東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

ナディヤ・コベルニック先生【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● コベルニック・ナディヤ

1981年、ウクライナのキエフ生まれ。国立キエフ言語大学卒業。東京外国語大学修士課程卒業。東京外国語大学博士課程満期退学。学部生時代のご専門は教育学や教授法、言語学(日本語・英語)、院生時代のご専門は言語学です。大学では特定外国語教員として1年生と2年生のロシア語(会話)の授業、ロシア語Ⅲ(※3年生以上のロシア語の授業のこと)の授業を2コマ担当されています。

  

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魅力あふれる故郷 ウクライナ・キエフ

先生の故郷について教えてください。

私はウクライナのキエフ出身です。人口は大阪より少し多いくらいの大きな街で、キエフ公国の首都でもあるので歴史もあります。古い建物が多く、緑に囲まれた落ち着いた雰囲気の都市ですね。

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赤いピンが留まっているところがウクライナの首都キエフ

 

ナディヤ先生が思う、キエフのアピールポイントは何でしょうか。

簡単にまとめると、気候は過ごしやすく街並みが綺麗で、歴史的な場所もあって、料理もおいしい…!(笑) 日本ではこの辺りの地域の料理、特に伝統的なものはまだそれほど有名ではないと思うのですが、結構おいしいですよ。ミニストップ(コンビニエンスストア)にはキエフ風チキンカツレツが売っています(「チキンキエフ」)。そして、沖縄でサーロ(脂身の塩漬け)を見つけたときはびっくりしましたね(笑)

 

ウクライナは東部と西部で対比されることがありますが、実際に両者に違いはありますか。

まず、ウクライナは多民族国家なので、ウクライナ人やロシア人の他にも、ギリシア人やユダヤ人、アルメニア人、クリミア・タタール人などいろいろな民族の人が住んでいます。「どの民族が多く住んでいるか」によって食文化などが少しずつ異なることはありますね。また、最近だとクリミアから避難したクリミア・タタール人たちが各地でレストランを開いています。避難せざるを得なかったことは大変悲しいことですが、不幸中の幸い、各地でクリミア・タタール料理のレストランが出来たおかげで、この料理のおいしさがさらに多くの人に知られるようになりました。

東西の違いについては、西部はウクライナ語を使って生活している人が多いに対し、東部は日常生活では主にロシア語を使う人が多く、ロシアのテレビ番組を観ている人が多いので、ロシアの考え方に影響されやすいことは現状です。特に軍事衝突が起きている地域ではその傾向が強いと思います。

 

コロナ禍の今、何か故郷について心配していることはありますか。

もちろん、コロナ禍で家族や友人の健康や生活については心配しています。万が一ウクライナに行く途中で感染してしまったら親にうつしてしまう可能性があるので、やはりウクライナにはなかなか帰れませんね。

 

ウクライナや東欧の料理が食べたい時にはどのように食材を調達していますか。

東京にはいろいろな食材を売っているお店がありますし、オンラインで購入することもできるので、特に苦労することはないですね。夫はロシア人でお互いの家庭料理のイメージが似ているので、2人で相談しながら何を調達するかを考えています。

 

ウクライナへの渡航ができるようになったら、何をしたいですか。

誰でも同じだと思うんですけど、親、親戚と友人に会いたい、そしてお母さんの手料理を食べたいです。あと、最近ウクライナでブームになっているウクライナの伝統料理を食べに行きたいですね。伝統料理は地域ごとの特徴が出やすく、昔のレシピを知っているシェフがその伝統料理を再現したり、現代風にアレンジしたりしたものも増えてきているので、それを食べてみたいですね。

 

教育学と言語学を学んだ学生時代

 学部生・院生時代のご専門は何ですか。また、現在も研究を続けていらっしゃいますか。

学部生の頃の専門は日本語と英語の教育学や教授法、第二言語習得でした。大学院は言語学が専門でした。修士・博士課程では動詞・文法をメインにやっていて、具体的に言うと修士の時は移動動詞、博士の時は-ся動詞、動詞の自他(自動詞と他動詞のこと)について研究していました。現在も専門は変わっていないのですが、子どもがまだ2歳5か月なので研究しようと思ってもなかなか手が回らないという状況が続いています。子育てに余裕が出来てきたら、研究に戻りたいとは思っています。

 

院生時代に日本語で論文を執筆した際に苦労した点はありましたか。もしあれば、どのように対処(克服)しましたか。

専門用語を覚えるのが大変で、非常に時間がかかりました。ひたすら他の論文を読むなどして専門用語を覚えました。また、必ずネイティブチェックをしてもらっていました。

 

院生時代にウクライナ語・ロシア語話者の日本語学習に関する論文を書いたとお聞きしたのですが、ロシア語話者の日本語学習と日本語話者のロシア語学習の難しさは何だとお考えですか。

一番の違いは文法だと思います。日本語は漢字や音読み・訓読みを覚えるのは大変で、敬語の使い方も難しいです。ロシア語の学習となると、移動動詞や動詞の体、-ся動詞だと思います。例外が多くて覚えるのが大変だと思います。

 

学部生・院生時代の研究は現在の職業にどのように繋がっていますか。

学部生時代は教育学や教授法について学んでいたのですが、その時に合計3か月の教育実習を受けました。その経験は教師になるうえで非常にためになりました。また、日本への1年間の留学から戻ってきた大学5年生だった時(※当時ナディヤ先生の大学では、大学での教育を5年間受けた人はスペシャリスト学位(学士と修士の中間のような学位)だったそうです)、母校で日本語を教えることになり、学部生最後の1年半は大学で勉強しながら日本語を教えていました。修士・博士課程のために外大に来てからはロシア語や英語をプライベートレッスンで教えることがありました。また、留学生が日本の小学校で生徒に自分の国について教えたり、英語を教えたりするプログラムに参加しました。これらの経験は現在の職業にそのまま繋がっていると思います。

 

