皆さまこんにちは、კოჯიმაです!
長々と連載になってしまい恐縮ですが、今回の記事でカフカス旅は最後になります。どうか最後までお付き合いください。
[メスティア]
バトゥミで購入したツアーはスヴァネティ地方に行くものでした。公共交通機関でも行くことはできますが、道中のエングリ・ダムを見たいと思っていたため、ダムが行程の中にあったツアーで行くことにしました。
このダムはジョージア政府の実効支配が及んでいない地域であるアブハジアとの境にある巨大なダムで、発電した電力はアブハジアにも供給されています。莫大な量の透明度の高い水が貯水されている様は圧巻なため、近くに行く予定がある場合は見学をお勧めします。
その後もスヴァネティ地方の中心都市であるメスティアに向けて移動が続きました。朝の6時にバトゥミを出発してから15時頃にメスティアに着くまで、ダムとお昼休憩を除いてひたすら山道を走行していましたが、それだけジョージアの雄大な自然を満喫することができます。
メスティアに着いた後は、スヴァネティ地方に特有である、各家庭に隣接する塔の見学をしました。この塔は復讐の塔と呼ばれており、外敵が侵入してきたときや家族間の争いがあった際に立て籠もるため、そして必要に応じて戦うために建てられたそうです。8世紀頃から利用されているそうで、30人以上の大家族が過ごせるように構造やスペースの工夫が見られます。多少窮屈かもしれませんが、一切外に出ることなく長期間にわたって塔の中で生活するための知恵を見ることができました。
メスティアは冬にはスキーリゾートとしても人気があるため、急勾配の山を登るためのリフトがあります。夏場でも中腹まで上るリフトは動いており、ツアーの最後にリフトで山を登りました。もっとも特に何か珍しいものがあるわけではなくただ景色を見るのみですが、上からメスティアの街を見渡すことができるいいスポットです。
次の目的地がさらに遠くにあるため、この日はメスティア観光が終わり次第解散となりました。宿に荷物を置いてから夕飯を食べにお店に行ったところ、ここでまた面白い出来事がありました。食事を注文して待っていると、団体客がいるためにヒンカリの提供が少しだけ遅れると言われました。その案内があったころにちょうど夕立に見舞われたため、少しならいいだろうと思って待つことにしました。しかし40分ほど待ってもまだヒンカリが来ず、夕立も止んだためさすがに諦めて見せを出ようと思ったとき、サービスだと言ってグラスワインを1杯提供されました。お詫びでワインをもらえたことなど今までなかったため、記念に一枚(笑)
ワインをもらってからすぐにヒンカリが運ばれ、無事夕飯を済ませることができました。
宿に戻ってシャワーを終えたタイミングで突然停電が発生し、図らずも星空を見ることができました。雲がまだ残っていたため満点の星空というわけには行きませんでしたが、そこそこに綺麗に見ることができました。
[ウシュグリ]
翌朝は9時過ぎにメスティアを出発し、ウシュグリ村に向かいました。ウシュグリ村とは景観が世界遺産に登録されている村で、ヨーロッパ最後の秘境と言われています。秘境と言われるだけあり、その道中は車であっても楽ではありません。道路の舗装は途中からなくなり、道路の凹凸が大きいだけでなく湧き水で冠水した部分や崩れかけている部分も多くありました。
激しく揺さぶられながら走ること2時間半でウシュグリ村に到着しました。大自然の中に歴史ある塔が立っている様は実に壮観でした。この光景を見ることで道中の苦労も忘れられます。
村の人と話をした限りでは、2019年8月時点の人口がおよそ250人である一方、年間でその何倍もの観光客が訪れるため宿を増やしているとのことでした。また、ウシュグリ村出身者に特徴的なジョージア語の訛り方があるらしく、村の人はその訛りを誇りに思っているということも話してくれました。ちなみに村の方は、高齢な方の場合はロシア語、年代が下がるにつれてロシア語と英語の両方が話せていました。
村自体は2時間もあればくまなく一周できるほどの規模感ですが、湧き水を飲みながら小高い丘から村を眺めるだけでも十分に楽しめます。教会や博物館もあるので、ウシュグリ村についての理解を深めることもできます。
このときは往復の交通手段がツアーに組み込まれていたため、ウシュグリには宿泊せず日帰りでメスティアへと戻り、さらにメスティアで車を乗り換え、バトゥミへと戻りました。メスティアへ向かうときと同様にかなりの時間がかかり、バトゥミについて頃にはすでに23時を回っていました。
[ジョージア出国]
スヴァネティ地方に行く前日にアルメニア行きの鉄道乗車券を購入していたため、翌朝はバトゥミ中心部から鉄道駅まで散歩をしながら向かいました。しばらくは海が見納めになると思い、駅の近くについてからは波打ち際でぼんやりと黒海を眺めて過ごしてから駅へと向かい、鉄道に乗車、出国の途につきました。
ジョージア国内では、全体的に英語がよく通じました。特に観光地の中心部になるほど年代が高めの人でも英語が流暢に話せるため、観光は英語だけで十分に満喫できます。一方で英語よりもロシア語が得意な方もいるため、ニッチなところを観光したい場合はロシア語ができると安心です。
