東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

最終回!ロシア語劇インタビュー(役者編)

ロシア語劇インタビュー(役者編)

東京外国語大学の学園祭『外語祭』では各言語を専攻する学生のうち、2年生が全編外国語で劇をする『語劇』という目玉イベントがあります。

今回のインタビュー企画では、当サークル所属の学生が、

この語劇で「役者」を務めたロシア語専攻の学生にお話を聞きました!

 

インタビュイー(あいうえお順)※以下敬称略:

彰梨紗子(しょう りさこ)さん。

今年の外語祭ロシア語劇では役者を務める。

好きなロシア語は мир(ミール): 「世界」「平和」

同じ音の中に「世界」と「平和」の意味が共存していて、この音を聞くと両方の意味が同時に思い起こされて「平和があってこその世界」という印象を抱くので心に響いた。

 

真部友希子(まなべ ゆきこ)さん。

今回のロシア語劇では役者を務める。

好きなロシア語はсогласен(サグラーシェン): 「賛成!」

男性形だけど、音が好きだから自分でも使いたくなる。口をたてに開けてつくる発音が組み合わさって、それでいて最後やわらかい音とともに閉じていて、豪華な感じがする。

 

山中颯真(やまなか そうま)さん。

今回のロシア語劇では役者を務める。

好きなロシア語はНе стесняйтесь!(ニェ スチェスニャーイチェシ): 「ご遠慮なさらず!」

軟音の連続が生み出す美しさとかわいさが、まさに「心配しないで」という感じを表している。

 

インタビュアー:山口晴夏(やまぐち はるか)。トルコ語科2年生。今回のトルコ語劇では字幕を務める。

 

山口:それでは早速始めていきたいと思います。皆様「死の勝利」という題目をなさるそうで、東京外国語大学でまだやったことがない演目なんですよね?映像資料も全然ない状態で皆さん苦労されて役作りとか稽古とかされていたと思うんですけれども、まずはどんな役をやるのか、その場にいる他の役者たちとの関係性も含め、教えていただければと思います。

 

彰:序曲ではドゥリチニェーヤという名前で出てきますが、本曲に入ったらマリギスタになります。物語のきっかけとなる人物、でしょうか。「美しいものが賛美され、醜いものがけなされる」世界を実現するという野望を持っています。これは私の解釈ですが、きっと自分の美しさに誇りを持ってその美しさが持つ力を信じていたのに、彼女の中で「醜い」と思った存在の方が自分よりも讃えられ、愛される、そして美しいはずの自分が貶される、という経験をしたんでしょうね。その時の屈辱と失望が彼女の原動力となり、今回上映する世界に辿り着く前に沢山の世界を作り上げては試みることを繰り返してきたのですが、その企みが成功することはありませんでした。今回自分の娘であるアリギスタを遣わしたのはそれだけ彼女が真剣であることと追い詰められていることが表れているように思います。

真部さん演じるアリギスタとの関係は母と娘で、そこには確かに愛があります。しかしマリギスタにとっては、その愛よりも自分の野望の方が重要で、アリギスタは彼女の計画にとって最後の希望のようなものでしょう。山中さん演じる王にとっては、自分を騙す計画を立てた張本人といったところでしょうか。ドゥリチニェーヤの野望とマリギスタの行動によって人生の歯車が狂ってしまうお2人ですね。

山口:すごく哲学的な感じがしました。

彰:せっかくこうして私たちのことを取り上げていただく機会を作ってくださったので、できればこの舞台の中で伝えきれない背景みたいなものを少しでもお伝えできたら、実際にご覧いただく際により楽しんでもらえるかなと思ったので、あえて舞台の外からアプローチしてみました。

山口:キャラクターの名前が複雑なので覚えるのが難しいですね…。

真部:マリギスタとアリギスタは一文字しか違わないから、練習中でもお互いよく間違えるし、他の役者たちからも間違えられてしまうという裏話があります(笑)。

山中:僕はママが「マ」リギスタって覚えていました。

一同:わかりやすい!