つまり学部生・院生の時から教えるということに興味があったのですか。

そうですね。なんとなく教育の方に進んでいました。通訳の仕事や翻訳の仕事などを実際にやったり、大使館で働いてみようかなと思ったりすることもあったのですが、今までの教えるという経験が凄く楽しかったので現在教師をしています。

 

取材・執筆担当:芝元さや香(4年)、外山夏帆(3年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

前田和泉教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

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↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

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ロシアゴスキーでロシア語好き♡に

 ロシア語の初学者・中級者向けの学習のコツは何ですか。

共通して言えるのは、自戒を含め「間違えることを恐れないで」っていうことかな。語学を勉強していたら間違えるのは当然で、間違うことで自分が何を分かっていないかが分かるから、すごく大事だと思います。でも、特に日本人って間違いを恐れがちじゃないですか。多分、「間違っちゃいけない」っていうプレッシャーを学生さんは感じていると思うんだけれども、そういうことを考えない方がよくって、「どんどん間違えなさい」っていうのが一番のアドバイスかな。間違いは間違いで面白いし、そもそも言語っていうのは間違いながら進化していくものですので。

 

先生の出演作『ロシアゴスキー』についてお尋ねします。出演のきっかけを教えて下さい。

※「ロシアゴスキー」…水曜0:00~0:25 火曜5:30~5:55 Eテレ放送2017年度から続く、現地で役立つ初歩の旅行会話を学べる、ポップで楽しいロシア語講座の番組!!!

Eテレ語学部に外大の卒業生の方がいらっしゃって、その方の誘いがきっかけですね。 

 

視聴者にロシア語を教えるうえで意識していたことは何でしたか。

『ロシアゴスキー』に関わった時に一番意識していたのは、あまり難しさを出さないようにすることでした。ロシア語に限らず、何かの語学を本気で勉強しようとすると、どんな言語にも絶対壁があると思うんです。ロシア語に関しては、あまりにも「難しい」とか「ロシアって怖いし暗いし、何考えているのか分からない」といったネガティブな印象が一般にはあるので、「難しいことにはなるべく触れず、とにかく間口を広げよう、まずはロシアとロシア語に興味をもってもらおう」と思っていました。「ロシア語ってこんなに簡単で楽しいんですよ~、これだけ分かれば喋れますよ~」って演出しようというのは、『ロシアゴスキー』に関わったスタッフ全員が考えていたことでした。

 

私はロシアゴスキーのファンなのですが、まんまとはまっているような気がします(笑)

うん、そうなんだよ(笑) ロシア語専攻の子でも時々、「『ロシアゴスキー』を見て、それで入りました」っていう学生さんがいるんだけど、ロシア語を本格的に勉強しているうちに「騙された…」って思っているかもしれない。「話違うじゃん」って(笑)

 

でも、視聴者の方々はロシア語の勉強楽しめているはずですよ(笑) 

良かった(笑) 語学の楽しさってまず知るきっかけがないと成立しないし、勉強が難しくてもその中で楽しいことって必ずあるじゃないですか。そのきっかけのための番組が『ロシアゴスキー』だと思っています。

 

『ロシアゴスキー』に登場する、そっくりな前田先生人形に一言ありますか。

よく似ているって言われるし、自分でも似ているなって思うので、たまに代わりに会議に出るなり仕事してほしいかな(笑)

 

今の外大生へ

先生の在学時の外大生と今の外大生の印象に違いはありますか?

今の外大生の方が垢ぬけていて、真面目な感じ。今の方がよっぽどキラキラしている。私たちの時はキャンパスも地味だったし、全体的に地味な感じはありました。

ただ、変わらない外大生らしさのようなものもあって、それを感じたのは外大に非常勤として勤め始めて最初に新しいキャンパスに来た時。昔の西ヶ原の超ボロかったキャンパスと比べるとものすごくきれいで、私立の大学みたいだなと思いながら研究講義棟に足を踏み入れました。新しくてキラキラしているんだけど、でもなんか外大生のにおいがするなってその時思ったんですよ(笑) それが今でも変わらなくて。例えて言うなら、プロ野球チームのユニフォームがおしゃれになったけど、根幹部分は変わらないみたいな。外大は私にとってホームなので、外大生と話しているとすごく楽しいです。

 

最後に、今後ロシアに関わりたいと考えている外大生に向けてメッセージをお願いします。

「愛(любовь)があれば、道は開ける!」

直接ロシアと関わる仕事に就ける人は結構限られていると思うのね。でもロシアとは関係ない仕事に就いても、ロシアに対する関心や愛情を持っていると、何となく縁が続くものです。会社に入ってから数年経ってから仕事でロシアに関わることができるようになることもあるし、プライベートでロシアとかロシアの文化とつながることもある。私のゼミの卒業生に、仕事はロシアとは全然関係ないんだけど今でもロシアがすごく好きな人がいて、ロシアの本をたくさん読んだり、インターネットでロシアの服を買ったりしているそうです。そういうつながり方もあるんだって思いましたね。あと、場合によっては仕事を辞めてから改めてロシアに留学に行く人もいるので、人生の中でロシアとの関わり方って色々あると思うんですよ。ロシアに対する愛情や関心を持っていれば何らかの形で何かがつながってくるので、「愛(любовь)あるところに道は開ける」と私は思います。

 

 

普段はなかなか聞くことができない貴重なお話をして下さり、本当にありがとうございました!

『ロシアゴスキー』や授業にて見られる、少し自由奔放でお茶目なところのある前田先生だけでなく、元外語生・かっこいい研究者としての前田先生のお話を聞かせてもらえて本当に楽しかったです!

  

取材・執筆担当:長谷川公樹(3年)、矢田安曇(2年)、市薗雅貴(2年)

 

↓最後に、記事を読んだ感想をぜひお聞かせください!お寄せいただいたコメントは先生方にも共有させていただく場合があります。

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前田和泉教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 前田和泉/MAEDA Izumi

東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科 卒業、東京大学大学院人文科学研究科欧米系文化研究専攻スラヴ語スラヴ文学専門修了。現在、NHK Eテレでロシア語講座『ロシアゴスキー』の講師(及び声の出演)も務めている。最近出版された訳書にミハイル・レールモントフ詩, ミハイル・ヴルーベリ絵『デーモン』(ECRIT, 2020年, 単訳)がある。

  

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学生時代

 なぜ外大のロシア語科を選ばれたのですか?

