東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京外大生にインタビュー!第5弾【トルコ語科編】〈後編〉 

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トルコ語科Sさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

<トルコについて>

―話題は変わって、トルコの著名人と言えば、どんな人がいる?

ノーベル文学賞受賞者のオルハン・パムクとかかな。あと、初代大統領のケマル・アタテュルクとか。アタテュルクに関しては、今も英雄視されていてSNSで彼を礼賛する投稿もよく見かけるけど、実際には評価が分かれているらしい。

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初代大統領ケマル・アタテュルクの肖像

―トルコの文化で有名なものってあるかな?

BS日テレでも放送されてるけど、オスマン帝国外伝」というテレビドラマシリーズはトルコ国内外に人気があるみたい。ロングランで結構ボリュームがあって、なんか「濃かった」から私は途中で見るのを断念しちゃったけど、ハマってる友達もいたよ(笑)なんか、大げさというか、こってりというか(笑)音楽では、男性ポップ歌手のTarkan(タルカン)さんが人気だと思う!

 

タルカンさんの動画↓

www.youtube.com

 

Tarkanさん、イケメンだね!なんかトルコ人って美男美女が多い気がするよ!ウクライナもそんなイメージがあるけど、やはり文明の交差点だからこそ、ということかな。

そういえば、文明の交差点といえば、イスタンブルって猫が多いと言われているんだけど、すごい色んな種類の猫がいるんだよね。一説には、ヨーロッパ各地からイスタンブルを訪れる船に乗り込んでいた猫がイスタンブルで降りたから、らしいよ(笑)

 

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―今日はありがとう!興味深くお話聞かせてもらいました!

こちらこそ!

 

【ロシア×トルコ】

―受験生必見高校世界史で登場するロシア×トルコ―

 

ビザンツ帝国スラヴ人の関係

現在のイスタンブール(トルコの主要都市)は、もともと、紀元前7世紀半ばにギリシア人の植民市として建設された都市で、その時の名はビザンティオンといいました。前2世紀にローマ帝国支配下におかれますが、地理的に重要意味を持っていたこともあり、330年には時のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によってこの地に首都が移されました。帝の名を取り、コンスタンティノープルという都市へと名称が変わりました。

395年にローマ帝国が分裂し(ちなみに私は「さっくりごぶにぶんれつ」と覚えました、五分じゃなくて二分ですが…)、西ローマ帝国が滅亡(476)した後も、コンスタンティノープル東ローマ帝国、そしてビザンツ帝国の首都として重要な役割を果たすことになりました。(ビザンツという名称は、ビザンティオンがもとになっています!)

そして、1054年キリスト教の教会が東西に分裂し、ギリシア正教が成立しました。現在もギリシア正教の総本山はコンスタンティノープルにあります!ビザンツ皇帝はギリシア正教会の宗主権を握っていました。

そして!ここからがロシアと関連するところですが、ビザンツ皇帝はスラヴ人たちにギリシア正教を布教するため、彼らの住む地域に宣教師たちを派遣しました!キリル文字が考案されたのも、布教のためです。現在でもロシアで広く信仰されているロシア正教会は、元を辿るとここに行きつくのですね!

 

キリル文字の歴史については、こちらのリュボーフィの記事もチェック!↓)

世界史選択必見!キリル文字でたどるロシア史 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

キエフ公国のウラディミル1世がビザンツ皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗&国教化したり、モスクワ大公国のイヴァン3世がビザンツ皇帝の姪と結婚してビザンツの継承者として「ツァー」を自称したりと、ビザンツ帝国とロシアの間にはかなり深い関係があります。

 

②  近代史におけるロシア×トルコ 東方問題など

19世紀頃のオスマン帝国をめぐる、不安定な国際情勢を指して「東方問題」と呼ぶことがありますが、ロシアもこの問題に強く絡んでいました。帝政時代にロシアが南下政策不凍港や地中海への出口を求める政策)を繰り広げ、その際にオスマン帝国とも衝突しました。特に知られているのが19世紀のクリミア戦争(1853)と露土戦争(1877~78)ですが、さらに前のピョートル大帝の時代からオスマン帝国との衝突は起こっていたようです。17世紀から19世紀の200年間で大小合わせて12度も戦争をしていたというのですから、驚きます…。

ロシアもオスマン帝国も、これらの時期には様々な国と戦争を繰り広げているため、もちろん二国間の戦い以外にもさまざまな要因がありますが、両国の衝突はそれぞれ自国の近代化改革を促してもいます。例えば、ロシアの場合、クリミア戦争の敗北がアレクサンドル二世による国内改革を促しました。いっぽう、ミドハト憲法をはじめとするタンジマート(恩恵改革)が進んでいたオスマン帝国では、露土戦争の際に「緊急事態だ!」ということでアブデュル=ハミト2世が専制を復活させてしまいましたが、戦争に敗北し、これが1908年の青年トルコ革命へと繋がっていきます。また、オスマン帝国露土戦争の敗北によってバルカン半島を失い、帝国の領土は現在のトルコ共和国のそれにかなり近づきました。バルカン半島の喪失により、帝国内のトルコ人の割合が高くなりました。このこともトルコ人の団結を強めた一因です。

 

③ 最近のロシア×トルコ

直近のニュースといえば、今年(2020年)の9月にアゼルバイジャン領のナゴルノ・カラバフ自治州を巡り、アゼルバイジャンアルメニアの間で大規模な戦闘が勃発したことが挙げられます。10月10日にロシアの仲介によってアゼルバイジャンアルメニア両国の停戦が発効しましたが、今後の情勢がどうなるかは不明です。この紛争について、一見ロシアとトルコは何も関係がないように思えますが、アルメニアはロシアの同盟国です。一方で、トルコはアゼルバイジャンを支持しています。

また、中東情勢においてもロシアとトルコが対立する場面は多く、必ずしも両国の関係は良好とはいえないようです。トルコがNATOの加盟国であることも影響しています。

 

(ロシアと中東の関係については、こちらのリュボーフィの記事もチェック!)

ロシアと中東情勢 〜シリア停戦合意の裏で〜 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

ただし、エネルギー産業では手を結んだりと、利害に応じて対応を変えるなどなかなか複雑な関係を結んでいるようです。

少なくとも現在のロシアとトルコに関して言えば、対立をしていると言ってもあくまでもそれは外交上の関係においてであり、国民レベルでは特に互いに特別な印象を抱いているわけではないように思います。

 

④ トルコに興味を持ったあなたへ!

「トルコを知るための53章」が入門書としておすすめです!ぜひどうぞ!

 

文責:トモヒト