彰:演出さんも、これだけ複雑で沢山の登場人物を扱っていて本当にすごいと思います。

 

真部:アリギスタを演じます。

「美しいものが賛美され、醜いものがけなされる」という母マリギスタの野望に利用され、共謀してその野望の実現を助ける役ですね。きっとアリギスタは、たくさんの男性を落としてきた、現代で言うあざとい女の子なんだろうなっていう解釈をしています。自分が美しいことを知っていて、マリギスタを助けたりするけれど、マリギスタに言われるがままではなく、自分の意思を持っている人なんだなと最後まで演じてみてわかりました。いくら良い容姿で人を動かせても、人間らしさがあるんだなって思うと、親しみを感じましたね。

 

山中:本曲に出てくる、王(フロドヴェーグ)役を演じます。

マリギスタ・アリギスタ親子の計画にまんまと騙されてしまうんですけど、どんな人間かというと、やはり暗君、自分勝手というかまあ残虐で傲慢で…すごく慈悲深くて賢い名君とは正反対の人間で、人間性もとても良いものとは言えない人物です。すぐに激高したりするし、アリギスタを口汚くののしるし…小さなころから王室に守られてずっと閉じ込められて王になるための教育を施されて育ったと解釈しています。政治については知っているだろうけど、周りの友達との交流、ましてや恋愛の経験がないからいとも簡単に親子にだまされてしまったのかなと思います。美と醜さが劇のテーマとしてあるんですけど、醜い物をすぐ貶める、美しいものにすぐ飛びついてしまう、現代で言う面食い、ルッキズムに縛られた人間ですね。自分のメンツの保持に走り、怒りを向けたり、政治的な決定を下したり、簡単に騙されたことが王のメンツに関わるから、慌てていろんなことをして、自分の保身に走ってしまう感じですね。

彰:そうはいっても、人を愛することができるのは王のいいところなんじゃないかなと思っていて。マリギスタとアリギスタ、アリギスタと王それぞれの関係性を語る上で愛は欠かせない要素だと思うので、愛の形っていうのはそれぞれだけれど、その間に愛が存在しているのはすごく素敵なことなのではないかなと思います。

山中:その通りだと思います。アリギスタへのまっすぐな思いと、政治的な建前の間で悩むっていうのもあるし。

彰:決断を下すときは非情なときもあるし、王としての政治的な建前を考えなければいけないっていうのはあるけど、一人の人間として人を愛すことができる人なんじゃないかなと。

 

山口:2つ目の質問です。役のどんなところが好きか、好きではないか、自分と似ているところがあるかどうかをお伺いできればと思います。

 

彰:好きなところは、自分の目標を実現するために、絶望に打ちひしがれても必ず立ち上がり、何度もやり直すところです。その頑張る方向がこの物語の登場人物たちを翻弄することになるんですけれどね。

嫌いなところは、自分の目的のためには誰でも容赦なく利用するところです。彼女は多くの世界を作っては、讃えられ、愛され、賛美されるために大勢の人々を利用し、失敗するとまた次の世界を作りに行きます。相手の人生が壊されようと、意志を踏み躙ろうと、自分の目標を達成することが何より大事。自分の世界に入り込むあまり、娘の気持ちですら思いやることができないのでしょうね。何度失敗しても諦めない粘り強さと意志の強さは美点ですが、どんな時も心の中に他者への思いやりのスペースを持てる人でありたいと思わせるキャラクターですね。

似ているところは、失敗しても何度でも挑戦しようとするところでしょうか。頑固なところと言ってもいいかもしれません。私自身も、一度始めたことは自分が納得がいくまで突き詰めてやりたくなってしまうタイプなので、うまくいかなかった結果に打ちのめされたとしても、何度も何度も立ち上がって、次に進もうとする姿勢は自分も持っていたいと思います。

彼女が何度も失敗する理由は、周りを変えようとしたことだったのかもしれませんね。彼女がすべきだったのは、周りを変えることではなく自分が変わることだったんだと思います。私自身も外大に入る前に大きな挫折を経験したのですが、コロナ禍で一度立ち止まって自分と向き合い、その時進んでいた道を見直す機会をもらいました。私の人生にとってとても大きな、そして良い変化をもたらしてくれた時間だったと思います。少し話がそれましたが、彼女には失敗と絶望のあと、立ち止まる時間があればよかったのかもしれません。そうできていたらこの物語は違った結末を迎えていたことでしょうね。

 