まず、家が裕福だったわけではないので、国立志望でした。

皆さんは、千野栄一先生はご存知でしょうか?彼の「外国語上達法」という当時ベストセラーになった本を読んだときに、奥付に「東京外国語大学」と書いてあって、この大学のことを初めて知りました。もともと、言語や海外の文化に興味があったこともあり、外大を目指すようになりました。これが外大を選んだ経緯です。

なぜ、ロシア語にしたかというのは…よく覚えていませんが、なんとなくです(笑) 実は、最初からロシアが大好きというわけではありませんでした。当時は、ちょうどペレストロイカの時期で、全世界的に「ソ連ではこれから面白いことが起こるぞ」という雰囲気になっていたのもあります。あと、高校時代にドストエフスキーなどのロシア文学を読んでいたこともあります。

それと、西ヨーロッパのキラキラしているメインストリームの言語はあえて選びたくありませんでした(笑)

 

多くのロシア語科の学生は、まさか先生が「なんとなく」でロシア語を選んでいたとは思っていないと思います!そこまでは、ごく普通の外大生だったんですね。

そうそう。何か期待していたわけでもないけど、入ってから面白い発見がどんどんと現れて、気が付いたら沼にハマっていました。

 

「自分は専攻言語へのこだわりが弱い」と入学当初不安になる外大生も少なからずいると思うのですが、先生の今のお話でそのような学生も勇気をもらえると思います。

ほんとその通り!ロシア語科の場合は、逆に「ロシア大好き!」って言って入ってくると、「ロシアは好きだけど、ロシア語の難しさに心が折れる」というケースが結構あったりしますから、ロシア語へのこだわりがあまりない方が、入ってから伸びる気はします。

 

大学生の頃はどのような学生でしたか?

一言で言うならコミュ障、今で言う陰キャでしたね(笑) そう見えない?今でも人見知りなんだけど(笑) なので、沼野(恭子)先生といるときは、大体その影に隠れて代わりに喋ってもらっています!

 

ちなみにサークルは?

ルムーク (東京外国語大学ロシア民謡研究会)にちょっと顔出してたんだけど、あまり行かなくなってしまいました。集団行動は苦手なので(笑) 自分では所属していたつもりだったけど、気づいたら除籍されていました(泣) 代わりに3年生になってから亀山先生(東京外国語大学ロシア語科卒のロシア文学者。元東京外国語大学学長、名古屋外国語大学現学長。)主催のロシア文学の読書会に参加するようになって、それが私にとってサークルのようなものでした。

 

どのようにロシア語を勉強していましたか?ロシア語はどの程度真面目に勉強していましたか?

それは結構勉強していましたよ。ロシア語の文献も自分でどんどん読んでいました。大学2年生の頃からロシアの詩を読むようになって、面白いなと思ってからは自分でガンガン読んでいました。その意味では、結構真面目に勉強していたと思います。

ただ、授業を真面目に受けていたかというと、また別です。あまり面白くないと感じていた授業は手を抜いていましたよ(笑)

授業で一生懸命勉強するというよりは、自分で読みたいものを読むというような勉強法でした。

 

「手を抜くところは抜いていた」と聞くと、なんだか親しみが湧きます。ちゃんと大学生だったんだなと。

そうですよ、ごく普通の大学生でしたよ。

 

ロシア語以外にはどのような言語や分野に取り組みましたか?

学部生時代は、ロシア語が一番面白かったので基本的にロシア語しかしませんでした。当時は、今のような教養外国語の授業はなかったんです。院生になってからは、ドイツ語やフランス語も勉強しました。

 

何か失敗談はありますか?

色々ありますよ。先程言ったロシア詩の読書会ですが、ロシア文学の勉強だけでなく、その後の飲み会も目的の一つだったんです。そこで、実は自分はお酒が強いと分かってしまって、それ以降、お酒で失敗することが結構あったんです(笑)

当時のキャンパスは西ヶ原にあったのですが、飲んでいて終電を逃してしまったときは隣の染井霊園という墓場で夜明かしをしていました。

あと、読書会を開いて下さっていた亀山郁夫先生に、一度だけ飲みすぎて介抱させてしまったことがあります(笑) その後、亀山先生には「前田さんはお酒ダメだから!」と言われてしまいました(笑)

 

こういうエピソードを聞きたい人はたくさんいると思います(笑)

次の質問です。学部・院生時代の留学経験はありますか?

当時はやっぱり今よりも留学するのがすごく大変で、学部時代はまったくロシアに行ったことがありませんでした。大学院の博士後期課程にいた時に、2年間モスクワ大学に行ったのが私の初ロシア体験です。当時の私は海外自体まだ二度目なのに、ロシアでいきなり2年間長期留学するの!?って感じでした。

 

―二回目でいきなりロシア留学はすごいですね。

そう、だから右も左もわからないし、アエロフロート(ロシアの民間航空会社) が超ボロかった(笑) 飛行機もシェレメーチェヴォ空港も、今は改装されて綺麗になりましたが、当時はすごく暗くてまだ共産主義の名残を感じました。なんか下手なことしたら逮捕されるんじゃないかというような暗さを湛えた空港で、大変ビビりながら行ったのを覚えています。

 

なぜモスクワを選んだのですか?

首都だったし一番有名だったからです。でも、そもそも選択肢がなかったんですよね。今だったらロシア人文大などいろいろな大学がありますが、当時は大学に関する情報すらもなかったし、ロシアで知っている大学といえばあとはサンクト・ペテルブルク大くらいでした。

 

そうなんですね。ロシアの第一印象はどんな感じでしたか?

