東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

外語祭!! 語劇の裏側に潜入

東京語大学の学園祭『外語祭』では各言語を専攻する学生のうち、2年生が全編外国語で劇をする『語劇』という目玉イベントがあります。

今回のインタビュー企画では、当サークル所属のロシア語専攻の学生が、この語劇で演出(監督)を務めた 同じくロシア語専攻の学生3名にお話を聞きました。

 

インタビューイ:野村さん(2019年度演出)、德永さん(2020年度演出)、佐野さん(2021年度演出)※以下敬称略

インビュアー:片貝、川又

 

片貝ー野村君の方から語劇でやった演目と、簡単にあらすじを教えてもらってもいいですか?

 

野村ー私の代は、ロシアの大詩人であるアレクサンドル・プーシキンの『大尉の娘』という演目やらせていただきました。

簡単なあらすじとしては、貴族階級のピョートル・アンドレイヴィチが不本意ながらも地方に勤務することになってしまったんですけど、そこでマーシャという女の子と出会って相思相愛になるんですね。そこでシバーブリンという恋敵とその中でプガチョフの乱という大事件が当たり前ですが、ピョートルは捕虜になってマーシャは囚われの身になってしまって、二人が引き裂かれてしまうんですね。殺されそうになった時に、実はそのコサックの頭領のプガチョフというのが、ピョートルに恩があった人物で、それで運命が狂い始めるという。作品を代表するアドベンチャー小説になっています。

 

片貝ーありがとうございます、懐かしいですね。 私も太古の記憶が呼び起こされました。 続いて德永君から演目とあらすじをお願いします。

 

德永ーはい、私たちがやったのは『六月の別れ』というアレクサンドル・ヴァムピーロフという劇作家の作品で、ソ連時代の劇作家で劇の舞台もソ連時代という感じです。

ヴァムピーロフは結構早くに死んでしまった劇作家で、間に合っていることがあまりなかったというちょっと不遇な人で、作風で言うとチェーホフに近いかなっていう感じですね。

あらすじは、ソ連時代の大学で卒業間の学生たちの物語。二つぐらいの出会いと別れの軸があって、ちゃんと結ばれる方と結ばれない方という二つの結末があります。 別々の世界線を見せられているように出会いと別れというのが、生々しく描写さすが大学生だと「あー、そういうのもあるかな?」みたいなシーンがある感じの作品ですね。

 

片貝ーありがとうございます。ヴァムピーロフってソ連の人だからその時代にこんなオシャレなものを書いてるんだなって思ってびっくりしました。

それでは、続いて佐野君の方から演目とあらすじをお願いします。

 

佐野ー突然がやったのはアントン・チェーホフの『桜の園』です。空気は作品の随所に感じられます。

内容でいうと、典型的な19世紀の貴族ラネーフスカヤは農奴解放を経て収入ががくっと減っちゃったのにお金を湯水のように使う習慣は抜けない。ラネーフスカヤに恩があり、個人的にも彼女を好いていた出入り商人のロバーヒンは金策を尽くすんですが、なんと最後には彼女が愛していた領地「桜の園」とその屋敷を競り落としてしまう。ただ新世代は着実に新しい思想を育んでいて、ラネーフスカヤの娘アーニャは家庭教師として出入りしていた学生トロフィーモフと親しくなり、作品終盤で彼の進歩的な思想に共感して新しいロシアを目指していく。新しい思想というのを見せて、どんどん世代の違いというか、古い世代と新しい世代の交差を見せていく感じですね。

ジャンルでいうと、主要な事件は舞台の外で起こっていて、舞台の上に描写されるのは人間ドラマだけっていう静劇の作品です。観客は一切事件を目撃しないんですけど、それでも面白いっていう作品です。劇的なドラマは舞台に上げないという珍しい作品なんですが、それだけにやっていて面白い作品でした。

片貝ーありがとうございます。今聞いてて、佐野君の演劇への愛が伝わってきました。『桜の園』ってチェーホフの名作の中でも日本でずっと演じられてきた、多分一番有名かもしれない作品だから、それに挑戦するっていうプレッシャーとかあったのかなと思います。

ちなみに川又さんは語劇関わってた?

