東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

生ける屍 やっぱりすごいよ トルストイ

Здравствуйте! なつほです。

 

今回はロシア語劇団コンツェルトさんとのコラボ企画ということで、「生ける屍」についてのお話です。

 

先日の「トルストイに脱帽!『カフカースのとりこ』」(トルストイに脱帽!『カフカースのとりこ』 - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ) でも触れられていましたが、トルストイの作品には生や死についての描写が多いです。どんな読者を想定した作品でも彼の死生観が反映されており、私のような時代もバックグラウンドも年齢も違う読者であっても、作品を読んだ後に生死や、生死への意識に直結する宗教観について考えさせられます。死生観だけではなくて、道義や正義、愛、魂、性など、トルストイの作品にはたくさんのテーマがあり、読むたびに新しい解釈が生まれたり、逆に自分の考えが揺らいだり、疑問を抱いたり、発見があったりして面白いです。

まあ、特に長編小説になると、一回で読んだだけでは全然わからないんですけどね。笑 あと訳が難しいので日本語弱者の私は国語辞典を引っ張りだして読みます。笑

何回か読み直して、書評や訳者のあとがきを参考にしながらじっくり作品を理解をしていくこともロシア文学作品の大きな魅力ですよね!

 

作品を理解する上ではロシア正教や土着の価値観も大切です。

しかし、何というか、宗教って作品当時のロシア人の価値観を醸成するものではあるけれど、やっぱり理性なんだなと思うことがしばしばあります。

ロシア文学の登場人物って、ときどき嫌悪感を抱くほど人間くさいキャラがいませんか?宗教うんぬんよりも人間としてどうよ…。とか、きっとこの登場人物とは絶対にわかり合えない!とか、なんでそんなに悲観的なの?とか、それは正教的道義に背くでしょ?とか、、でも全然共感できない強烈なキャラが作品の肝なのだと思います。そんなキャラの根っこにも宗教や信仰から生まれる価値観を持っています。直接的でなくとも、きっと作者の宗教観に基づいたメッセージが登場人物の言動にによって伝えられているはず。

「生ける屍」の主人公フェージャも、その愚直さ故に苦しみを抱えています。現代よりもロシア正教が生活の規範として強く意識されていた時代。正直、もっとしっかりしろよ!と思う部分もあります。でも作品を読む、もしくはコンツェルトさんの公演を観れば、彼の苦しみに共感(同情?)すると思います。

理性と感情の矛盾、社会規範と自己の乖離、理想と現実など、私たちが無意識に目をそむけている何かを登場人物や文字を通して伝えてくれるトルストイの世界に皆さんもはまってみましょう!

 

「生ける屍」は1910年にトルストイが亡くなった後に発表されました。つまり遺作です。発表される前は「屍」というタイトルだったそうですよ。物語の内容を知ると「生ける」がついた方がしっくりくるな~という感想を持ちました。

 

有名な作家である森鴎外は1911年12月1日発行の「椋鳥通信」でこの戯曲を紹介しているそうです。「生ける屍」は発表されてすぐに大成功をおさめて、ロシア国内以外にもベルリンやパリでも上演されています。鴎外が得意とするドイツ語の記事でもこの戯曲は取り上げられていたのでしょうね。

 

100年以上も前の作品ですが、とても面白いです。ぜひ公演を観てみてください!

それでは!

До свидания!

 

文責:なつほ