や文学が好きなのだとわかって、もう一度勉強し直そうと決意をしました。

そういったわけで日本に帰国してから大学院に入り、そこからは好きな研究、文学の翻訳や紹介をしていこうと思ったのが私の研究者としてのスタートでした。その時点で夫は研究者としてすでに十歩くらい前を走っている人で、とても追いつけるような人ではありませんでした。私は彼と同じことをやっても仕方がないと考えて、まだ彼がやっていない分野の中で、日本とロシアの関係や女性文学といった分野が私にぴったりだと思いました。そして院生になったころにちょうどソ連ではペレストロイカが始まって女性作家たちが活躍し始めたのもあって、これこそ私がやりたかった分野だと再確認しました。夫とは同じ人文系で話は合いますから、毎晩のようにお酒を飲みながら(笑) 話しています。どんなことを言っても通じますし、話題が尽きず楽しいですね。会社から帰ったらプライベートの時間というように分けられているわけではありませんから、家に帰ってもずっと研究や教育のことを考えています。だから我々のような職業には仕事とプライベートの明確な折り合いはない、というのが答えですね。

 

―沼野先生はロシア語だけではなく日本語を学生に教えた経験をお持ちですが、日本語を教えることとロシア語を教えることの違いはありますか?

ネイティブとして母語を外国人に教えるのと私にとっての外国語を日本人に教えるというのは全然違いますね。ネイティブだと感覚として母語が身についているものですけど、ロシア語は自分で苦労して学んだ語学なので、その習得の苦労もわかれば文法の難しさもわかるため、学生の立場になって説明することができますね。私自身は日本語を教えることにあまり使命感を持てなかったのですけれど、今の仕事のようにロシア語を学生たちに教えることはとても楽しくて、やはり私は今のほうが好きですね。最初はキリル文字も知らなかった学生を教え、そして留学に送り出し、帰国した時の語学能力の伸長を見るというのは本当に楽しく、教師冥利につきます。

 

―沼野先生の考えるロシア文学の魅力を教えてください。

徹夜で付き合う?(笑) それは冗談として、私の研究している現代文学を中心に三点話しま すね。

まず20世紀のロシアは、革命からソ連崩壊まで社会がドラスティックに変化した時代でした。そういった社会情勢そのものを描くわけではないのですけれども、その変化のなかを生きていた人間たちをどう小説の中で描くかというのが面白いと思います。例えば私が大好きなリュドミラ・ウリツカヤ(ロシアの小説家。1943-)という作家はそういった時代を人々が生き延びたり、あるいは殺されてしまったりといった様々な人生を掬い取って小説にしている人で、そうした変革の激しいロシア社会と人間をテーマにしているところが大きな魅力だと思います。

二つ目に、20世紀初頭のロシアというのは「銀の時代」と呼ばれる文化の高揚期で、文学以外にも美術、音楽、演劇など多彩な文化の広がりが見られました。この多様性、とくにロシア革命前後の多様な文化の広がり方、そしてしぼんだように見えたそれらの文化が地下で脈々と生き残り、ペレストロイカがきっかけで火山が噴火するかのようにまた噴き出てきたところも魅力だと思います。

三つ目に、私は大学院で比較文学として日本とロシアの比較をしていたのですが、20世紀初頭の日本とロシアはどちらも遅れて近代化した国であり、常に西欧と比較して自分を規定し、西欧を参照にしながらどうやって国を良くしていくかという意識が共通しています。 こういった日本とロシアの類似点を含む日ロの相互関係というのも面白く、一つの魅力なのだと思います。

 

―沼野先生のゼミでは、BLM運動やベラルーシでのデモなど、一見先生のご専門とは異なるトピックでディスカッションをすることがありますが、ロシア文学・文化以外にも幅広い分野に興味を持つことはどのような意味で重要なのでしょうか?