真部:嫌いなところの方が多いです(笑)なんでこういうことをしたんだって突っ込みたくなるような点がいくつかあります。「美しいものを賛美し、醜いものをけなす」。醜いと判断した人には、簡単にひどいことをしたり裏切ったり。あとあざとさで言えば、自分のしたいように物事を進めるために人を利用するって感じです。しかも直接それを頼むんじゃなくて相手を惑わすような態度とか仕草言い方で人を動かそうとするっていうところもちょっと嫌ですし、自分がこう動いてほしいなとか思ってる相手にはそういう風にへつらうというか、媚びる感じはあるんですけど、逆に自分がこの人どうでもいいなとか利用価値ないと判断した相手には思いやりのない態度で接する点がひどいなと思います。

ただ、さっきもちょっと触れたんですけど、結局私自分の気持ちを大事にしているところはすごくいいなと思います。マリギスタのことを愛しているからこそ、母の計画に協力するような姿勢をとってはいても、結局自分の気持ちに気づいて、自分の気持ちを優先して行動してるっていうのはあるし。自分を大事にできている人なんだろうなって思います。それだったらその後の結果がどういうものであってもきっと後悔はなく、満足いく結果になると思うのでその点は良いと思いますね。

自分と似てるというと、突然こうしたいと思いついたら、パッと始めちゃうところだと思いますね。それがすごく大きな決断であっても結構あっさり下してしまうところは私にもあるかもしれないです。ロシア語科に入りたいって思った時だって、これは自分の進路を決める結構大きな決断じゃないですか。だけど私はある一曲の好きな歌を聴いてそれがロシア語だったってことを知って、まあなんて綺麗な発音なんだろう!って思いました。こんな綺麗な発音自分もできるようになりたいな、と自分の琴線に触れ、大きな感動を味わったその一瞬で、簡単に今まで考えていた進路を全部捨てちゃいましたね(笑)それも3年生の春だったんですけど、絶対ロシア語だ!と突然思い立ち、それからはもうロシア語しか見ていませんでした。決断力があるといえるのかもしれません、良く言えば。でも悪く言えばちょっと無鉄砲かもしれませんね、私もアリギスタも。

山中:僕が演じる役の好きなところとしては彰さんが言ってくれた通り、人として人間を愛することができるっていうところは、王妃に向けてそうやってできるのはすごく良いなと思っていて。まあおそらくはそのずっと宮廷に守られてきたが故の恋愛ベタというところもあると思っていて。人がなんか騙してきたりとか、すごくずる賢い人間がやってきて自分の目的のために私利私欲のために何かあるいはすごい目的のために騙してくるとかそういう世の醜さを知らない、そういう経験を全然していないということに原因があると思うんですけど。まあ暗君ではあるけど、愚直というか、どこかバカ正直なところはすごくいいなと思っていて。そういう面を自分も持てるといいなと思ったりはしますね。いろんな人間関係において愚直にも人を信じてまっすぐ愛するっていうのはすごくいいことだと思うし、それで騙されるにしてもやっぱりそういう姿勢を貫きたいなというふうに考えていますね。好きではないところは、やっぱり圧倒的に美を賛美して醜いものを貶めるという考えですね。そこまで自覚しないうちにそういう考えに傾いているところがあると思っていて。嫁いできた王妃の容姿だけで簡単にすぐに態度や決定も変えてしまうっていうこともあって。愚直であるがゆえにやっぱり愚かなところなのかなと。まっすぐ人を愛するとは言っても、確かにそれは愛情なんだけどすごくいろんな人に対して慈悲深い人間なのか、思いやりを持てる人間なのかというと、あまりそういう感じがしないし。やっぱりすぐ喚き散らすような暗君ではあるので、そこは人としてはあまり好きではないところですね。まあ王としてみると威厳があっていいなというふうにも見えてきますけど。あとはやっぱり何か自分のすごく強い信念を持って決断を下してるように少なくとも僕には見えなくて。やっぱり色々政治的な建前とかメンツとかそういうところで判断せざるを得ないところはあるし。それで自分の人としての偽りの王妃への愛を貫きとしたわけではないし。自分の信念で進んでいくっていうのは親子にはあるけど、この王にはないものかなと思って。まあそれがゆえに簡単に騙されてしまったのもあるでしょうし。まあそういうところは反面教師的に見ていますね。自分は何かいろんな建前とかばかり気にしてそれに縛られて生きていくというのはしたくないなという感覚がありますね。

