東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

カフカス旅 アゼルバイジャン編

Долго не виделись(ドールガ ニ ヴィーヂリシ)!お久しぶりです、კოჯიმაです!

 

半年以上執筆できていませんでしたが、今月は旅行が2つめのテーマということで戻ってきました。

 

今回ご紹介させていただくのは、2019年夏に行ったカフカスでのバックパック旅です。

 

まずカフカスについて簡単にご説明します。カフカスとは黒海とカスピ海の間にある地域のことで、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアの3ヵ国があります。

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いずれの国にも長く独特な歴史と文化があり、一度この地域に魅せられると中々抜け出せなくなります(笑)。

 

私はロシア地域について勉強する中でまずジョージアについて関心を持ち、アルメニアやアゼルバイジャンにも強く惹かれたため旅に行ってきました。

 

【アゼルバイジャン編】

最初に訪れた国はアゼルバイジャンです。この国を知るためのキーワードは、「シルクロード」、「イスラーム教」、「炎」です。今回はシルクロードの歴史に関連のある都市には行けなかったため、残りの2つを簡単にご紹介します。アゼルバイジャンはイスラーム教が最も多数派ですが、話を聞くかぎりあまり厳格ではなく、クルアーンを読めない人も多くいるそうです。実際に街を歩いていても、ヒジャーブを着けている女性はあまり見かけませんでした。

またアゼルバイジャンは産油国として有名な国です。世界が石油やガスを資源として使い始めたのは最近のことですが、アゼルバイジャンでは紀元前の頃から、様々な場所で燃え続ける「炎」という形でこの地下資源と共に暮らしてきました。近年はオイルマネーによる恩恵を大きく享受し、首都バクーにはフレイム・タワーと言われる特徴的なビルが建てられました。フレイム・タワーは街中のどこからでも見ることができ、バクーの発展を窺い知ることができます。

 

それではいよいよ、旅の中身に移っていきます。

 

[1日目]

アゼルバイジャンへは、アラブ首長国連邦を経由して入国しました。アゼルバイジャンは陸路で入国する場合はビザが必要なのですが、空路の場合は空港で取得できるうえに無料なので入国前の準備は何もいりません。私が空港で手続きをした際には、ビザ受取所で「あなたはその手続きの証明書だけあればいいわよ」と言われたのでビザをもらうことなく入国できました(笑)。

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空港を出て中心部行きのバスに乗り、宿泊予定のホステルに向かいました。主要な観光地である旧市街地から徒歩1分で1泊430円という好条件だと思ったのですが、安いのには理由がありました(トイレとシャワーに難ありでした…)。繰り返しますが、アゼルバイジャンはイスラーム教の国です。私が泊まったホステルのトイレには、トイレットペーパーが存在しませんでした。現場からは以上です。

 

気を取り直して観光に行きます。最初にカスピ海に面した公園へ散歩に行きました。このときは8月で気温は高めでしたが、風が非常に気持ちよく、ベンチに座ってカスピ海を眺めながら食べるトルコアイスは最高でした。

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風にあたってのんびりした後は旧市街地へ向かいました。旧市街地は城壁の中にあり、モスクや遺跡の他に土産物屋が多くありました。全体的に雰囲気がありましたが、実際に歴史を感じられる箇所は表通りにある遺跡が主でした。

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旧市街地には観光ツアーを売っている事務所がいくつかあり、そこで翌日の日帰りツアーを申し込みました。バクー近郊の遺跡や観光地を巡るもので、英語ガイド付きで約3600円です。バクーに到着した段階でお昼を過ぎていたため、初日の観光はここで切り上げて、翌日のツアーに備えて早めに宿に戻りました。

 

[2日目]

この日参加したツアーでは、バクー近郊にあるゴブスタン国立保護区、モスク、ゾロアスター教の寺院である拝火教寺院跡、ヤナルダグを巡りました。

 

ゴブスタン国立保護区は古代の岩絵や生活跡の遺跡がある、ユネスコ世界遺産に登録されている地域です。保護区には泥火山もあり、まずはそこを見ました。泥火山とは粘土質の土と水がガスによって噴出しているもので、火を近づけるとそのまま燃え続けるため火を点ける際は必ずガイドさんにお願いする必要があります。

 