私の専門はロシア文学・文化なので、ゼミにはそれに関心のある学生さんに参加してもらっていますけれども、文学というのは、人間の営みのありとあらゆるものが関係してきますよね。自分は政治家ではないから政治のことは知らなくていいなどと思っていると、文学が本質的に理解できないこともあります。実際に作品を翻訳しているときでも、細々したディテールから大きな思想まで、全ての要素が作品に詰まっているわけですよね。ロシア文学の翻訳というのは、ロシアに関して背景知識がないと訳せないものもあります。ですから、日頃からできるだけいろいろなことに興味を持とうと、私自身の自戒として思っているということが一つ目です。

それからもう一つは、学生の皆さんにいろいろなことに興味を持ってもらいたいという気持ちがあります。自分はロシア文化だけ知っていればいいというような狭い蛸壺のような考え方ではなく、様々なことに知的関心を持つと、それが色々なところで結びついていることがわかってきます。そういった繋がりを発見した時ってすごく大きな喜びを得ることができるわけで、学生さんにもそういう体験をしてもらいたいですね。政治の話題をわざわざ意図的に授業に持ち込んでいるわけではありませんが、とはいえ政治だって人間の生活でとても重要な役割を果たしています。特にベラルーシのことは私たちの研究に直結していますよね。例えばスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ出身の小説家。1948-)の作品や思想を深く考える上で、ベラルーシのデモや独裁制について無関心ではいられないはずです。

 

取材・執筆担当:片貝里桜(4年)、川又えみか(3年)、小副川将剛(1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

巽由樹子准教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

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↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

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ロシア地域研究者として 今とこれから

―現在、先生は何について研究されていますか?

一言でいうなら、「ロシアの文化史」とまとめるのが楽かな…(笑) いろいろな事物が権威を与えられることによって「文化」になるプロセスや、その「文化」による人々の価値観の変遷について研究しています。また、プロセスの中で書物からインターネットまでメディアがどのような役割を負うのかについても興味があります。

 

―研究者どうしの交流はありますか?

学会に行って知り合いの輪が広がったり、新しい知識を得たりすることはよくありますね。

西洋史学の研究室に在籍していたので、その分野の研究者の方々とは20代から交流があって、今でもおすすめの本を教えてもらったりしますね。学内では、チェコ専攻の篠原琢先生(教授、中央ヨーロッパ史)を始めとした多くの歴史学の先生とプロジェクトをやったりしますね。

 

―研究の過程で挫折やモチベーションを失うこともあるかと思うのですが、続けるためのモチベーションはありますか?

「面白い!」と思う何かに出会うこと、そしてそれを「自分で言語化して説明したい!」という気持ちがモチベーションになります。

博士論文の査読では、議論が客観的でないと評価されて心が折れることもありましたが、今に活きる訓練であったことは確かです。モチベーションが下がった時もありましたが、そこでのトレーニングを乗り越えたので、研究者としての素地はあるのかなと思っています。

 

―今後、研究で成し遂げたいと考えていらっしゃることはありますか?またそのために必要だと思うものはありますか?

今はロシアのミュージアムが情報の伝達者としてどのような役割を担っているのかに興味があります。研究のためには、やはり勉強するしかなくて、時間プリーズって感じです…(笑)

仕事も家庭も忙しいのですが、研究者としての優先順位を間違えてはいけないなと思う部分もあります。やりたいことはあるけど、史料収集が追い付かず曖昧なので、これから進めていきたいです。

 

巽先生から見る外大やロシア語科

―先生から見た外大の魅力やロシア語科の魅力を教えてください。

ロシアに興味を持つ日本の学生ってそんなに多いわけではなくて、東大の学部時代には少なかったし私自身もロシア語クラスではありませんでした。でも外大は1学年に60人もロシア語専攻の学生がいて、ディープにロシア語やロシアが好きな人もいればもう少しライトにロシアに関わっている人もいます。そういう裾野の広さというのはやはり他にない特色かなと思っています。

外大の学生さんは人と関わるときに優しいというか、マウンティングとは遠い、良いバランスを持った人が多いと思います。

結構専門的な内容を授業やゼミでやることもあるんですが、課題やコメントシートを見ていると非常にきちんとしたものを提出してくれるので、人との関わり方のバランスが取れている上で勉強もきちんと深められる学生が多いと感じます。そういうところが社会に出た時にいい人材になるんだろうなと感じさせます。

 

―語科内やネイティブの教員、他の地域を担当している先生方との交流はありますか?