 

山口:みなさんは、特に台詞の多い役者さんだと伺いました。どうやって大量の台詞を覚えたか、工夫したことや独自の覚え方などあれば教えていただきたいです。

 

彰:最初はネイティブの先生がセリフを読み上げてくださった音源を聞いて覚えるのを試しました。私は楽器を少しやっているのですが、譜読みが苦手で最初に曲の音源を聴かないと曲のイメージができなくって。そんな感じで普段の暗記は音から入る方が覚えやすいタイプなので今回もそうしようと思ったんですが、これがちょっとうまくいかなくて。1つ1つの単語の意味を理解しきらないまま音にだけ走っているっていう感覚が拭えなかったんです。だからセリフとキャラクターへの理解がなかなかついてこなかったのでやめました。結局、単語の意味を調べながら意味がわかったところで覚えるっていう方法で覚えたので紙にひたすら書きましたね。意味を調べたら単語を声に出しつつ書く、というのを繰り返したんですが、意味がわかったら覚えられるようになりました。実際に舞台上で動きをつけると台詞が飛んでしまうところがあるのでまだまだ頑張らなければいけないのですが、それぞれの単語の意味を自分で理解している状態で言葉を発することができるようにはなりました。

工夫したことは台詞の単語を調べる際に英語も使ったことでしょうか。ロシア語と日本語ではどうしても文法構造や話し方、ニュアンスも違うので、日本語に訳すだけでは掴みきれないニュアンスを英語で補いつつ、なんとかかんとかロシア語の台詞の元の意味を理解しようとしていました。だから別の言語をもう一つ噛ませることでセリフやキャラクターの心情を、切り口を増やして少し深く理解することができるようになったかなっていうのはありました。そんな感じで覚えるのにはかなり苦労したので、音源を聞いて覚えられたよ、っていう方の話を聞くとすごいなぁと思って。聞くもしたし、書くもしたし、調べるもしたし、それだけたくさんやらないと覚えられないという自分の効率の悪さを感じますね(笑)。

山口:いえいえ。ちなみに、調べることが多かったということは、難しい単語が多かったということですか?

彰:難しい単語ばかり入っていたわけではないんですけれど。日本語訳もついた状態で台本は対訳であるのですが、この訳も少し昔の訳だったりするのと、同じ単語の中にもいくつかの意味やニュアンスがあったりするので、自分にとってしっくりくる訳を見つけるところにたどり着くっていう作業がしたかった、という感じですね。自分の中での理解をもうちょっとシャープにする目的で調べたっていう感じです。そんな初歩的な単語も調べるの?!っていうくらいのところまで調べちゃったりしたので、意外と発見があったりもしたんですけど。

山口:役作りに生かせそうですね。

彰:役立ちましたね。ここではどんなニュアンスで語りかけているんだろう、みたいに日本語を調べただけじゃ、分からなかったところも英語の呼びかけだった場合のシチュエーションを想像したらなんとなくストンと落ちるということもあったので、外国語を正しく理解して、伝えるために使うっていうのは本当に難しいことなんだなと改めて感じました。

真部:英語挟んでできるのは全然効率悪いとかじゃなく、もう英語ができる人にしかできない所業なので本当に尊敬します!

彰:それが日本語に訳されないとわかんないから、三度手間くらいだよ(笑)。

真部:でも実際に手を動かして、辞書をめくるという努力をしないと覚えるのは厳しいところは私にもありましたよ。とりあえず最初はネイティブの先生の音声を聞きながら覚えようと心がけたんですけど、やっぱり音だけで覚えても、なぜそのような語順になるのかという文法的な理由や、格変化でその格を取らないと意味がおかしくなる理由を理解したり、名詞の形を語順ごとすべて正確に覚えたりするには、音だけじゃちょっと私も難しかったです。もちろんネイティブの先生の音声に助けられたんですけど、その後に結局わからない単語は全部調べました。それこそ台詞は少し昔のロシア語だったので人称代名詞の格変化も多少違うところがあったりもして、これどういうことなんだろう?と思いびっくりしました。少し詳しく言うと造格が違うんです。ь(ミャーヒキー・ズナーク)という文字で終わる単語が造格をとるとき、語尾が現在とは違う変化をするというのがあって、最初は混乱しました。