暗くて怖くて大丈夫かなといった感じですかね。本当に右も左もわからない状態で行ったんです。着いた次の日にとりあえずモスクワ大学のキャンパスに行きました。これがとっても広いのね!色んな建物があって、どこへ行ったらいいのかさっぱりわかりませんでした。向こう(ロシア)に行くと分かると思うけれど、手続きが本当に面倒くさいの。あっちこっちたらい回しにされて、こっちで払い込みをして行列に並び、領収書を持ってあっちに行く…という感じで途方に暮れていました。その時、アジア系の男の子2人が通りかかったので、ロシア語で声を掛けたところ、その方々がたまたま日本からの留学生だったんです。何か用事があったかもしれないのに、その日半日ずっと見ず知らずの私に付き合ってくださって、どこへ行けばいいのか細かく教えてくださったおかげで、手続も無事済みました。それがなかったら私あそこで行き倒れてたんじゃないかと思うくらい。お礼は言ったんですが、名前すら教えてくれなくて、「こういう時はお互い様なので」と言ってそのまま去っていきました。すごくかっこいい2人でした。

 

すごくかっこいいですね!

本当にあの2人には今でもすごく感謝していて、名前もちゃんと聞いておけばよかったと思います。そういうことがあったので、私も困っている人がいたら助けてあげたいなと思いながら2年間過ごしました。

 

すごく素敵な出会いですね。

はい。ロシアは怖かったんだけど、困っていたら助けてくれる人もいる国なんだなというのがだんだんわかってきましたね。

 

留学中の一番の思い出は何ですか? 

色々あるんだけど、ホームステイ先のおばあちゃんが作ってくれたご飯が超美味しかったこと!これが一番の思い出で、そのおばあちゃんのキャラクターも含めてずっと心に残っています。あまりにも美味しかったが故に、9キロ太りました(笑) 留学後に会った友達が見てはいけないものを見てしまったかのようなリアクションをしていました。私はちょっとやばい領域に入りつつあると自覚してその後ダイエットしました(笑) そういう後日談も含めて、美味しい料理を今でも思い出します。当時は美味しいレストランとかがあまりなかったので、手料理が一番でした。今でもロシアですごく高級で美味しいレストランに行っても、あの時のおばあちゃんの手料理にかなうロシア料理はないと私は思っています。

 

ちなみに特に美味しかった料理や、一番印象に残っている料理はありますか?

ボルシチとかごく普通の料理が美味しかったです。あとはプロフというウズベキスタンの料理も美味しかったです。多彩な料理を作ってくれました。

 

へえ~~すごいですね!!

あと印象に残っている料理としては…そのおばあちゃんがいたずら心のある方で、ある時白いフニャフニャした料理が出てきて「これ何?」と聞いたら、「ふふ~ん」とか言って教えてくれないわけ(笑) 「まあ、とりあえず食べてみなよ」と言われて、何だろうって思いながら食べたら結構美味しかったんです。白子みたいな感じの食感の料理で、「美味しい!これ何?」と聞いたら、それが牛の脳みそだったの(笑) びっくりしたんだけど、実は私ゲテモノ料理が割と得意でね。「あっそうなんだ~」とリアクションしたら、おばあさんとしてはもっとびっくりするのを期待していたらしくてちょっとがっかりされたので、なんか申し訳ないなと思いました(笑) やっぱりそのおばあちゃん絡みの思い出が一番多いかな。

  

ツヴェターエワと共に

次に、研究についての質問です。何について研究されていますか。

20世紀のロシア詩が専門で、その中での主題はマリーナ・ツヴェターエワ (Марина Цветаева, 1892-1941 恋愛に関する機知と情熱、憂愁に満ちた作品を多数詠んだ。)という詩人です。学部の卒論も修士・博士論文も全部彼女で書いたので、私の一番の原点になっている作家です。

 

マリーナ・ツヴェターエワ 、調べてみましたが、壮絶な人生を送ったようですね。 

その通り。すごく壮絶なんですよ。そういうところを含め、彼女の人生やキャラクターは面白いし、なによりすごい作品をたくさん書いているんです。この人を研究するだけで、博士課程までかかってしまったという感じです。

 

そうなんですね。では、どのような経緯で現在の職業に辿り着いたのでしょうか。

研究者になりたいと思ったのは、亀山郁夫先生に出会ったことが大きかったです。今は「ドストエフスキーの人」っていうイメージがあるかもしれませんが、当時は20世紀ロシア詩もやっていらしてました。先程言ったように、先生の主催するロシア詩の読書会に参加していた訳ですが、亀山先生のキャラクターがあまりにも面白かったんです。「こういう人って何かいいなぁ」と思い、何となく「私も亀山先生みたいになりたい」って考えたのが原点でしたかね。そこから大学院に進んで、研究を続けて、自然と大学教員を目指すようになったという流れです。

 

大学教員になるまでの中で、挫折経験のようなものはありましたか。

そりゃあ、もう挫折だらけでしたよ。これは挫折といえるかは分からないですけど、大学院を出てからまずは非常勤講師をやっていました。非常勤は非正規雇用になる訳ですよ。一年ごとの契約で給料も安いのですが、大学院出た頃は考えが甘くて、「大学院出て2,3年…まあ4,5年したら専門の職につけるかな」って思っていました。でも、やっぱり就職状況は厳しくてなかなか専任のポストが決まらず、結局私は10年間非常勤で働きました。先が見えない辛さがいつもあって、その時期が一番きつかったです。大学の職に就くには、大学の方から「こういうポストがあります」という公募があって、そこに応募して採用される必要があるのですが、何度も落ちましたし、そもそも当時はあまり募集が出ていなかった時期だったので、1年間ロシア語関係のポストの公募自体出なかった年もありました。本当になかなか決まらなくって、その時期が本当に本当に辛かった。今思い出しても涙が出るくらい。やめようかなって思うことも何度もあったし、精神的にはかなり厳しい時期でした。