 

川又ー字幕担当でちょこっと手伝いました。

 

片貝ー字幕担当がいるのも語劇ならではですよね。

次は演出で一番こだわったポイントを聞きたいと思います。ひとくくりに演出って言っても、そもそも演出って何?って思う読者もいると思うし、演出家によってやってることに少し違いがあるのかな?と思うから、自分がどんな立ち回りをしてたのかっていうことと一緒にお願いします。

 

野村ーまず演出が何をやるかっていうことについて。私見としては劇全体に対して、ここはこういう意図があって、こういう風に見てもらいたいから、照明・音響・役者に対して「こういうふうに動けばいいと思うんだけど」とか、「どういう風にしたらいいかな」というふうに提案と交渉を続けていく。それでもって作品をより良く改善していくっていうのが演出の役割だという風に考えています。

特にプーシキンの『大尉の娘』の演出においてこだわったのはテンポですね。文学っていうとすごく装飾的というか、比喩表現とかがめちゃくちゃ使われているものだと思われているんですけど、この作品に関しては実はそんなことはあんまりないんです。簡潔でテンポが良くて読みやすい。なので、原作のテンポの良さを表現するためにスムーズでメリハリの効いた演出っていうのを心がけました。例えば照明だったら、処刑シーンで強調的に赤の照明を使ってみたり。移動シーンも短めにしてテンポの良さを意識した演出にこだわりましたね。

ただ、ちょっと当時は不勉強で、他のお二方に比べて特徴的な演出ができた気はしてないんですけどね。

 

片貝ー確かに。場面多かったですよね。

 

野村ー語劇の上演時間の50分を超えて1時間やってましたね。

 

片貝ー場面転換が多いとメリハリとか大事にしなきゃいけないですよね。当事者から離れると見えてくるものも若干ありますよね。

 

野村ーやっぱり演劇やってる時って、どうしてもその役に没頭しないといけなかったりと、作品を見つめないといけないところはあると思います。当時意識していたことは今回のインタビューの質問用紙が送られてから、改めて考えさせられた感じですね。

 

片貝ーなるほど、ありがとうございます。続いて徳永君も演出としての仕事とこだわったポイントを教えてください。

 

德永ー『六月の別れ』は典型的なロシア文学から離れているというか、私たちが今生きている世界で起きうるような現実的な群像劇でした。台詞の中にあるコンテクストとか体験とかをどれだけ現実に例えて想像させてあげるかっていうところですね。そっくりそのまま場面を想像するっていうのは、ちゃんと演劇をやってる人だったらできるんだろうなとは思います。ただ外語祭の語劇ってやっぱり演劇を初めてやるような人とか、高校の文化祭とか学芸会とかでやったけど、ぐらいの人たちが多いので。どれだけその人たちが実際に体験しただろうことに落とし込んでその場面を想像させてあげられるかっていうところは少し頑張ったのかなって思います。

最後のシーンが好きだったので、すごい悲しいシーンなんですけどそこが色濃くお客さんに残るように計算しました。最後の別れのシーンはすごい悲しくなるように。それまでふたりを仲良くさせて、二人がくっつくんじゃないか?みたいな雰囲気とかいい感じを出させておいたのを、最後に「いや、お前ら別れるんかい!」みたいなのを。しんみりした場面なので、そこが色濃く残ってくれるといいなと思いながら演出してた記憶があります。

 

片貝ー私も見終わって若干鬱になってたからまんまと徳永君の演出の策にやられてしまった感じがします。

次に佐野君が演出として何をしてたかっていうのと、こだわったポイントを教えてもらっていいですか?