台詞を覚えるにあたって、自分なりに工夫したことといえば、できるだけ自分がその状況下にあるということをリアルに想像して自分の言葉として発言するよう試みたことです。具体的に言うと、私は最初から順番通りに覚えていくんじゃなくて、好きな言葉から順番関係なく覚えていく方でした。「これ言ってみたいな!」と思った単語から覚えましたね。例えば「剣で突かれた」という表現。剣で突かれるシーンってドラマじゃない限り、日常無いじゃないですか(笑)。自分が剣で突かれたというシーンに入り込んでいって、刺された時に、痛みに悶えながら言うのがどんな感じだろうとまず考え、ロシア語で何と言うのかなと思って見たら、その台詞を見ていってみる感じです。あとは「この恐ろしい時間には死人のみが生きているのだ」っていうセリフがあってですね、夜中に私が夜更かしして起きている時にこのセリフを言ってみましたね。2時とか遅い時間にまで起きているとき、本当に周りも外も全部シーンと静まり返ってて、「この時間には死人のみが生きているのだ」と本当に自分が死人になったつもりで言ってみていました。

ちょっとおふざけが入ったような覚え方も私はよくしてます(笑)。私は長台詞が結構多かったんですよね。独唱するところが結構あって、これを全部完璧に言えたらかっこいいな~!とばかり考えてました(笑)。それでどこまで見ずに言えるかというのを繰り返して、全部通せた時に、かっこいい自分を見つける、そんな感じでやってましたね。普段なかなか言うことのないような抽象的な表現が台詞に多かったんです。実際には起こり得ないような状況の台詞がたくさんあるので、あえてそれを思いっきり言ってみるのが清々しい、かっこいいというか、気持ちいい!言ってみるのがひたすら楽しかったです。

 

山中:これも彰さんが最初に言ってたことと同じなんですけど、文法的なこととか、一つ一つの単語の意味とか、もちろん大事なんですけど、それよりも先に音から入るっていうのはすごくあって。譜読みの時に音で聞かないとっていうのはすごく僕にもあって。楽器をやることがあるんですけど、楽譜を見てそのまま弾けるっていうことは決してなくて。実際にそれを見て、歌ってみたり、弾いてみたりして音を何回も繰り返してってやらないとどうしても覚えられないんですよ。同じように言語も音楽と同じように音が最初にあるから文字ありきではないし音が最初にあって後から文字ができたはずだし。演劇はなおさら声だけでやりますし、それを考えて実際に何回も音読して、音が自分の中にあるようにしたり、ネイティブの先生の音声を聞いたりして、音で覚えていきましたね。結果となったかというと、最初の単語さえ出てくれば、あと他のセリフとの関係性さえちゃんと分かれば、すらっとでてくるようにはなりました。ただ、問題点として最初の単語が出てこないとそのセリフは全部詰まって、全く出てこないっていう。あの歌のメロディーなんだっけ、あの歌い出しがわからないみたいな感覚に近いですね。一番自分に合った覚え方であるとは思うんですけど、そこは難点としてあるかなと思います。あと真部さんが言っていた通り、帝政時代の劇なので、少しロシア語が古い形を持っていて。女性名詞の造格の形が少し古いんですけど、その理解のために、ウクライナ語の知識がすごく役に立ったんですよね。現代のウクライナ語では、例えば「ママ」という意味の「мама(マーマ)」っていう単語は、ロシア語だと「мамой(マーマイ)」になりますけど古い形では「мамою(マーマユ)」と言って、現代ウクライナ語の具格では、мамоюっていって、-оюっていう形がそのまま残ってるんですね。おそらくは古いスラブの形なんでしょうけど。あと、щ(シー/シチー)っていう形の文字があってロシア語だとシみたいな発音なんですけど、それとш(シャー)ていう音がどうしても台詞で喋っていている時も、言うのが難しくて、よく混同しちゃうんですけど、ウクライナ語だとщがシチーっていう発音なんですよね。シュのあとにチって言って。それがまず頭の中にあって。である時に、ネイティブの先生が、そのщ(シー/シチー)を含む台詞を、「シチって発音してみな」っておっしゃって。でもそれだとロシア語の発音じゃないんじゃないのかなって思ったんですけど、やってみたらすごくロシア語のネイティブの先生の「シー」っていう音にそっくりな音を自分で出すことができて。多分昔はロシア語ではウクライナ語と同じようにシチって発音してたらしいんですよ。「シチ」って言おうとしながら「シ」のまま言うとうまくいくんだなっていう。同じ口の形で今のロシア人もщ(シー/シチー)を発音してるんだなと思って。文法や発音という面で、別の言語の知識が偶然にもすごく語劇の台詞を覚えるのに役に立ったと思って。だからそうやって視野を広げてみるっていうのもすごく良かったのかなと思います。