ただ、そういう中でも自分なりにやりたいことはありました。ツヴェターエワを研究して博士論文まで書いたものの、主にしていたのは作品分析でした。 それだけではなく、彼女の人となり=「人間ツヴェターエワ」を書きたいという思いが博士論文を書き終わった後にもあったので、非常勤をしながら彼女の評伝をちまちま書いていました。非常勤の仕事で忙しく、執筆はなかなか進まなくて、まとまった時間がとれるのは夏休みと春休みくらいしかなかったんですけど、その時期を使って書き溜めていました。先ほどもお話ししたように仕事も決まらなかった時期だったので辛かったですけれども、「これを書ききるまで私はやめられないし、死ねないわ」ってずっと思いながらやっていました。た、最初のころは非常勤だけでは食べてはいけなかったので、昼間は東大などの大学でロシア語を教えて、夜はウエイターとしてお皿を運んだりしていましたよ。常勤になるまでは非常にしんどい時期でしたが、その時に私を支えてくれたのはツヴェターエワと、非常勤で教えていた学生さんたちでした。生活自体は厳しかったのですが、教えること、教えていた学生さんとお話しすることはすごく楽しかったので、学生さんたちにも相当救われていたなぁと思います。そして、なんとか10年間生き延びて、母校である外語大に就職することができて今に至るっていう感じですね。「研究職は大変よ!」という話です(笑)

 

そうだったんですね。これほど研究職が大変だとは想像していませんでした。 

研究職やっている人間にとってはこれくらい当たり前っていう感じなので、多分こういう経験は私だけのものではないですよ(笑)

 

そうですか。しかし、研究職が過酷であるということによりも、前田先生がここまで過酷なことをしていたっていうことに驚いているような気がします(笑)

そう…見えないよね(笑) もっと暢気に生きているように見えるかな(笑) 多分、あと1,2年のうちに専任のポストが決まらなかったら辞めていたかもしれません。

 

その中で、研究職以外の道を考えたことってありましたか。

あります、あります。起業しようと思っていたんですよ(笑) この時には既に30代になっていましたし、文系の大学院で文学専攻の人間が今更民間企業に勤めようとするのって無理でしょう。だったら、「自分で会社起こすしかないよね」って考えたんです。その頃は『会社の作り方』とか『株で稼ぐ方法』というような本を読んだりしてました(笑) また、体力的には自信があったので、肉体労働をするのもいいかなと思っていました。研究職じゃなかったら何してたかなぁ…。

 

前田先生ご自身は、研究者として今後挑戦したいことはありますか。

ツヴェターエワの翻訳を出したいとずっと思っています。評伝を出すことは出来たんですが、翻訳を出してほしいっていうお話を、読者の方やロシア詩に興味がある方から聞くことも結構多いですし。訳自体はそれなりに溜まってはいて、原稿を作れば出版してくれるという状態です。あまり時間がない状態が続いているのですが、やるなら本腰を入れてしっかりしたものを必ず出したいと考えています。

また、一般の読者にロシア詩の魅力を伝えるような仕事もしていきたいです。研究者として、ロシア詩の魅力をきちんと言語化したいという気持ちを一番の基盤としているので、そこを突き詰めていきたいです。そのためには、もっともっと色々勉強しないといけないこともあります。単にロシア語やロシア文学だけではなく、場合によっては心理学や脳科学といった範囲にまで踏み込んで、もっともっと多角的にロシア詩を極める。これが、研究者としての今後の目標です。

  

取材・執筆担当:長谷川公樹(3年)、矢田安曇(2年)、市薗雅貴(2年)

 

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バレエ留学で発見!ウクライナのバレエ文化とロシア・ウクライナ料理

Привет(こんにちは)! 言文ロシア語専攻1年のレイアです。今回は初めての執筆になります。よろしくお願いします!!

私は高校生の時に3ヶ月間ウクライナのキエフにバレエ留学したので、今回はウクライナにおけるバレエ文化と現地で食べたロシア・ウクライナ料理を紹介したいと思います。

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 こちらはウクライナを代表するバレエ団がある、タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場です。ソ連時代の3大バレエ団がここで活動しており、私もこの付属バレエ学校に留学していました。 

 

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 2枚目の写真の中央に銅像がありますが、この劇場はウクライナの代表的詩人タラス・シェフチェンコにちなんで名付けられ、劇場の前にはシェフチェンコ通りと呼ばれる、キエフ有数の大通りがあります。

 

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次に、私がキエフのバレエ学校で初めてロシア料理を食べました。有名なものから紹介していきます。

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これはワレニキ呼ばれ、水餃子の水分がないような感じです。私が食べたものは、中にじゃがいもが入っているものがほとんどでしたが、たまに肉が入っているものもあります。ブリヌイ自体に味はないので、スメタナ(サワークリーム)をつけて食べました。

 

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これはボルシチが出た日の昼食(?)です。こんなに赤く見えますが、ビーツでできているため意外とあっさりしていることに初めは驚きました。ビーツ以外にもジャガイモやキャベツなどの野菜が入っており、スメタナをかけて食べます。ウクライナは冬寒いため、野菜は基本ピクルスのような漬物状になっていて生では食べないことが多いです。トマトもキュウリもピクルスの状態で出されますし、キャベツも発酵させたものを食べました。

 

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こちらはカーシャです。ロシア料理では穀物をお粥状にしたものは皆カーシャと呼ばれるため、穀物の種類によって多様なカーシャがあります。これは蕎麦の実で作るカーシャです。これはお米のような食感ですが、小麦粉などで作るカーシャは牛乳や砂糖を大量に入れて煮るため甘く、朝ご飯などに出ることもあります。また、この写真のような野菜スープにはロシアではハーブを入れることが多いですが、そんなにきつい香りではなく、軽い風味付程度です。またこの日はビーツのピクルス状サラダも食べました。ビーツはボルシチだけではなくサラダなどのロシア料理でも頻繁に登場する野菜の一つです。

 

以上、ウクライナをバレエ劇場と料理の面から紹介してみました!ぜひ機会があったら、皆さんもロシア・ウクライナ料理食べて、バレエを見に行ってみてください!ウクライナのキエフバレエは定期的に日本公演を行なっていて、とても綺麗ですよ!!皆さんがさらにウクライナの文化に関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。


 文責:レイア

 

*今日のロシア語*

заниматься балетом(ザニマーッツァ バリェータム)

 意味:バレエを習う

пробовать русскую кухню(プローバヴァチ ルースクユ クーフニュ)

 意味:ロシア料理を試す

 

ロシアの二大バレエ団 〜妥協なき美と躍動〜

Здравствуйте! Дорогие дамы и господа!(親愛なる紳士淑女の皆さん、こんにちは)

言文ロシア語専攻3年の長谷川公樹です。今回は、ロシアのバレエ団について語っていきたいと思います!