結構ありますね。ロシア語科はとても風通しが良い職場なので、今は皆忙しいしコロナなので飲みや食事に行くということはないですが、ちょっと相談するとかそういったことはあります。当たり障りのない話だけではなく、困った時にはちゃんと相談に乗ってくださるなという実感があります。その中でも沼野恭子先生(教授、ロシア文学・ロシア文化)の人柄が大きいと思うんですが、前田和泉先生(教授、ロシア文学・ロシア文化)もツッコミを入れてくださったりしますし(笑)、皆さん掛け値なしにいい人たちだと思います。 

ネイティブの先生は研究室が横並びになっています。ナターリヤ・バルシャイ先生(特任教授)は温かい方だと思います。クリスマスカードを研究室のドアに届けておいてくださったりして。

 

―因みにネイティブの先生とは何語でお話をされますか?

ロシア語で話しますね。

 

―教員として授業を行うときに意識していることものはありますか?

人数が多くてロシア語の授業はひとつのクラスに30人という学級のような感じなので、すごくハキハキして目立つような人もいれば静かに座っているような人たち、男の子や女の子、気分が落ち着いてるような人、へこんでいるような人もいるわけですね。当てたらハキハキ答えてくれるだろうなという人に当てると楽なのですが、そうすると指名が一箇所に集中してしまって全体でつながる授業にはなりません。

調子の悪そうな人に当てるということはないんですが、普段自分から声を上げるということはなくても当てられたらきちんと答えられると言う人を当てたり、 ただ当てるだけではなく少しお喋りを入れるなど一体感を意識した授業を行いたいです。

特に学生の名前を覚えることを大事だと思っていて、2年生のうちに名前を覚えたいと思っています。去年の2年生はオンライン授業だったので少しそれが厳しかったですが、今年の2年生は対面で行なっているので今頑張って名前を覚えているところです。

 

―大学構内で好きな場所はどこですか?

図書館が好きで、吹き抜けの見晴らしの良い席で学生の皆さんと同じように勉強することもあります。書庫も使うことがあります。

 

―最後にロシア地域研究を志している学生に向けてのメッセージをお願いします。

ロシアというのは文化がものすごく優れていて、また歴史の展開としては極端なところもある国です。歴史的には思い切った見直しも可能であるという地域でもあってとても刺激的な対象だと思います。その意味でまず面白い地域だということを伝えたいです。

 

普段授業でお世話になっている先生もロシア語の勉強で悩むことがあると知ってとても安心しました。我々もくじけずに頑張りたいと思います!

 

取材・執筆担当:宮原凜(3年)、外山夏帆(3年)、杉村(1年)

 

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巽由樹子准教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 巽由樹子/TATSUMI Yukiko

東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はロシア文化史。主著に『ツァーリと大衆-近代ロシアの読書の社会史』(東京大学出版会、2019年)、Yukiko Tatsumi, Taro Tsurumi (eds.), Publishing in Tsarist Russia: A History of Print Media from Enlightenment to Revolution (Bloomsbury, 2020)。共訳書にルイーズ・マクレイノルズ『遊ぶロシア-帝政末期の余暇と商業文化』(法政大学出版局、2014年)。オーランド・ファイジズ『ナターシャの踊り—ロシア文化史』の共訳が近刊予定。

 

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学生時代について 当初の本命はロシアではなく○○?

―なぜロシア語を学習言語として選ばれたのですか?

大学に入った時点で歴史を学びたいなと思っていたのと、大学院に行って研究したいと思っていて。その時にどの地域の歴史を学ぶかによって必要になる言語が違ってくるんですね。

実は最初は中国史をやろうと思っていたので、大学に入学するとき中国語クラスを選択していたのですが、一年生の五月くらいで「あ、中国史ちょっと無理だ」「今あんなに強い政権のもとで私みたいなぼんやりとしたタイプの人間が歴史研究なんて無理」って思ってしまって。

別にコミュニズムに興味があったわけではないんですけど、高校時代からロシア史にも興味があったので「じゃあロシア史で」って感じでロシア語を学び始めました。

ロシア語は第三外国語として二年生から始めたのに、結局仕事になってしまった。恐ろしい話ですね(笑)

 

ロシアについて学ぶ学校としては、日本で盛んなところってそんなにある訳ではないんですよ。東大だって当時はロシア語クラスなんて本当に少なかったと思います。一学年3000人中、文理合わせて30人くらいしかいなかったんですから。

外大ロシア語科って必ずコンスタントに一学年60人程度いますので、実はこれはかなり多い人数なんです。やっぱり外国語大学ですし、「教員は相当の語学力がいるんだ」って思ってました。

ロシアの研究をやっている人がどこかの大学に就職する段階になったっときに、「外国語大学」と言われると、ちょっとおじけづくと言うか、特に私のような歴史学の人間は思ってしまいます。文学や言語学の専門の人たちの方が、きちんと基礎から応用まで語学をやっていますから。私たちは少し粗いかもしれないので(笑)

 

―学生時代に留学に行かれた経験はありますか? 