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遺跡のあるところには博物館も併設されており、先史時代からのバクー周辺の歴史を知ることができます。そして資料として先史時代の暮らしを知った後に実際の遺跡を見に行くと、かつての人々に思いを馳せることができ非常に面白いです。

 

 

お昼はアゼルバイジャン料理のビュッフェが楽しめるところでとりました。特に有名な料理としては、塩漬けのブドウの葉で食材をくるむドルマーと、ポロフというピラフのようなものです(食べるのに夢中で写真をとっていませんでした💦)。またナスを使った料理も多く、いずれにしてもクセがなくおいしいものが多かったです。

 

飲み物で面白かったのは、ヨーグルトドリンクです。ラッシーのような見た目やのどごしなのですが、味は全く違います。酸っぱさとしょっぱさが際立っており、甘さは全くありません。なんだか健康に良さそうな味でした(笑)。ちなみに先ほどのドルマーとこのヨーグルトドリンクはアルメニアでも有名なのですが、そこはまた後日ご紹介します。

食後にはピスタチオとハチミツをふんだんに使ったパフラバと紅茶が出され、すべて込みで料金は約600円でした。

 

 

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お腹を満たした後は拝火教寺院へと向かいました。拝火教(ゾロアスター教)とは紀元前7世紀までにイランで創始された宗教で、「善悪二元論」と「最後の審判で善神が勝つ」という思想はユダヤ教やキリスト教にも影響を与えたとされています。

 

現在の寺院は再建されたものであり、複数ある小部屋が資料の展示場になっているのですが、ここでガイドさんから一つ面白い話が聞けました。拝火教寺院では、ゾロアスターが点火したとされる火が延々と燃え続けていたというのです。つまり、昔からいたるところでガスが自然に噴出していたということになり、これはイランの拝火教寺院でも同様です。なぜか消えることなく燃え続ける炎があったからこそ、炎を神聖なものとみなし信仰に用いたのでしょう。

しかし地下資源の開発が始まった頃を境に油井が乱立したため、すべての炎が止まってしまい、現在の炎は人工的にガスを引いて燃やしているとのことです。

 

 

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最後に訪れたヤナルダグも、似たような状況でした。ヤナルダグとは「燃える岩」という意味で、こちらは自然発火で燃え始めたそうです。かつては丘一つが丸々燃えていたそうですが、採掘によって埋蔵量が減っていることで年々規模が小さくなっていると説明されました。当然ながら、近づくととても熱いです。舗装された地面の淵まで近づくと熱気で肌が痛くなります。

 

以上の観光スポットを巡って、ツアーは終了しました。移動中の車からは、街中であっても石油採掘の機械が建てられて稼働している様子が見え、いかにエネルギー資源が経済にとって重要かをみることができました。一方で観光地の近くにあばら家が立ち並ぶところや物乞いの人が多くいるところもあったため、貧富の格差はかなり大きいものと思われます。観光客であった私にできることはほとんどありませんでしたが、そうした街の様子は心に留めていたいと思いました。

 

そのようなことを考えつつ、ホステルの近くにあるケバブ屋台で夕食を食べた後、宿に戻って休みました。

 

[3日目]

この日の朝は雷雨だったため、のんびりと宿で過ごしてから出発しました。

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最初の目的地はヤシール・バザールという市場です。バクー屈指の広さを誇るということで、気になっていました。しかし朝の雨と道路状況のせいで、最寄り駅からの道が水没していました…。さすがにくるぶし以上の深さがある泥水の中を歩くのは抵抗があったので、迂回していきました。結果的に裏通りなどの街並みを視ることができたのはよかったと思っています。

 

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バザールに着いてからぐるりと歩いていて、ドライフルーツやロクム(トルコのお菓子)など、中央アジアや中東同様の商品が目立ち、イスラーム圏としてのアゼルバイジャンを再認識しました。

 

そして小腹が空いたのでマンゴー、パイナップル、マルメロのドライフルーツを買ってから、バザールを後にしました。近くにヘイダルアリエフ・センターという博物館がありそこの広場で食べようと思ったのですが、こちらも雨のせいでぐっしょりだったので、結局食べないまま観光に戻りました。

 

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このヘイダルアリエフ・センターの建物はザハ・ハディット氏の設計したもので、360°どこから見ても違う姿に見えるという特徴があります。