 

ロシアには、世界に名を轟かせるバレエ団が2つあります。ひとつは、サンクトペテルブルクにあるマリインスキー・バレエ団。もうひとつは、モスクワにあるボリショイ・バレエ団です。
※日本語と英語では、ボリショイ・バレエ団Bolshoi Ballet /マリインスキー・バレエ団Mariinsky ballet という表し方をしますが、ロシア語ではБольшой балет / Марийнский балетという表し方はせずに、балет Большого театра / балет Мариинского театра(ボリショイ劇場のバレエ/マリインスキー劇場のバレエ)という表し方をするのが一般的です。

 

まず、マリインスキー・バレエ団についてご紹介します。

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このマリインスキーの魅力は、完璧さです!

 

マリインスキーのダンサーは、十分な身長及び四肢の長さを兼ね備えた完璧なプロポーションと、絶対に理想のポジションを外さない精密な技術が求められます。

これを満たすダンサーを育てているのが、ワガノワ・バレエ・アカデミーです。「ワガノワ」の名前は、バレエ経験者であれば必ず聞いたことがあるでしょう。約280年の歴史を誇る世界有数の名門バレエ学校です。

 

このワガノワの魅力とその厳しさが分かる短いドキュメンタリーがあります。↓

www.youtube.com

 

芸術への妥協は一切許されない世界で、過酷な競争を生き残ってきたダンサーにしか表せない精密な美しさというものがあると僕は思っています。

 

このマリインスキーの十八番「くるみ割り人形」の全編が、なんとYouTubeで観れるのです。

www.youtube.com

(時間のない方は、1:21:00から観ましょう)

 

主役のクララ(マーシャ)を演じているのは、アリーナ・ソーモワというプリマ・バレリーナで、僕が知っている中で、最もバレリーナとして完璧、いやそれを超えているプロポーションを持っています。

 

王子役は、ウラジーミル・シクリャローフという貴公子の中の貴公子です。王道のプリンス顔にも関わらず、圧巻のジャンプと情熱的な感情表現を見せてくるのが魅力です。(筆者は、生まれ変わったら彼になりたいという叶わぬ願望を抱いています。)

 

このロシア・バレエの崇高な伝統美を受け継ぐワガノワ・バレエ・アカデミーとマリインスキー・バレエ団は定期的に来日公演を行っているので、日本でも必ず観れますよ!

 


次は、ボリショイ・バレエ団について紹介します。

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あのロシア語の教科書の例文に度々出てくるБольшой театр(ボリショイ劇場)のバレエ団です。

ボリショイ・バレエ団は、現在ロシアの中で、最も勢力が強いバレエ団です。首都モスクワの中心部にその荘厳なたたずまいで鎮座していて、プーチン大統領やフィギュアスケーターのプルシェンコにも愛されています。

実際に、僕自信が訪れたときの経験について、「留学体験記モスクワ&ペテルブルグ【後編】」の方に記載してあるので、ぜひそちらをお読み下さい。

 

このボリショイの魅力は、躍動感です!

 

ボリショイのダンサーは破壊的なエネルギーと豊かな感情表現溢れるパフォーマンスを得意としています。

まずは、百聞は一見にしかずですから、早速ボリショイのバレエというものを観てみましょう!

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こちらは「パリの炎」という演目で、全幕で上演しているバレエ団は、僕の知る限りではボリショイを含めて世界に2つしかありません。なんと言ってもこの弾けるようなエネルギー!クラシック・バレエは厳密に決まっている型の中で踊るのは原則ですが、その型に収まりきらないないような圧倒的パフォーマンス力がたまりません。他の国のバレエ団には絶対に真似できないと思います!(筆者は勝手にひとりで興奮しております)

 

そのバレエ団の個性を確立したのが、往年の芸術監督グリゴローヴィッチです。現在のボリショイの主なレパートリーは、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」といった古典作品から、ソ連時代に製作されたオリジナル作品まで、その多くがグリゴローヴィッチの作品です。
では、来日公演でスパルタクスを披露した際のリポートをご覧を下さい。

 

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彼の作品の特徴は、主に2つあります。

ひとつ目は、躍動感のある群舞の使い方です。特に男性ダンサーに、その圧倒的なパワーを発揮させる演出が魅力だと思っています。

二つ目は、展開の速さです。「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」、「ロミオとジュリエット」といった通常三幕構成にされる演目も、彼の手にかかれば二幕におさまります。

 

そして現在のボリショイを語る上で欠かせないバレリーナがいます!ロシア・バレエ界の女帝スヴェトラーナ・ザハロワです。彼女の理想的なプロポーションと氷のように美しい顔、そして比類ないテクニックによって完成された踊りは、「美の化身」とも称されています。彼女はロシア国家人民芸術家やプーチン賞といった様々な称号を手にしていて、最近は活躍の幅もバレエにとどまらず、テレビ番組やショーの司会も務めています。

彼女が、「白鳥の湖」について語っている短いインタビュー映像があります。(彼女のロシア語は、とってもとっても聞き取りやすいのでロシア語能力検定試験やТРКИのリスニング対策にピッタリです笑)

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このボリショイ・バレエですが、日本には3年に1回しか来てくれません。ちょうど去年の冬も来日予定でしたが、コロナのせいで公演中止になってしまいました。筆者は5公演分チケットをとってただけに、とてもとても悔しかったです。

代わりに、2017年の来日公演の様子を少しお見せしたいと思います。

上記で紹介したザハロワが「ジゼル」を披露しています。

 

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生で観れるのは3年に1回ですが、毎年ボリショイ・バレエ・イン・シネマというのを日本全国の映画館で開催しています。

 

liveviewing.jp


では読者の皆さん、長々と僕のオタク語りにお付き合いいただきありがとうございました!