 

佐野―はい。そもそも僕の代は結構演劇の経験者が多くて、はじめから戯曲解釈など、深い作りこみに入れたと思っています。

こだわったところとしては、まず、すごく長い『桜の園』を50分に収めた時にダイジェスト版にならないようにする、それだけで一つの物語として見えるようにしました。

あとは『桜の園』って有名なので、それに甘えて知ってるありきの、「ちょっと描写しきれないけど一部出すだけでわかってください」みたいなことはしたくなかったです。誰が見ても分かる劇にしたいなっていうのがありました。

あともう一つは、対面の舞台が終わったあとに動画で公開されるって事を聞いてたので、ちょっと動画映えというか、照明とか音響も動画で観てて楽しくなるよう意識しました。中割幕ってので舞台を仕切ってるんですけど、あれを開けたり閉めたりとか。色つきのライトを使ったりして、遠目で見てもその場面の雰囲気がわかりやすい演出っていうのがこだわりですね。

あと一個なんですけど、日常っていうふうにしたくて。激しい劇というよりは、ひたすら家の中で人が話す劇なので。舞台転換をあまりしたくないというか、暗転入れて道具を運んできて帰るのはしたくなかったです。それで舞台の真ん中にドアを置いて仕切って最初から最後まで一つの舞台であったっていうのが、こだわりですね。

 

片貝ーなるほど、すごいですね。動画配信とか、そういうところまでちゃんと想定して組み込むとは。

演出からも質問というか、お互いのインタラクションはありますか?

 

野村ー僕はオンラインで佐野君の演出した『桜の園』を拝見させていただきました。一つ思ったのは全然プーシキンの『大尉の娘』とは違うな、と。静かな演劇と、私が演出した動く演劇。両方見た立場になるとコントラストが印象的で、やっぱり演劇って幅があるなというのを感じました。

あと、音楽がすごく効果的に使われていた。会話の中に音楽を取り入れてみるみたいな、映画的な手法が使われていたのが印象的で、すごい没入感でしたね。それこそ本当に日常にいるような感覚がしました。「あー、そうだよなあ。音楽ってこういう使いかたができるんだよなあ」っていう演出の幅の広さを感じさせた作品だったんじゃないかなと思いました。個人的にはコロナの中で演劇をやることはすごい大変なのに、よくやってるのすげえなっていう感動も覚えました。

 

片貝ー次の質問にいきます。コロナ禍での劇開催についていろいろ聞きます。

練習回数が例年よりも減っちゃったりとか制約があったと思うんですけど、演出に関して困ったり苦労した点について教えて欲しいです。徳永君からお願いしていいですか?

 

德永ーまずきつかったのはやるかやらないかそもそも分らなかったとこです。毎年自動的にやると決まってた語劇をやるかやらないか分からないまま準備する先の見えない感じがずっと続いてたので、夏ぐらいまでもう鬱でしたね。

後は練習回数や場所をどう確保するか。研究講義棟の中の教室をうかつに使えないので、練習場所には困りました。あとオンライン授業が多かった。みんなが大学に来る回数が少ない中で、どれだけ集まって練習するかに苦労しましたね。

感染対策どうしようみたいなところもありました。検温・消毒・普段からマスクする、ぐらいしかできなかったんで、どうなるのかなと思いながらやってました。役者も必要以上にくっついちゃいけない、距離を取れみたいに言われて。演劇でソーシャルディスタンスなるべく取れとか言われちゃってちょっと困りましたね。

コロナ禍で一番困ったのが自宅待機ですね。キャスト三人が本番直前に自宅待機食らって本番の日程を一週間ずらしました。それで通しも満足にできないまま本番に突入したので、自宅待機にめちゃくちゃにされた感じはありましたね。別に誰が悪いとかではないんですけど、きつかったなって言う感じです。

 

片貝ーたくさんある!いや大変ですね。国内的にもコロナに対してどう向かっていくかがあいまいな状態でしたよね。今はある程度ノウハウができた感じはありますけど。

 

德永ー周りの専攻が語劇を辞めていくこともありましたね。周りが辞めていく中で続けるってなかなかきつかったですよ。とにかくやめたくなかったなあと思いながら続けてた。

ロシア語専攻って語劇を結構ちゃんとやってるところだと思うし、長く続いたものを一回やめると戻すのにすごい時間かかるんだろうなと思って、形は何であれとにかくやろうと思いました。途中で何回も俺が「やりません」って言えば苦しみから解放されるのかなとか思いながら、喉元まで出かけながらも頑張って言わないようにして。

やめようと思えばやめられるけどやめないこともできるのが逆に良かったのかな。全部自分で決められるから。うーん、強制的に誰かに辞めさせられるとかだったらしょうがないです。自分の意思でどっちか決められるっていう時にじゃあやめるっていう人、意外といないと思うんですよ。

 

片貝ーなるほど。徳永君のおかげで語劇がもったって感じですね。川又さんから見てどうだった?