 

と、いうわけで、一周回ってみました。確かに違いますが、正面から見る形が一番綺麗であるように感じました。(あくまで個人の感想です)

 

いよいよ中に入ろうと思いチケットカウンターに行ったのですが、入場料が想いの他高かったのでこのときは中に入りませんでした。そしてふと、中を見る時間が空いたなら次の目的地のシェキに行こうと思い立ちました。シェキはまさにシルクロードの歴史が感じられる街なので、アゼルバイジャンに来たのなら行っておこうと思っていました。

 

宿に戻ってチェックアウトし、メトロを使ってバスターミナルへ向かいましたが、なんとシェキ行きの座席が売り切れてしまっていました。ならばと思ってジョージア行きのバスを聞きましたが、こちらも売り切れ。バスの座席がなかった時点でシェキ行きからジョージア行きに気分が切り替わっていたので、鉄道でジョージアに行こうと決めました。

 

ターミナル駅まで行き、チケットを買おうと列に並んでいたところ、ばったりと日本人の方(Kさん)に会いました。各々座席を買ってから、そのままご飯を一緒に食べることとなりました。Kさんはバックパック暦が長く、ロシアにも行ったことがあったそうで、移動する時間まで様々なお話を聴かせてくれました。

 

Kさんが宿に向かった後は駅の中を散策していましたが、どうも警官が暇を持て余していたようで、事あるごとに私に話しかけてきて色々と会話しようとしていました(笑)

 

日が沈んだ頃に列車の乗車時刻となり、1年半ぶりの寝台列車に乗り込みました。3等車は人でごった返すため夏には少しだけ蒸し暑くなりますが、様々な人との会話が楽しめるのでお勧めです。このときは、昼に買ったドライフルーツをシェアして食べながら雑談に興じました。

 

ジョージアへの入国は翌朝のことなので、アゼルバイジャン編はここまでとします。

 

このアゼルバイジャンの旅では、ロシア語が非常によく通じました。しかし、中高年以上の方だと英語が話せる方は少ない一方で、観光に注力していることもあり、30代以下の層は英語も堪能でした。特に観光地では、英語もそれなりに通じます。ロシア語を学ぶ身としては、老若男女問わずロシア語で会話ができ、多くの人と言葉を交わすことができたのは大きな収穫だと思っています。

 

個人的な感想ではありますが、ロシア語で会話をした人達(空港の職員、メトロの警備員、道案内をしてくれたおばあさん、バザールの店員さん、警察官など)は皆非常に親切で、出身や旅の目的についてなど私のことについて色々と話そうとしていました。ロシア人と同様で、好奇心が強い人たちなのかもしれません。言葉が通じるからたくさん話そうとしてくれた人が多かった可能性もありますが、あの雰囲気は恐らく片言の人でも受け入れてもらえるような印象を受けました。

 

また会話する中で、メトロの警備員やチケット売り場の若い人など、思いもよらない人に「私は日本語を知ってるぞ!」と言われたことが今でも印象に残っています。空手やアニメなど、いくつかの理由で日本文化が知られているようでした。後から調べると、元大統領が親日家だったために日本文化がある程度受け入れられているとのことでした。もしかすると、出身をやたらと聞かれたのは、東アジア系の顔を見て「もしや日本人か?」と思った人が話をしたくなったからということもあったのかもしれません。

 

みなさんもぜひ機会があれば、と言いたいところではありますが、ここで注意事項があります。2020年9月から11月にかけてアルメニア-アゼルバイジャン間でナゴルノ・カラバフ紛争(両国間の領土問題)が再燃し、戦争ともいえるほどの大規模な軍事衝突が発生、両国関係が非常に悪化しました。紛争激化時は、首都でも通信制限がかかり外出が制限されるなど緊張した状況であったと報道されていたため、新型コロナ終息後にアゼルバイジャンの訪問を検討している方は必ず最新の安全情報をご確認ください。

 

それでは皆さま、до свидания(ダ スヴィダーニャ)!

 

文責:კოჯიმა

 

*今日のロシア語*

поездка(パイェーズドゥカ)

 意味:小旅行

Азербайджан(アズェルバイジャーン)

 意味:アゼルバイジャン