Спасибо большое(スパシーバ バリショエ)!

 

コロナが終息して、かつてのようにロシアのバレエ団の来日公演が復活したら、皆さんと一緒に観に行けることを夢見ています!До свидания!(さようなら〜)

 

文責:長谷川公樹

 

*今日のロシア語*

артист балета(アルチースト バリェタ)

 意味:男性バレエダンサー

артистка балета(アルチーストカ バリェタ)

 意味:女性バレエダンサー

красота(クラサター)

 意味:美しさ、美

 

ソ連版ロミオとジュリエット!? 《Вам и не снилось…》

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Здравствуйте (ズドラーストヴィチェ)!こんにちは!

ロシア専攻4年の芝元です!

 

今月のブログのテーマは「文化」ということで、今回私が大好きなソ連の恋愛映画《Вам и не снилось… (ヴァム ニェ スニーラスィ)をご紹介したいと思います!

 

この映画はYouTubeの制作会社の公式アカウントで無料公開されているので是非観てみてください!(※字幕はありません)

 

youtu.be

 

(制作会社のアカウントが載せているわけではないので大きな声では言えないのですが、YouTubeで英語版タイトル+Russiaで検索すると英語字幕バージョンが見つかります…ロシア語が分からない人はぜひ…)

 

【目次】

 

概要

この映画は1981年に公開されたИлья Фрэз (イリヤ フレス) 監督によるソ連の青春恋愛映画です。Галина Щербакова (ガリーナシェルバコーヴァ) 氏の«Роман и Юлька (ラマーン イ ユーリカ)»という小説が原作になっています。観客動員数は2600万人を超え、同時期に公開された映画の中で最高の出来だと賞賛されることもありました。1982年にはアメリカのニューヨークでも《Love and Lies》というタイトルで公開されました。

 

主要な登場人物

Катя (カーチャ):高校生の女の子。かなり小柄。大きな眼鏡が特徴的。

Рома (ローマ):カーチャのクラスメートの男の子。

Татьяна (タチヤーナ):カーチャとローマの文学の授業の先生。

Людмила (リュドミーラ):カーチャのお母さん。

Вера (ヴェーラ):ローマのお母さん。

Константин (コンスタンチーン):ローマのお父さん。

 

あらすじ

ある日、カーチャはお母さんとお義父さんと一緒に新しいアパートに引っ越します。そのアパートの近くにはローマ一家が住んでいました。アパートの前に到着した時、たまたま近くを通りかかったコンスタンチーンがリュドミーラのもとに元気よく駆け寄って来ます。というのも、2人はかつて恋人同士だったからです。その日からコンスタンチーンがリュドミーラのことばかり考えるので、ヴェーラはリュドミーラに嫉妬して、彼女のことが嫌いになります。また、彼女の娘であるカーチャのことも嫌いになります。その一方で、カーチャは新しい学校で同じクラスになったローマと仲良くなり、2人は両思いになります。ローマがカーチャと親密になるのを良くないと思ったヴェーラは、ローマを勝手に転校させます。しかし、2人の気持ちが離れることはありませんでした。次に、ヴェーラはローマをおばあちゃんの看病をさせるためにレニングラードに送ります。果たして2人は困難を乗り越え、再び一緒になることが出来るのか…。

 

私のおすすめシーン

お気に入りのシーンは本当にたくさんあるので、厳選した3つのシーンをご紹介します!

 

【その1

25:50~のローマがカーチャのサンダルに草を入れて悪戯するシーン。周りにクラスメイト達がいるのですが、この瞬間は完全に2人だけの世界が作られていて尊いです。それと、このシーンのカーチャが抜群に可愛いです。

 

【その2

40:02~のタチヤーナ先生の部屋にクラスメート達が集まっているのをカーチャとローマ2人だけで向かいの棟から眺めるシーン。ここでは2人が色々と会話をするのですが、その中でローマの「Я буду смотреть на тебя. (僕は君を見ているよ。)」「Я всегда должен быть рядом. Понимаешь? Всегда. (僕はいつも君の傍にいなきゃいけない。わかってる?いつもだよ。)」という言葉に私は胸を射抜かれました…。死ぬまでに言われてみたい…。

 

【その3

1:00:16~のローマがおばあちゃんの看病をしにレニングラードに行く前の別れのシーン。カーチャの「Давай умрем вместе. (一緒に死にましょう。)」には涙腺が崩壊しました。高校生だけれども、死ぬ気で愛し合っているというのがたまらないですね。感動しました。

 

主題歌

この映画の冒頭や途中で何度も流れるのは«Последняя поэма (パスリェードニャヤ パエーマという曲です。非常に美しいメロディーで、ずっと聞いていたくなります。

 

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ちなみにこの曲はこの映画のために作られたのではなく、10年前に違う映画のために作られたものだそうです!

 

驚くべき事実 

・ロシアの人はウォッカを体に塗り込む!?

雨に濡れたローマがカーチャのもとを訪れるシーンで、カーチャが凍えるローマの体にお酒を塗ります。調べてみたところ、ロシアでは体を温めるためにウォッカを皮膚に擦りこむことがあるそうです!知りませんでした!果たして本当に効くのでしょうか…(笑)

 

・高校生役のカーチャは実は23

カーチャを演じたТатьяна Аксюта (タチヤーナ・アクシュータ)ですが、なんとこの時23歳だったそうです。しかも既に結婚していたといいます。誰よりも若く見えていたので衝撃ですね。

 

・ローマ役のНикита Михайловский (ニキータ・ミハイローフスキー)は若くして死去

この映画で多くの女の子を虜にしたローマ役のニキータですが、なんと27歳の時に白血病で亡くなってしまいました。才能に溢れる彼の演技をもっと見られないのは悲しいですね。ちなみに、彼の再婚相手で彼の最後の妻となった女性の名前はカーチャでした。

 

 

心がほっこりする超純愛映画《Вам и не снилось…》、ぜひみなさん観てみてください✨

それでは!さようなら!Пока (パカー)!