いわゆる短期留学に当たるものに行ったのは、修士課程の一年の9月で、一か月間モスクワ国立大学の外国からの学生を私費で迎えるプログラムに参加しました。本格的な長期留学をしたのは博士課程に入って二年目のことで、2004年から2006年まで二年間行きました。所属先はロシア国立人文大学でした。

 

―学生時代のロシア語の勉強について教えてください。

外大の学生に向かって言えることは全然ないですね…。反省の方が多いです。私は研究上「読む」ことが中心で。3年にあがって研究室に入るといきなり論文を読み始めるような感じで会話の能力とのバランスが悪かったんですよね。

ロシア語学習者の皆さんにお勧めできるほどの勉強法はわかりませんが、「上達しないなぁ」「うまくできなかったなぁ」なんてへこむのは普通のことなので、とにかく粘ること。そうすると「前はこれでへこんでたけど、全然大したことなかったや」ってなります。長く続けていればちょっとのつまずきは確実に乗り越えられるので。変にへこみすぎたり、こじらせたりする必要はないっていうことですね。

 

―勉強以外で課外活動はされていましたか?

サークルは劇団に入っていました。ロシアとは全然関係ありませんでしたが。駒場は昔、小劇場演劇の発信地だったんですよ。ただその頃は大学演劇の中心地は早稲田だったのでわりとおとなしくやっていました(笑)

今振り返ると学部生時代、私は本当に消極的だったと思うんですよね。普通に勉強して、部活をやって、バイトは家庭教師とか知り合いの塾で講師とか。世界が閉じていたんですね。自分の知っている世界でしか動いてなかったなと思います。そういう意味では、学生の皆さんはインターンや、インカレ団体など、学外の活動にも積極的に取り組んだらいいんじゃないかなと思います。

大学院に進むと学会に入って、いろんな大学に行ったり、知り合いが増えたり違う考えに触れたりして外の世界を知っていきました。

だからやっぱり学部時代は見ている世界が狭かったなと思うので、就職予定の皆さんは是非今のうちにいろいろやっておいてほしいと思います。

 

研究者になると決めてから これまで

―先ほど留学に行かれた話がありましたが、博士課程での留学について教えてください。

ロシア国立人文大学に研究生として所属していたので、語学などの授業以外の時間は調べもののために歴史図書館にいました。 

1年目にモスクワにいたときは寮生活だったのでロシア社会に関わっていると実感することは少なかったんですね。学部生の時から「読むためのロシア語」は勉強していたけど、逆にそれ以外の語学力、特に会話力はあまり磨いていなかった感じだったので、フラストレーションが溜まることもありました。 

2年目にペテルブルクに中心を移してからはロシア語の先生のお宅に通うようになって、ロシア人らしい家族ぐるみの温かいおもてなしをうけました。いろいろなことを一緒に経験させてもらったいい思い出がありますね。あと、ペテルブルクは歴史的景観が保存されていて風情があったので歴史の中を歩いている感じが楽しかったし、コムナルカ(ソ連時代に一般的だった共同住宅)の生活を経験してロシア独特の文化を感じました。

 

―院や留学先での経験を経て、どのような経緯で現在の職業にたどり着きましたか?

博士課程に進むことを決めた時から研究者になることは覚悟していました。大学への就職は公募で、ほとんどの場合は博士号を持つことが条件の1つになっています。そうすると博士論文を書かないといけないんですけど、それが大変でした…(笑)  

めでたく論文を書き上げて公募の条件が整っても、うまい具合に求人があるかは別の話で、この時期が一番しんどかったですね…。 

そうしたらある日、外大で近代ロシア史の求人があって応募しました。でも、先ほどもお話ししたように、外大でロシア語の授業を持つことに対しては一種の恐怖感がありましたね…(笑) 実際始めてみると、外国語大学では一つの語科に在籍する教員の数が多いこともあって、各授業に向けてやるべきことがわかってからは少し楽になりました。

 

―先生は中央ヨーロッパ大学(CEU)で客員研究員をなさっていましたよね?