 

川又ー私は練習風景とか全然見に行ったことはなかったんですけど、本番は本当にコロナなんて関係ないと思えるぐらいみんな上手で素晴らしい劇を作っていたと思いますね。

 

片貝ー私もクオリティが高いなって思いました。一回も通しできなかったとかまったく感じさせなかったくらいに。

続いて佐野君にも同じく、コロナ禍で演出に関して苦労したところについて教えて欲しいです。

 

佐野ー僕たちは語劇の開催自体は決定してて、観客を入れるか入れないかってところが不確定要素だったかなと思います。どうでしょう、お話を聞いていると、德永先輩とは少し苦労の種類が違ったかもしれません。先輩から引き継ぎもいただいて、去年の語劇の大変さを聞いていたからこそ踏ん張れた場面もありましたし。まずは本当に德永先輩ありがとうございましたってのは、ずっと前から思ってます。

苦労したところで言うと、対面練習の場が全然なかったっていうのがあって。ホール練習が始まったのが10月ですね。そこから11月の本番まで何回やったかな?5,6回しか。それまでは対面練習が禁止というか、語劇局が定めたとこ以外ではやらないルールだったのでzoomでやってました。

10月に入ってからもホール練以外で対面練習していいのかが不明瞭で、ロシア語の授業が始まる前の昼休みに40分ぐらい練習をやってたんですけど。対面練習が少ないっていうのが、まず一個です。

あとフェイスシールドですよね。これに関してはもうしょうがないとしか言えないんですが、まあ実際のところけっこう大変でした。顔も見えなくなっちゃいますね。やっぱり表情は演技に欠かせませんから。メイクを濃くしたり声量を頑張ったりと、一応の対応らしきものはしたつもりですが、限界はありました。来年に期待したいと思います。

観客を入れると決まったのは結局10月ぐらいだったので、映像映え100%に振り切るか、それとも対面の舞台として良いものにするかは最後の最後まで決めかねた。僕の代はそんなところだと思います。

 

片貝ー確かに観客がいるかどうかで変わりますね。映像作品として振り切るか、舞台作品として大事にするか、どっちに重きを置くかですよね。その辺をもうちょっと具体的にお願いします。

 

佐野ーどっちみち映像で公開されるので、ある程度映画っぽくBGMを流すと決めていました。でも、当日舞台で見てやっぱり、BGMも流しすぎるとちょっと映画寄りになってしまうので、音量を調整した感じですね。なので、最後の最後には舞台寄りの作品になったと思います。

 

片貝ーそういう細かい工夫をたくさんして仕上げた感じなんですね。ありがとうございます。

続いて野村君にもいきますね。語劇だけじゃなくてわらわ座(劇団THEわらわ座:東京外国語大学公認演劇サークル)の公演とか、自分と演劇とのかかわり方について教えてもらっていいですか?

 

野村ー私は東京外国語大学の演劇サークルの『劇団THEわらわ座』というサークルの座長というか、サークル長と演出を務めております。2年前の8月とか9月あたりにオンライン上のみの公演をしたんですね。佐野君も徳永君も参加していただいた『知人楽』という作品を作りました。

具体的な内容としてはコロナ禍で閉塞的になった空間で話さないといけない現代で、大学生だったり中学生だったり、あと一緒に住む家族との関係性だったりを描いた作品ですね。こういうのが世間でも問題になっていたと思うんですね。どうしてもほかの人と会えないから心が苦しくなるっていう。