 

文責:芝元さや香

 

《参考サイト》

https://ria.ru/20100324/216122011.html

https://jiyuu.su/analiz-proizvedenij/vam-i-ne-snilos-sochinenie.html

https://ameblo.jp/tochka/entry-10151506308.html

https://news.nissyoku.co.jp/hyakusai/hgs-101-0002

https://back-in-ussr.com/2018/11/interesnye-fakty-o-semkah-filma-vam-i-ne-snilos.html

(全てのリンクへの最終アクセス:2021年5月26日)

 

*今日のロシア語*

 сниться (スニーッツァ)

 意味:夢を見る 

последний (パスリェードヌィイ)

 意味:最後の

поэма (パエーマ)

 意味:長詩 

мелодрама (メロドラーマ)

 意味:メロドラマ

 

本当に知ってる???ロシア語由来の日本語

Привет(プリビエット/こんにちは)!
東京外大ロシア語専攻4年のといたです。5月は文化特集ということで、皆さん楽しんで読んでいただけているでしょうか、、、?
今回私は、「日本の生活の中に浸透しているロシア語」ということでお話していきたいと思います!それでは早速!Пойдём(パイジョム/さあ行こう)!

 

みなさんの中には、「ロシア語って発音が難しそう、、、」「どうやって読めばいいの、、、(泣)」と思い、疎遠に感じている方も多いはず。
ちょっと待ってーーー!もったいないです!!!ロシア語由来の語が私たちの日常生活の中に隠れていることも多いんですから!

 

※【日本語】 ロシア語表記(読み方)  の順で説明しています!

 


 

ロシア語由来の日本語たち

 

【いくら】 икра(イクラー)

ロシア語では魚卵の総称を指します。そのため、日本のいくらはロシア語では「赤いいくら(красная икра)」、キャビアは「黒いいくら(чёрная икра)」と表現します。

 

【アジト】 агитпункт(アジトプーンクト)

…日本語では政治的ストライキなどを指導する秘密の司令部や隠れ家を表す語。ロシア語でも「扇動本部」と訳されるため、ほとんど同じ意味ですね。戦時中に入ってきたという説があります。

 

【カチューシャ】 катюша(カチューシャ)

…ロシア語では「カチューシャ」というのはエカテリーナという女性名の愛称。なぜそれが日本語では女の子を中心に人気となったヘアバンドを指すようになったのでしょうか???
大正時代に当たる1914年、日本でトルストイの『復活』という物語が舞台化されました。それが大人気となり、主人公のカチューシャを演じた松井須磨子さんがこの形のヘアバンドを付けていたからという説が有力です。私はこの情報は初耳でした!驚きです!!

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松井須磨子さん

 

【セイウチ】 сивуч(シヴーチ)

ロシア語では「トド」を表しています。しかし、ややこしいことにロシア語ではморжがセイウチを指します(笑)

 

【インテリ】 интеллигенция(インテリゲーンツィヤ)

…日本語で「インテリ芸能人」のように日常的に使われていますね!このロシア語を日本語に直訳すると「知識層」という意味になります。
19世紀後半、農民たちに革命思想を広めようとするナロードニキ運動の担い手となったのが、裕福な家庭で育ち教養のあった知識人、つまりインテリゲンツィヤでした。イリヤ・レーピンの『ナロードニキの逮捕』という絵画が有名です。みなさんも世界史の資料集などで1度は目にしたことがあるのではないでしょうか、、、?
(レーピン・彼の作品についてはこちらから
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%B3)

 


 

 その他にも【ノルマ】норма(ノールマ)【カンパ】компания(カンパーニヤ)がロシア語由来の日本語とされています!

 

◆補足:ロシア人の名前と愛称について

上で説明した言葉の中に、「エカテリーナの愛称形はカチューシャ」という部分がありました。

「え、、、?エカテリーナがカチューシャになるの、、、?形が違いすぎる!」と思ったそこのあなた!そうなんです、ロシア人の名前には本名と愛称がかけ離れているものが少なくありません。

 

〈男性名〉

アレクサンドル → サーシャ

エフゲーニー  → ジェーニャ

イワン     → ヴァーニャ

 

〈女性名〉

アレクサンドラ → サーシャ

アナスタシア  → ナスチャ

ワレーリヤ   → レーラ

  

親しさの度合いによってはこの例の限りではないので、様々なバリエーションが考えられます。初対面やそこまで親しくない間柄なら愛称よりも本名で呼んだ方が無難です。(笑)

相手と気持ちよくコミュニケーションを取ることを考えたら本名と愛称はセットで覚えておくことをオススメします◎

 

「カチューシャ」はかなり親しい間柄で使う愛称なので使い方には要注意!一般的な愛称は「カーチャ」です。

 

  

以上、いかがでしたでしょうか???

思ったよりも身近にロシア語をもとにした日本語が隠れていることに気づきました。今まで3年間ロシア語を学んでいて初知りの情報もあったのでまだまだ勉強しなくては、、、と痛感しました、、、(汗)

中にはロシアや日本での歴史的背景から定着した言葉もあって奥が深いなあと思いました!

 

今回紹介した日本語になるまでの具体的な背景はあくまで一説に過ぎません。興味を持ってくださった方はサイトや書籍で自分なりに調べたり、いろいろな説を見てみたりして想像を膨らませてみてくださいね!

 

では!今回もありがとうございました!^^

До встречи(ダ フストレーチ/また会う日まで)! Пока(パカー/またね)!

 

文責:といた

 

*今日のロシア語*

русский язык (ルースキー イズィーク)

 意味:ロシア語

японский язык (イポンスキー イズィーク)

 意味:日本語

  

【参考サイト】

実は外来語だった日本語28選 https://tabippo.net/loanword/4/

実はロシア語から来ている日本語の単語 https://www.tomotrp.com/entry/2019/11/04/063000

カチューシャという呼び方は日本だけ https://mag.japaaan.com/archives/112634