2015年2月から10月まで、文部科学省の頭脳循環プログラムでCEUのブダペシュト(ハンガリー)キャンパスに行きました。「研究員」なので、学生に教える機会はなかったです。ロシア語の史料が見つからなくて苦労したり、ハンガリーという国にやや排他主義的雰囲気を感じたこともありましたね。でもCEUの歴史学部は優れた研究拠点の一つで、ロシア帝国論の研究に関しては存在感のある大学なので、その先生方と知り合いになれたのはありがたいことでした。

 

取材・執筆担当:宮原凜(3年)、外山夏帆(3年)、杉村(1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

鈴木義一教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

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↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

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大学の外での鈴木先生

―まず趣味についてお聞きしたいと思います。休日はどのように過ごされていますか?

観るほう限定ですが舞台芸術が好きなので、ここ10年くらいは、去年までは月に一本ぐらいは舞台を観に行っていましたね。去年と今年はコロナの影響や仕事が忙しかったりしてあまり足を運べませんでしたが…。時間とチケットが取れれば、東京には大小さまざまな劇場があるので、いろいろなところで芝居を観ます。

 

―その他に、誰か他の方とどこかへ行ったりということはありますか?

旅行などはあまりしませんが、コロナ前は月に1、2回土曜日に研究者の集まりがあって、その研究会の後に仲間と飲みに行くのが普通でした。あとは土日にドライブしたりもしますね。

 

―なにか好きな料理はありますか?

グルジア料理かな…。ハチャプリやシャシリクとかが好きですね(笑) 都内ではあまり行ったことはありませんが、日本でも2019年頃からグルジア料理がブームになりましたよね。だからそういった店も今後おそらく増えているはずです。出張などでロシアに行く際にはしばしばグルジア料理のカフェに行きます。

 

―鈴木先生は猫が好きなのではないかと小耳にはさみました。本当ですか?

はい、好きですね。今の住居はペット不可ですが、実家では飼っています。

 

―お好きな映画はありますか?

ジャンルで言うと、ミニシアターでやっているようなもの、文芸作品系が好きですね。最近見た映画では、セルゲイ・ロズニツァ『群衆』という、ソ連の公開裁判に関するドキュメンタリー映像の映画を観ました。

 

―研究者としてのキャリアを終えた後、何かやってみたいことはありますか?

まず大学という場では定年という制度を取りますが、その後も研究の活動自体はやめないと思います。ただ大学教授というのは、他大学での非常勤などは別にして、全く関係ないような業種との兼業には制限があるんです。だから定年してその制約が外れ、全く別のことをしてみたいとなると…。まず一つは、ちょっとこれも研究になるかもしれませんが、江戸時代の大阪・堂島の米市場について趣味で調べてみたいなと思っています。それともう一つは、映画のエキストラの老人役をやりたい!(笑) 小遣い稼ぎでもボランティアでもいいので、やってみたいですね。

 

―役者になりたいということですか?

いや、そこまでではないです(笑) ちょっとミーハーなところもあるので、制作の場に立ち会いたい感じですかね。さっきも話したように、芝居や演劇はよく観るわけです。蜷川幸雄さんが作った「さいたまゴールドシアター」という、平均年齢70歳以上のシニア劇団のようなところもありますし、劇団に入団するまではいかなくとも、まあエキストラぐらいならやってみたいという感じですね(笑)

 

鈴木先生から見た外大・外大生

―教員という立場から見た東京外国語大学やロシア語専攻について教えてください。最初に、働いていて感じる外大、外大生についての率直な印象をお聞かせください。特に先生は学生時代のご出身が外大ではないですから、その対比なども含めると面白いかもしれません。