 

山口:役者を務めるにあたって苦労したことが今までにあったかと思いますが、どうやってそれらを乗り越えましたか?また、それらを乗り越えたからこそ感じる、役者をやっていてやりがいを感じる瞬間、やっていてよかったと思う瞬間などはありますか?役者さんのやりがいというのは、キャラクターを再現するのに感じた苦労でもいいですし、役者をやるにあたって苦労したことでも何でもかまいません。

 

彰:役者を務めるにあたって苦労したことは、「伝える」ということそのものですね。自分にとってもお客様の多くにとっても恐らく母語ではない言語でお芝居をする、そしてそれを見ていただくということになると思うんです。だからそういうことをする以上「伝える」っていうことの難しさを非常に強く感じていて。ただでさえ私は初めて演劇に挑戦したのに、自分が辞書を何度も引いてようやく理解に辿り着く台詞の数々を伝わりやすくするにはどうしたらいいんだろうって、すごく悩みました。多分母語話者同士で共通理解が成立している言語であったら言葉遣いやイントネーションなど言葉の端々からニュアンスの様なものって伝わりやすいと思うんですけど、それがないので難しいと感じました。悩んだ結果、私は身振り手振りの工夫に行き着きました。以前クラシックバレエを習っていた経験があって、バレエのお舞台も大好きで見るんですが、バレエには「マイム」っていう演技方法があります。バレエには台詞がないので身振り手振りで感情や物事を表すのですが、演技者とお客様をダイレクトに繋ぐ台詞が無いという意味で、もちろんロシア語がお分かりになる方も見にいらしてくださると思うんですけれども、お客様全員には台詞の意味を直接伝えることができないという意味でバレエと語劇は共通しているのかもしれないって思ったので、体や目線、手や指先の動かし方をバレエを参考に考えていました。例えば、「あなた」や「私」、「愛する」など、手振りで伝わりそうなところはできるだけその動きだけでも伝わるようにと考えつつ、バレエから参考にした動作もありますし、自分なりにこれだったら伝わるかなって考えて、新たに考えた動作も混ぜつつやってみましたね。

言葉の他に「伝える」ためのツールとして自分の体全体も使うようにしたということで、「伝える」難しさを乗り越えられたと言えるかどうかは見てくださる皆さんに伝わったかどうかになるのでまだわからないのですが、私はそういう感じで克服をしようと今試みているところです。

やりがいを感じる瞬間は、冒頭で山口さんが言ってくださったみたいに本当に前例のない題目なので、それをみんなとほとんど一から作り上げるっていう経験そのものですかね。大きな壁でもあるんですけど素晴らしい挑戦の機会だと思うので、解釈や表現に行き詰まって悩むことも多いですが、楽しい気持ちの方が大きいです。有名な題目だったら多くの前例があると思いますしそれを見て学んで参考にすることができる分、難しい点はオリジナリティを出すことなのかなって勝手に想像してるんですけど、反対に今回のロシア語劇はそうしたお手本みたいなものがほとんど無い分、生み出す苦しみが多い気がします。でもだからこそ1人1人の役者さんと、役者以外のスタッフの皆さんがしてくださっている仕事っていうのが唯一無二で特別で、1本1本の糸のようになってもう本当に文字通り1から舞台を織り上げるっていう感覚になるので、練習のたびに本当に素晴らしい経験をさせてもらっているなと思います。だからみんなには感謝の気持ちでいっぱいですね。

