ジョージアとロシアの避けては通れない歴史
みなさん、здравствуйте(ズドラーストヴィチェ)!
先日第一書記を拝命したკოჯიმაです(※代表になったわけではありません)
今回はロシアとジョージアの歴史的な関係を知る上で欠かせない、2008年の南オセチア戦争について書いていきます。
この戦争は南オセチアというジョージア領内にある地域での問題が発端になっていますが、背景はさらに根深いものです。
ジョージアはかつて旧ソ連構成諸国のうちの一国であり、1991年4月にソ連からの独立を宣言しました。しかしこの宣言がなされたとき、南オセチアの独立をめぐりジョージア・オセチア両地域は紛争状態にありました。ソ連崩壊後に停戦となり当事者にロシアを加えた平和維持軍が駐留しますが、南オセチアは実質独立状態となりました。
これ以降ジョージアはアブハジア、南オセチアという分離独立を主張する2つの地域を国内に抱えることとなりました。
同時にジョージアは安全保障のためにNATO加盟を希望しており、NATOの勢力が東に拡大することを懸念し反発するロシアとの間で緊張が高まっていました。
2008年になり南オセチア地域でジョージアとの衝突が発生するようになり一層緊張感が高まる中、ジョージアと南オセチア間で8月に大規模な戦闘が始まりました。そしてジョージア政府が本格的に南オセチアを攻撃し始めたことで南オセチア戦争が始まりました。
ロシアが自国民保護などの名目でこの戦争に介入したことで軍事力のバランスが大きく変わり、ジョージアは大幅な後退を余儀なくされました。このときロシア軍やオセチア軍にジョージアの主要な都市の一部が攻撃されています。
EUなどの仲介によって停戦になった際に、ジョージアは南オセチアやアブハジアから完全撤退しなければならず、両地域は事実上独立国のような状態になりました。ロシアはこれらの地域を独立国として承認しましたが、それに反発したジョージアはロシアとの国交を断絶します。
実際のところロシア人はジョージアの観光産業にとって小さくはない存在感を放っています。というのもロシア人にとってジョージアは憧れの地でもあり、詩人レールモントフにも関係しているからです。昨年までロシアとジョージアを結ぶ直行便も飛んでおり、民間レベルでの交流は決して少なくありませんでした。
しかしやはり経済における国民感情と政治における国民感情は異なります。2019年6月にロシアの議員がジョージア議会の議長席で発言したことを受けて国民が反発、大規模な抗議活動が行われました。この怒りの背景には2008年の南オセチア戦争の際に侵攻されたことなどもあります。
思惑はそれぞれ異なるものの両国では歩み寄りの方法が模索されているため、筆者としては一日も早く両国関係が改善することを願っています。
კოჯიმა
*今日のロシア語*
межднародные отношения(メジュドゥナロードゥヌィエ アトゥナシェーニヤ)
意味:国際関係
конфликт(カンフリークト)
意味:紛争