外大に来て働き始めたのは1995年でした。外大がほかの大学と違って変わったところだなと思ったのは、まず学生が当時にしては海外に行って何かをやるということに全然抵抗がないところでしたね。1995年というと、学生が卒業旅行で海外に行くことはそれほど不思議なことではなくなっていましたが、だからといってスッと海外に遊びに行けるという時代でもありませんでした。しかも抵抗がないだけじゃなくて、当時の他大学の学生は海外に行くのでもまず行先はヨーロッパやアメリカだったけども、外大の学生はいきなりインドとかラオスとか(笑)そのあたりが独特だなと思いました。


あとは、外大の学生は海外での生活力があるんだなってわかりました。これは学生というより外大を卒業した人ですかね。彼らは海外での生活力が違うので、きっとその基になっている学生生活があるんだなというように思いました。どういうことかというと、例えばモスクワには外交官や商社マンの駐在員とかで日本人会があるんですよ。そこでは旦那さんがモスクワ勤務で、外大卒の奥さんとご夫婦でいらっしゃる、という方をよく拝見したのですけど、外大卒の女性が、ほかの駐在員の夫人の方々と比べてものすごく異質なんです(笑) そういった方々は必ずしもロシア語科の卒業というわけでもないので、海外経験はあってもロシア語は知らないはずなのに、まず適応が早い。サバイバルロシア語を身に着けるのが早くて、現地の人と交流する。日本人会で奥様方と仲良くお茶をするというよりは現地の人と一緒に行動するといった感じで、ほかと全く違うタイプなわけです。外大卒の方はほとんどがこうしたタイプに流れていくので、やっぱり何か違うなと思っていて、それはやっぱり全体としてのこの大学の雰囲気のようなものが反映しているのかなと思いますね。


―自分も内側にいる身としてその雰囲気というのはイメージが付きます。続いてもう少し枠を絞って、ロシア語科の学生に対する印象を教えていだけますか?

まず、外大の学生全体もロシア語専攻の学生も、最初に外大に来た95年の時の雰囲気と、2000年頃の雰囲気と、今の雰囲気とで、当然かなり変わっている部分があります。これはもちろん昔の学生は良かったみたいな懐古ではなくてね。そういう変化はありつつもそれを差し引いて考えると、外大の学生の中でもロシア語の学生はいろいろと少し違う部分があって、一つは、意外とコンスタントにジェンダーバランスがいいこと。もう一つは、ロシア語を選択した動機が世代ごとに結構大きく変わること。例えば、90年代半ばごろにロシア語を選択した人たちはペレストロイカやソ連崩壊を実感していて、国家が大きく解体するというようなことにそれなりにインパクトを受けた人たちが入ってきているわけです。ですから、そうした目的意識がストレートに出ている人たちが多かったのが90年代半ばの学生でした。そのあと90年代後半にロシア社会が大混乱を迎えて、ソ連時代とはまた違った形でロシアに対するネガティブイメージができてくると、2000年代の初めにロシア語に関心を持った理由で圧倒的に多かったのが音楽とバレエ、つまり芸術方面でしたね。そして2000年代の半ば頃になると、その時はちょうど日本企業のロシア進出などが盛んになってきていたので、ロシア経済の将来性みたいなことをいう人が増えてきました。こんな具合に、毎年60人くらいいるわけですから、傾向でいうとやっぱり世の中の変化が結構敏感に反映されている、というのがロシア語の学生ですね。

 

―質問としては最後になりますが、教員として、学生に期待するものについてお聞かせください。

(少し考えて)あんまり深刻に考えるな、くらいですかね(笑) 世の中何とかなるよ、というか。要は、そういう余裕を持っていてほしいということです。

 

―ありがとうございます。では最後に、ロシアやソ連に関わっていきたいと考えている学生に向けて先生からメッセージをお願いします。

こういうと少し逆説的かもしれませんが、ロシアにこだわらない方がいい、ということです。ロシアが好きなら好きでいいし、特にこれから就職活動などで、せっかくロシア語をやったからそれを生かせる仕事に就きたい、なんて思うかもしれませんが、それにこだわってしまうとチャンスが狭まってしまうと思います。なかなかロシア語をそのまま生かせる仕事ってそうあるわけではないし、そういう分野で採用されたとしても、はっきり言ってすぐに戦力になれるというわけにもいきません。またそのような業種だと、例えばいきなりブラジルに行けなんて言われることもあるでしょうし、そのようなことでがっかりするということがないように、ロシア語にこだわらないようにしようという気持ちは持っていてほしいなと思います。とにかく「ロシア!!」という風になってしまうと、せっかく色々とチャンスがあるのに目を配れなくなってしまうので、特に就職などを考えるなら、ロシアにこだわるなというのがメッセージですね。これはロシア語に限らないので、自分の専攻地域にこだわりすぎるな、という形で外大生全体へのメッセージにもできると思います。

 

ありがとうございました。新たに知る一面や意外な一面も垣間見ることができとても面白かったです。改めまして鈴木先生、インタビューにご協力いただきありがとうございました!