 

真部:役者をする時に苦労したことは、演技をすること自体ですね。りさこちゃんと同じく私も演技をするのが初めてで、やっぱりそれ自体が結構難しかったんです。台詞を暗記して言うところでは時間をかければクリアできたんですけど、演技をするには次の段階がありました。台詞を結局覚えて言うだけじゃなくて、言いながら動作をつけたり、誰に向かって言っているのかを示すために目線を変えたり、自分以外の役者の発言にも反応したり、今どういう状況に置かれていて、何を考えながらこれを言っているのか考えたり、同時にやることがこんなにも演技って多いんだなって感じました。それが本当に難しかったです。ステージの上で練習が始まってポーズをつけた途端、台詞が飛びました。覚えたはずのところでもやっぱり同時に全部はできなくて…。1つ気を付けると他のどこかを間違えてしまう、そういうのがすごく最初は多かったです。結局それは演出の方とも相談しながら解決していきました。アドバイスされたのは、「台詞を完璧に言えるようになることと、それに合う動きをつけられるようになることを同時にやっていくのは難しい。どちらか重点を置くポイントを変えながらやってみるといいかもしれない。つまり、まずは台詞を完璧に言う方を優先的にやって、だんだんと動きをつけるようにしていく。逆も然りで、最初動きを念頭に置いて、とりあえず何を指摘されても台詞は多少こぼれていいやと思って動きを完璧にやる人もいる。」だからまあいっぺんに全部できるようにならなくても、ちょっとずつできるようになったらいいやっていう感じでやっていたら、だんだんと自分の中でできるようになっていきました。

やりがいは、役者をやっていや感動とか喜びが大きいっていうのは結構思っています。例えば私は演劇に携わるのが初めてですが、今まで演劇とかドラマとか何か見るとしたら娯楽として見る立場で、見て終わりだったから、それができるまでを体感したことがありませんでした。台詞覚えからもそうですし、役者以外の方もたくさん携わっているので、裏側も全部見ながらだんだんと作品が作り上げられていくのを見ることができたのはすごく楽しかったです。それに関して言うと、練習を1人でやっている時は、他の人の台詞を読みながら一応目で見て確認するんですけど、その場に自分しかいないので他のシーンがリアルに想像できないんです。でも本当に役者が集まって練習するとそのワンシーンができ、物語が出来上がっていく箇所がちょっとずつ増えていくことにすごく達成感を感じて、楽しかったですね。あと私は文学作品も読むのは好きなんですけど、読んで終わっちゃうことが多くて。でも劇をやっていると、どういうところに気を付けようとか、ここはこういう解釈のためにこういう動きをしようとかみんなで考えました。それをやって思ったのは、文学作品には、作者自身の意図や考えがこんなにも全体的に散りばめてあるんだということです。ここはこういう関係で、何を象徴しているのだとわかった時、作品をより深く味わえるというのも役者をやってるからこその喜びだと思います。あと最後に1つ思ったのは、1人で台詞を見て覚える時、他の役者さんの台詞の日本語を見ながら流れを把握していったんです。私の台詞の前後の状況を想像しながら練習してたんです。それで、いざ稽古でみなさんが演技してるの見たら、まるで自分がずっと見ていたドラマの役者さんを生で見たような気分になりました!ずっと読んでた部分を本物が喋ってると思うとすごく楽しかったです。作品を読みこんだうえで演じるからこそ味わえた楽しみですね。

 