コロナ禍で大変だったこと…作品の内容とも連結することなんですけど、とにかくコミュニケーションを取るのが本当に難しかったですね。

例えば、演劇をやる時って、演劇の練習だけでコミュニケーションを全部済ませばいいかっていうとそうではない。役者なりスタッフなり、その人がどういう性格でどういうことが得意でっていうのを知るためには、日常的な行動だったり、その行動から考えられる性格を一人一人に対して考えておく必要があると僕は思っているんですね。

ただ、それができないコロナ禍では一人一人の状況が分かりづらかった。演技も「この人はこういう性格だからこうしよう」みたいに考えるのが難しかった。その人に向けたメッセージを送るのがやりづらかったなっていうのは、個人的に感じています。

あと、やっぱりフルリモートで演劇をやったのが大変だった。『知人楽』はYouTubeに上げておいた作品の映像を流しながら、そこに声を当てていくラジオドラマみたいな作風でした。最初はどういうふうに上演をするのかっていう、さっきの德永君が考えていた点に近い難しさはあったなって思います。

 

片貝ーそうですよね。コミュニケーションの取りにくさって本当その通りですね。

 

野村ーそうなんですよね。あとはまあ、対面で会う時って相手の目を見るのが基本じゃないですか。オンラインでもカメラを見るとほかの人の目が見えないし、それをやめようとするとカメラ見ないといけないし。目線をどうやればいいのかっていう、すごい細かいことだけど問題としてありました。

 

片貝ー確かにそうですね、ありがとうございます。川又さんから何かありますか?

 

川又ー野村さんの話を聞いてすごいと思いました。普段その人がどういう風に生活してるのか見て性格を知って、それを演技に生かすというのはかっこいいと思いました。あと、カメラを見るか画面を見るかっていうのは確かに目線にズレがあるんだなってことも今気づきました。

佐野君の話を聞いて思ったんですけど、Zoomで練習をするってどんな事ができるんですか?

 

佐野ー基本的に読み合わせですね。もちろん演技とフィードバックを重ねて稽古していましたが、それでもどれだけ舞台での実践につながる練習ができていたかは正直分かりません。普段から舞台に立つ人間でさえ全身を意識して演技・練習するのには苦労しますから、もっと早い段階から立体的に演技させてあげたかった。

環境の中で最善は尽くして稽古の場を作ったつもりですが、それでも実際のところ読み合わせと演出・戯曲の解釈というか、あとレクチャーみたいになっちゃうんですよ。何十人いても結局、同時に取れるコミュニケーションは一つなのであんまり演劇の練習にはなってないんですね。正直なところ、難しいです。

 

野村ーちょっと横からすみません。チェーホフの静かな劇って日常性が大事になってくるのかなと思っています。例えば人と人が話していればそれでいいのかと言われればそうでもないというか。演劇って映画みたいにカメラワークで注目するところに誘導するんじゃなくて、常に舞台の全景が見えてしまうのが特徴だと僕は思ってます。なおかつ日常劇だから会話してない人のように、注目が当たっているところ以外も注意するところがあるので、それとZoom、つまり一対一の会話だけに集中させてしまうものとは相性が悪かったんじゃないかなって思うんですね。佐野君的にそこら辺はどう思いました?

 

佐野ー本当にその通りで、対面の練習に入るまで気づかなかったんですよ。シーン練習をするとなると、人に喋ってもらって、それを演出が評価するんです。でもいざ舞台に上がった時に、「喋ってる人以外も舞台に居るじゃん!」っていう当たり前の事にやってみるまで気づかなくて。

しかもチェーホフの日常劇なので、他の人も動いてないと変というか。むしろ喋ってない人がどう動いてるかの方が大事なので、最後の二ヶ月で修正するのが難しくて。僕は執事のフィルス役で舞台に出入りしていても不自然じゃないので、演技プランを急に変えて出入りしたりとか、お茶持ってきたりとかっていうのをちょっと過剰にやって、なんとか日常感を出したってところはありますね。

 

片貝ー目からうろこの話がたくさん聞けますね。

德永君はどう思います?今の話聞いて思った感想でも質問でもかまいません。

 