 

取材・執筆担当:しいな(3年)、Na(4年)、S(1年)、Аоки1年)

 

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鈴木義一教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 鈴木義一/SUZUKI Yoshikazu

1961 年、千葉県生まれ。総合国際学研究院教授、国際社会学部地域社会研究コース。東京大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史学第二種博士課程単位取得退学。‘90~’92年ロシア国立人文大学にソ連政府国費留学。ご専門はソ連経済史や現代ロシア地域研究などであり、大学では1年生の地域基礎の授業を担当していらっしゃいます。ゼミではロシアや中央アジア諸国に関する論文を読み、そこで生まれた疑問に対するディスカッションを行っています。

 

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ロシア・ソ連との出会い

―ロシア語やソ連に関心を持たれたきっかけを、エピソードなどを踏まえながらお伺いしたいです。

大学に入った時に第二外国語でロシア語を選択したので、最初はそれだけの理由でした。1、2年生の時はほとんどロシア語を勉強していなくて、ちゃんとロシア語を勉強し始めたのは、大学院に進学することを考え始めた頃でした。そして、次にソ連に関心を持ったきっかけですが、正確には覚えていないので、今思い返してみるとこうだったのではないかという観点からお話ししたいと思います。当時はアフガニスタン侵攻後の冷戦末期で、西側諸国がモスクワオリンピックをボイコットしてソ連がロサンゼルスオリンピックをボイコットした、「ソ連といえば敵」というような時代でした。ですから、そういったところに関心を持って、周りとは全然違うことをやろうと考えたのだと、今振り返ると思います。

 

―最初に興味を持ったきっかけは些細なことのようですが、ロシアに関係する取り組みを続けることができたその源泉はどこにあると考えられますか?

実はずっと続けることができたわけではなくて、大学1、2年の時はほとんどロシア語を勉強せずにスレスレで進学して、その後も1年半くらいはロシア語に触れていませんでした。

そして、3年生の時にソ連経済の先生のゼミに出席していて、そこで、せっかくだからロシア語の文献を読もうということになりました。これが本格的にロシア語をやり始めた時になります。その後に大学院に進学することを決め、そのためにはロシア語をちゃんと読めなくちゃいけないのでしっかり勉強するようになりました。

当時はロシア語の会話の授業はほとんどなかったですし、私の所属していた大学ではロシア語のネイティブの先生はいませんでした。留学に行くにあたり全然ロシア語を話せないと困るということで、留学が決まってから慌てて、東京ロシア語学院(旧・日ソ学院)に通い始めて、ロシア語の初級の会話の授業を取って勉強しました。

留学が始まってからは、サバイバルロシア語のような感じで、現地で生活しながらロシア語を覚えていくような形でした(笑)

 

―ロシア国立人文大学への国費留学について、お伺いできますでしょうか。国費留学がどのようなものなのか、留学の目的、現地でやったことなど、色々教えてくださると幸いです。

これは、ソ連政府の高等教育省の奨学金で、ロシアの高等教育機関(大学)の受け入れによって、留学するというものでした。私が留学した年の1年前に始まった制度で、1989年が第1期生です。私は第2期生で、制度ができて2年目の1990年に留学しました。

その時は大学院の博士課程で、「ロシアの1920年代の経済専門家の活動」というようなテーマで研究していたので、その資料を読みに行くという目的で留学していました。

 

―留学においては、研究以外のプライベートの面で楽しかったことや思い出などはありましたか?