山中:そうですね、役者としての苦労としては僕も演劇をやるのは初めてで。あとはそもそも演劇ってやっぱりすごく表情豊かに喋り方が表情豊かでないといけないと思うんですけど僕はすごく笑顔を作ったりすごく顔に表情を表したりするのが苦手で、いつもムスッとして。日本語喋る時も結構ちっちゃい頃から親にお前なんかいつも平坦にしゃべるよなみたいに言われてきたので。そこを役になりきってすごく抑揚をつけてそれも外国語ですごく豊かにそこに感情を込めてやらなきゃいけないというのは僕にとっては簡単なことはないなと思って。今もあまりうまくできてると思わないんですけど、イメージをつけながらどういう風にやればいいのかっていうのを考えながら覚えていこうと思って。例えばセリフのイントネーションだったら、やっぱりアクセントの位置を一つ一つ調べて、ネイティブの先生の声を聞いてっていうのもあるし。あとは実際にこういう喋り方でやるのがいいんだろうなあって自分が思う感じの声を持つロシア語圏の人が喋ってる音声を実際に聞いてみるというのもやりましたね。僕にはやっぱり王らしく威厳があって、威圧的ななんかすごい図太い感じの喋り方が必要だと思ったので低い声で威厳のあるような喋り方をするロシア人男性の音声が見つかったのでそれを色々聞いてこの人がこのセリフ喋ったらこんな感じで喋るだろうなーっていうのを思い浮かべながらやっていました。まあそうやって色々工夫しないとやっぱり自分の素のまま喋るとどうしても平坦になってしまうので、そういうところをいろいろやらなきゃいけなかったっていうのは苦労一つかなとは思います。あとは、僕の台詞の覚え方からして、台詞の順番を正確に覚えることはそう簡単にはできないし最初の単語が出てこないと全部飛んじゃうしとか。そこは何回も練習して実際に稽古で練習して他の人たちのセリフの流れとか最後の方の台詞の単語とかそういうのも流れでちゃんと理解できるようになるまで結構力を入れてやっていたところかなと思います。やりがいというか、やっていて楽しいことは自分が普段と違う人格になっているかのような感覚になれるっていうのはすごくやって楽しいですね。こんなに人のことを口汚く貶めたりもしないし威圧的に喋ることもしないし。でもそれをやって別の人間になるような感覚がすごく楽しいですし、周りの人たちがそうやって別の人間になっているのも面白いなと思いますね。いろいろみんなでイメージを共有しながらやっていくというのはすごく練習していて楽しいところです。

 

山口:最後に一言お願いします。完全なる宣伝を行っていただくのでも構いませんし、これだけは最後に言っておきたい!というものがあれば、ぜひお願いいたします。また、こういうところに注目してほしいとかありましたら、よろしくお願いします。

 

彰:ドゥリチニェーヤ、マリギスタが抱える思いをできるだけ沢山伝えられたら良いなと思うと同時に、本公演で描かれる舞台のきっかけのキャラクターとして、皆様をこの壮大な世界へお連れできるように頑張りますので、楽しみにしていてください!

 

真部:この演劇は悲劇の作品ではありますが、登場人物たちがなぜそのように行動していったのかに注目すると、かなり惹きつけられる作品だと思います。私は最初読んだとき、これからの展開に目が離せないと感じました。見るに堪えない悲劇というよりかは、ある意味痛快な印象を私は受けました。観にきてくださる方には、ぜひ話の展開を楽しんでいただきたいです。私が演じるアリギスタは美貌を象徴する役なので、普段しないような動き方を頑張って習得中です。努力していきますのでぜひご覧になってください!

 

山中:この劇はすごい悲劇で決して明るく楽しくというものではないですけれども、破滅的な結末に向かうまでの間にそれぞれのキャラクターたちの生きている力強さというものがこの劇にはいろいろ現れていると思って。それぞれが何か強い気持ちがあって、それゆえにすごく悲しんだり怒ったりっていう感じだと思うので、悲劇であったとしても暗くても、憂鬱な雰囲気ではなくて。暗い中にも何か生命力があるっていう力強さはあるという。この戯曲は舞台がロシアではないんですけれども、ある意味ロシア的なものだと思うんですね。あとは、ロシア語で書かれている意味というか、ロシア語で書かれたからこそ出せる雰囲気というのもあると思いますし。やはりロシア語という言語の響きの美しさでそれをいかに表すかっていうところも含めていろいろ、あと1ヶ月ぐらいで詰めていこうと考えているのでぜひそういうところも楽しみにしていろんな人に来ていただけたらなと思っています。

 

山口:本日は本当にありがとうございました。皆様のお話を聞けて本当に嬉しくて。観客として裏話やこの作品の深い意味っていうのを知れて、本当に良かったと思っています。ありがとうございました。

 

役者の皆さん、ありがとうございました!

ロシア語劇『死の勝利』は11月19日(土)13:00~13:50

プロメテウスホールにて上演されます!ぜひご観覧ください~!!