また穏やかで親切な人、話が好きな人が多く、気軽にお店の人に話しかけることができるため地元の人との交流を旅の楽しみにしたいる人には楽しみが倍増することと思います。
【アルメニア編】
カフカス旅最後の国はアルメニアです。アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とした国として有名です。かつては南カフカス一帯に領土を持ったこともありましたが、ローマ帝国やトルコ、イランなど周辺国との関係の中で国土が縮小したことなど様々な理由でディアスポラが発生するようになりました。現在でも世界各地にアルメニア系住民が住んでおり、昨年のナゴルノ・カラバフ紛争の際にはフランスでのアルメニア系フランス人の抗議活動も注目されました。
ディアスポラの他にもオスマン帝国によるジェノサイドなど、アルメニアの歴史には困難が多くありますが、それゆえに独自の文化を持つ面白い国でもあります。
[エレバン]
ジョージアからアルメニアに向かう鉄道は、朝の7時に終点に着きました。本当は首都のエレバン以外にも何カ所か見たい都市があったのですが、ジョージアに長居しすぎたため、エレバンに着いた時点ですでに出国予定のフライトの20時間前でした。というわけで1日弾丸観光の始まりです。
最初にカスケードという階段状の観光スポットに向かいました。しかしここが最も観光が大変でした。というのも、中にあるエスカレーターが動き始めるまで30分以上待たなければならず、それだけ待つのであれば自力で登ろうと思い立ってしまったためです。全ての荷物を持ったまま500段以上の階段を登りきったため達成感は感じられました(笑)
しかし本来なら正面に見えるはずのアララト山が雲に隠れて見えなかったことは非常に残念でした。
カスケードを後にしてマテナダランという博物館へ向かうも、あいにくの定休日だったためさらに歩いて次の目的地のヴェルニサーシュ市場へと向かいました。
中心部にあるヴェルニサーシュ市場ではお土産を買うことができます。道の脇には飲み物や軽食を売るスタンドもあるため、休憩しながら長く買い物をすることもできます。このときは冷やかし程度にお土産を見てからまた次の場所へ向けて出発しました。
街中を歩いていると、首都の中心部であっても公園や緑がとても多く、木陰のベンチで風にあたることのできる場所をたくさん見かけました。この時は8月半ばだったため日差しが当たるとかなり暑く感じますが、こまめに休憩できるところがあるのはありがたかったです。
途中でカフェを見つけたため、お昼を食べに入りました。そこではアゼルバイジャンでも食べたドルマーと、ターンという塩味と酸味の効いたヨーグルトドリンクを注文しました。地理的に近いこともあり食材や風味に大きな違いがなく、アゼルバイジャンとアルメニアの近さを感じました。
食後には聖サルキス教会と聖グレゴリー照明大聖堂の2カ所を回りました。写真からもお分かりいただける通り外観が大きく異なりますが、これは宗派によるものです。聖サルキスはカトリックで、聖グレゴリーはアルメニア使徒教会の教会です。聖グレゴリー照明大聖堂は質素な内装と高く開放的な天井、ろうそくを模したシャンデリアによって、煌々と輝く天井から歌唱が響いてくるように感じられ、幻想的でした。
教会を見た後は、アルメニアの歴史の一部でもあるジェノサイドについて知るため、虐殺博物館へと向かいました。しかしこちらも定休日だったため、慰霊のモニュメントと周囲の石碑のみ見て、この場を後にしました。
残念ながら博物館は見られませんでしたが、1日歩きどおしだったことで市内の見たかったところは一通り見終わったため、空港行きの終バスがなくならないうちに早めに空港に向かい、カフカスでの旅が終了しました。
このときのエレバンの観光は時間がなかったため街歩きが主でしたが、郊外や他の都市に行くと歴史ある教会も多くあります。世界初のキリスト教国家としての歩みを知ることもできるため、アルメニアに行く際にはぜひ足を運んでみてください。
カフカス地域は独特な歴史や特徴を多く持つ地域のため、補足説明が追い付かず、詳細が分かりにくい箇所もあったかもしれません。しかし、その分からないものを調べることで皆さまがカフカス地域についての理解を深めていただける契機となれば幸いです。
また、改めて注意事項があります。2020年9月から11月にかけてアルメニア-アゼルバイジャン間でナゴルノ・カラバフ紛争が再燃し、戦争ともいえるほどの大規模な軍事衝突が発生、両国関係が非常に悪化しました。紛争が一応の収束に向かった後も、アルメニア国内では首相の退陣を要求するデモが発生していた時期があるほどに国民感情が昂っていたため、新型コロナ終息後にアルメニアの訪問を検討している方は必ず最新の安全情報をご確認ください。
複数回にわたる長々とした旅行記を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは皆さま、до свидания(ダ スヴィダーニャ)!
文責:კოჯიმა
*今日のロシア語*
плотина(プラチーナ)
意味:ダム
геноцид(ゲナツィード)
意味:ジェノサイド、大量殺戮