私たちは寮に住んでいたのですが、当時の留学生を管理するシステムでは、西側諸国の留学生と、ソ連の一般の学生が、居住区域などにおいて、完全に別扱いになっていました。その少し前の時代だと留学生の監視体制もあったようですが、私が留学生だった頃は崩壊が間近に迫ったソ連末期だったので、留学生を監視する余裕はなかったみたいです。ただ、西側諸国の留学生は2、3階の部屋というように、居住空間が区別されていたので、なかなか普通のロシア人と接触することがないような構造になっていました。一方で、アメリカ、イギリス、オランダの留学生との交流は結構ありましたね。

ただ、ロシア人と切り分けられた構造であったとはいっても、そうだからこそアプローチしてくるロシア人もいました。ロシア人は一般に結婚するのが早いので、夫婦で寮に住んでいる方も多くいましたが、その中の一組が、私たち留学生の生活の面倒をよく見てくれたんです。そのついでに、彼らはドルの両替をしてくれと言ったり、物不足が原因で普通のお店には売ってないような物を安く売ってくれたりしました(ただしドル払い)。彼らを通して、同じ世代のロシア人との交友関係を深めていきました。仲良くなって毎週末に宴会をして楽しんでいましたね(笑)

 

研究者として生きること

―現在、先生は何について研究なさっているのでしょうか。

1つ目のテーマは1970年代から80年代にかけてのソ連の経済改革とその思想です。具体的に言うと、85年以降始まったペレストロイカの際に経済改革を行ううえでのイデオローグ的な人物たちについて、その人たちが、ペレストロイカが始まる前の70年代80年代にどんな研究をしていて、そのことが今振り返るとどういう意味をもつのか、というようなことをソ連経済史の研究ではしています。

2つ目に現代の研究について言うと、現代のロシアの社会意識というのを1つ目のテーマとは別に細々と以前から研究していて、その変化を折に触れてチェックしています。

それから3つ目に、今はコロナの影響でストップしていますが、国境地域を研究するグループを運営されている方との付き合いで、中国とロシアの陸の国境地域を訪れて研究するというのを2,3年前からやり始めました。大体この3つのテーマに分類できますね。

 

―続きまして、大学教員という職に就くまで、さらには今の研究分野に至るまでにどのような道をたどってこられたのかお伺いしてもよろしいでしょうか。

さきほど話した、なぜソ連について研究し始めたのか、ということは折に触れ聞かれるのですが、要するに出発点はマイナー志向なんですよ。それでも、マイナー志向でやっているとわかってきたことがあって、まずソ連について西側諸国で言われているようなイメージと実体というのがかなり違うんじゃないかということ。例えば悪の帝国だなんて言われたり、社会主義体制で抑圧されていて人々の暮らしは貧しく…みたいなイメージを持たれていたりもしましたが、研究していくとそうでもないかもしれないという実態が見えてきます。


また、政治や経済の体制が違うことについても、確かに社会の違いというのはありますが、どのように人々のものの考え方が違うのか、人々の行動様式に違いはあるのか、こういったことを専門的にやり始めて気づくのは、当たり前ですが人々の行動や社会の在り方は体制が違っても同じところは同じだ、ということです。そしてこの「同じだ」という発見に加えて、違うなら違うなりにいろんな要因があるわけです。それは権力による統制だとか抑圧だとかではなくて、文化的な背景だったり価値観の違いだったり。この違いの意味を、例えば体制の違いだとか共産主義のイデオロギーだとかとは少し切り離して、違いという部分にもっと切り込んでいくと面白いんじゃないかと思うようになり、大学院で専門的にやろうかなと考えるようになりました。

当時は大学院に合格する人数も少なかったし、さらに大学院に入ったとなると就職はしないということが事実上決まっているようなものなので、まあ大学院に進んだ以上はこれで行くしかないんだなという感じになっていきましたね(笑)

 

―次に、学生時代の失敗談がありましたらそれについてお聞きしたいです。また、それをどう乗り越えたのでしょうか。

失敗談を挙げていくと数限りないので、どうやって克服するかということですと、結局なるようにしかならないと割り切るしかないんじゃないですかね。そういう意味で言うと、幸い、あまり深刻に考えなくてもなんとかなってきたということですかね。まあ、よく言われる言い方で言うと『明日は明日の風が吹く』というような、そういう性格の部分があるので(笑)、一晩寝ればなんとかなるだろうなんて、そんな考えで乗り切った部分は多いですね。

 

取材・執筆担当:しいな(3年)、Na(4年)、S(1年)、Аоки1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com