東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

ナディヤ・コベルニック先生【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● コベルニック・ナディヤ

1981年、ウクライナのキエフ生まれ。国立キエフ言語大学卒業。東京外国語大学修士課程卒業。東京外国語大学博士課程満期退学。学部生時代のご専門は教育学や教授法、言語学(日本語・英語)、院生時代のご専門は言語学です。大学では特定外国語教員として1年生と2年生のロシア語(会話)の授業、ロシア語Ⅲ(※3年生以上のロシア語の授業のこと)の授業を2コマ担当されています。

  

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魅力あふれる故郷 ウクライナ・キエフ

先生の故郷について教えてください。

私はウクライナのキエフ出身です。人口は大阪より少し多いくらいの大きな街で、キエフ公国の首都でもあるので歴史もあります。古い建物が多く、緑に囲まれた落ち着いた雰囲気の都市ですね。

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赤いピンが留まっているところがウクライナの首都キエフ

 

ナディヤ先生が思う、キエフのアピールポイントは何でしょうか。

簡単にまとめると、気候は過ごしやすく街並みが綺麗で、歴史的な場所もあって、料理もおいしい…!(笑) 日本ではこの辺りの地域の料理、特に伝統的なものはまだそれほど有名ではないと思うのですが、結構おいしいですよ。ミニストップ(コンビニエンスストア)にはキエフ風チキンカツレツが売っています(「チキンキエフ」)。そして、沖縄でサーロ(脂身の塩漬け)を見つけたときはびっくりしましたね(笑)

 

ウクライナは東部と西部で対比されることがありますが、実際に両者に違いはありますか。

まず、ウクライナは多民族国家なので、ウクライナ人やロシア人の他にも、ギリシア人やユダヤ人、アルメニア人、クリミア・タタール人などいろいろな民族の人が住んでいます。「どの民族が多く住んでいるか」によって食文化などが少しずつ異なることはありますね。また、最近だとクリミアから避難したクリミア・タタール人たちが各地でレストランを開いています。避難せざるを得なかったことは大変悲しいことですが、不幸中の幸い、各地でクリミア・タタール料理のレストランが出来たおかげで、この料理のおいしさがさらに多くの人に知られるようになりました。

東西の違いについては、西部はウクライナ語を使って生活している人が多いに対し、東部は日常生活では主にロシア語を使う人が多く、ロシアのテレビ番組を観ている人が多いので、ロシアの考え方に影響されやすいことは現状です。特に軍事衝突が起きている地域ではその傾向が強いと思います。

 

コロナ禍の今、何か故郷について心配していることはありますか。

もちろん、コロナ禍で家族や友人の健康や生活については心配しています。万が一ウクライナに行く途中で感染してしまったら親にうつしてしまう可能性があるので、やはりウクライナにはなかなか帰れませんね。

 

ウクライナや東欧の料理が食べたい時にはどのように食材を調達していますか。

東京にはいろいろな食材を売っているお店がありますし、オンラインで購入することもできるので、特に苦労することはないですね。夫はロシア人でお互いの家庭料理のイメージが似ているので、2人で相談しながら何を調達するかを考えています。

 

ウクライナへの渡航ができるようになったら、何をしたいですか。

誰でも同じだと思うんですけど、親、親戚と友人に会いたい、そしてお母さんの手料理を食べたいです。あと、最近ウクライナでブームになっているウクライナの伝統料理を食べに行きたいですね。伝統料理は地域ごとの特徴が出やすく、昔のレシピを知っているシェフがその伝統料理を再現したり、現代風にアレンジしたりしたものも増えてきているので、それを食べてみたいですね。

 

教育学と言語学を学んだ学生時代

 学部生・院生時代のご専門は何ですか。また、現在も研究を続けていらっしゃいますか。

学部生の頃の専門は日本語と英語の教育学や教授法、第二言語習得でした。大学院は言語学が専門でした。修士・博士課程では動詞・文法をメインにやっていて、具体的に言うと修士の時は移動動詞、博士の時は-ся動詞、動詞の自他(自動詞と他動詞のこと)について研究していました。現在も専門は変わっていないのですが、子どもがまだ2歳5か月なので研究しようと思ってもなかなか手が回らないという状況が続いています。子育てに余裕が出来てきたら、研究に戻りたいとは思っています。

 

院生時代に日本語で論文を執筆した際に苦労した点はありましたか。もしあれば、どのように対処(克服)しましたか。

専門用語を覚えるのが大変で、非常に時間がかかりました。ひたすら他の論文を読むなどして専門用語を覚えました。また、必ずネイティブチェックをしてもらっていました。

 

院生時代にウクライナ語・ロシア語話者の日本語学習に関する論文を書いたとお聞きしたのですが、ロシア語話者の日本語学習と日本語話者のロシア語学習の難しさは何だとお考えですか。

一番の違いは文法だと思います。日本語は漢字や音読み・訓読みを覚えるのは大変で、敬語の使い方も難しいです。ロシア語の学習となると、移動動詞や動詞の体、-ся動詞だと思います。例外が多くて覚えるのが大変だと思います。

 

学部生・院生時代の研究は現在の職業にどのように繋がっていますか。

学部生時代は教育学や教授法について学んでいたのですが、その時に合計3か月の教育実習を受けました。その経験は教師になるうえで非常にためになりました。また、日本への1年間の留学から戻ってきた大学5年生だった時(※当時ナディヤ先生の大学では、大学での教育を5年間受けた人はスペシャリスト学位(学士と修士の中間のような学位)だったそうです)、母校で日本語を教えることになり、学部生最後の1年半は大学で勉強しながら日本語を教えていました。修士・博士課程のために外大に来てからはロシア語や英語をプライベートレッスンで教えることがありました。また、留学生が日本の小学校で生徒に自分の国について教えたり、英語を教えたりするプログラムに参加しました。これらの経験は現在の職業にそのまま繋がっていると思います。

 

つまり学部生・院生の時から教えるということに興味があったのですか。

そうですね。なんとなく教育の方に進んでいました。通訳の仕事や翻訳の仕事などを実際にやったり、大使館で働いてみようかなと思ったりすることもあったのですが、今までの教えるという経験が凄く楽しかったので現在教師をしています。

 

取材・執筆担当:芝元さや香(4年)、外山夏帆(3年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com