德永ーほんとに演劇ってインタラクティブで、役のほぼ全員に相互関係があるっていう感じなんですけど、Zoomは絶対にそれはないんです。例えばセリフがちょっとかぶるシーンとかはZoomだとうまくできないし。

何より顔を突き合わせてやるものに意味はあるはずだと思ってて、はっきりとした根拠を自分の中で掴めてはないんですけど。絶対にネットでつながって顔を合わせるよりは、対面でやったほうが得るものも多いと思ってます。Zoom練習も少しやったんですけど、「このセリフの時には上手(かみて)から出てくるんだよ」みたいなディレクションとか、あとネイティブの先生と休みの日にセリフ練習するぐらいですね。劇の練習をZoomでやるのは、ぶっちゃけ無理かなあみたいな、ないよりはいいのかもしれないけど。

 

片貝ーそのへんは演劇経験者みんな思うことなんですね。次の質問に行こうと思います。

コロナ禍だからこそできた演出の方法だったり練習のやり方だったり、あとは自分の経験になった話について聞かせてもらえたらと思います。これも野村君からお願いしていいですか?

 

野村ー毎年ある語劇用のワークショップで教えてくださる黒田さんという方が「マイクを通して声を出したときと声をそのまま出したときの違いは、声を言葉というよりは記号として捉えるか否かだ」っていうふうに言われたことがありました。肉声が機械的な音声に変換されるかされないかでコミュニケーションも異なってくるよっていうことなんですね。

で、コロナ禍で演劇をする時は、逆にそれをどう活かそうかってのを考えたんです。つまり、Zoomで会話するのを基調にした演劇ができたし、コロナ禍のリアルな今っていうのを伝える機会になったんじゃないかなって思っています。

あとはなんといってもオンラインでやるっていうのは、全世界の皆様に自分がやった演劇について知ってもらう、いつどこででも見てもらうっていうことを可能にしてくれました。外出できないからこそできた文化なんじゃないかなと思っています。

 

片貝ーありがとうございます。続いて徳永君もお願いしていいですか?

 

德永ー私のときの語劇は映像配信だけだったので、映像に振り切った演出っていうのができました。演出そのものというよりかは、舞台の配置とかアクトスペースの観点ですね。客席から見たらバランスが悪く見えるようなスペースの取り方でも、映像だとカメラワークを活かせるから気にせず演じてもらえたり。

あとは、ドアをノックして入ってくるシーンをどうしようかなと思ったときに、「カメラで画角を限定して画面の端っこから入ってくるようにすれば、そこがドアってことにできるよね?」みたいな感じで、カメラがあることを前提に演出をつけることが出来たのは良かったところですね。

なんかそれ以外はいいことなかったですね。

 

片貝ーなるほど、面白い。最後に佐野君からもお願いします。

 

佐野ーはい。まあぶっちゃけ無いんですけど。それでも強いて言うならば。映像として残してもらって今も無期限で公開しているので、それに関しては本当にありがたいと思ってます。

稽古はZoomの段階では週に二回でやってたんですけど。稽古外で役者と一対一というか、少人数で集まって解釈について話すとかもあるんですね。Zoomを使えば移動コストを下げられるんですけど、でもそれって稽古番に集まればその場でただ話しかければ済むことだし。稽古ってそこで伝えることよりも、その外で話すことの方が全然大事っていうか。稽古の外でコミュニケーションを取って演劇の下地を作っておきたいことがあるので。まあ、対面でやるよりは全員集まれる日は多く取れたって感じますね。家からでも参加出来るので。

 

片貝ー思ったよりも良かったことがそんなに出てこないし、苦し紛れに答えてもらった感があるからやっぱり大変でしたよね。

三人とも語劇以外でも演劇に関わってたと思うし、これからもその可能性があると思います。自分の演劇人生の中でコロナ禍の経験はプラスになったと思いますか?野村君どうですか?

 

野村ー演劇って元々は古代ギリシャの中で、文字を読めなくてもみんなが分かりやすいように楽しくやるものだってところがあったんですね。演劇を通じて精神に対して訴えかける力があって。

コロナ禍っていうある意味異常な状態で演劇をやるのは特殊なことだったと思います。その中でどうやって人に何かを伝えられるかについて考えることは間違いなくプラスになったと思います。当然、大変な部分はたくさんあったけど、それを乗り越えてこそ作品制作はすごい物になるんじゃないかなって考えています。

 

片貝ーありがとうございます。徳永君はどうですか?

 

德永ープラスであって欲しいなあって思ってます。多分すぐにはわからないと思うんですけど、そのうちわかるかな。なんでかって言ったら、ここにいる三人全員が演劇をやってて苦しい思いをしている人たちだと思うので。

苦しい思いをして辞めたくなることもあるけど、それでも辞めるわけにもいかなくて続けるっていう。とにかく継続することがすごく大事になるというか。何かしら舞台が形をとって現れたことが、この先また苦しくて辞めたくなっても「まあ、あの時続けてそれなりにうまくいったし何とかなるのかなー」みたいになるのかな。希望的観測からそうなってほしいなと思ってますね。

 

片貝ーありがとうございます。たしかになんだっていいから続けるっていうのはすごい大事ですね。

 

德永ー語学にも通じるところがあるような。

 

片貝ー確かに!最後に佐野君お願いします。

 

佐野ー僕個人にとっては間違いなくプラスになってると思います。というのも、Zoomの稽古を始めたのが6月で日本語では8月まで。9月からロシア語でやって10月から対面練習を一か月半。

Zoomで顔しか見えない中でもどうにか立体の舞台につながるような稽古を考えて色々やってたので、対面になったら一気に色んなことが進みました。対面の威力というか、「あ、体がそこにあって話しかければ声が届くだけでこんなにいろんなことが進むのか」ってことが分かったのは絶対将来に活きてくると思います。

あとそうですね。僕の演出経験はまだ語劇だけで、完全に最初から最後まで対面でできた回もまだないので、そこでどうなるかはまだ分からないんですけど。関係各所には負担をかけてしまったところもあるんですけど、学びとしてはめちゃくちゃいいものだったと思います。

 

片貝ーありがとうございます。前向きな言葉が聞けて良かったです。

次の質問に移ります。今取り組んでいることとか、これから挑戦したいなって思っていることについて教えてくれたら嬉しいです。野村君からお願いします。

 

野村―僕は語劇で演出を、わらわ座でも脚本演出っていう形で携わらせていただいてます。その中で演劇を超えて演技をすることに携わりたいと思っていますね。例えば、脚本を書くことがあったのでラジオドラマに挑戦してみるだとか、他の媒体で演技をするみたいなところに移動してみたい気持ちはちょっとだけ。

語劇が演劇に携わる初めの段階になったのがすごく大きくて、そこで初めて体験した演劇のすごさを忘れずに色々携わっていきたいです。また演劇だけじゃなくて、日々どういう風に感じているかとか、知識とかも増やしていきたいなあと思っているところです。

 

片貝ーありがとうございます。野村君=演劇の人っていうイメージが。大学から始めたのに「本当にそっちの道に行くんだろうな」みたいに勝手に思えるぐらいすごい頑張ってるの知ってるからぜひ活躍して欲しいです。

続いて德永君にも、今挑戦していることとか、これからやってみたいことがあったら教えてください。

 

德永ーバルシャイ先生(ナターリヤ・ヴィクトラヴナ・バルシャイ。本学のロシア語ネイティブ教員で語劇の指導もしている)に大学に入った時からお世話になっていて、先生と大学を卒業する前にもう一回ちゃんと演劇がしたい。その先生演出の劇がしたいなと思ってます。

この間コンツェルトの演劇を初めて裏方として見ました。それまで役者兼任とかで見てたんで、初めて舞台に立たずに見てみた時にやっぱり演劇やりたいなと思いました。頭の中にやりたいことはあるので全部できたらいいなと思います。

有志の語劇に関しては、コロナでお客さんがいなかったことでどうしても不完全燃焼感がまだ残ってるので、大学卒業する前に燃え尽きて終わりたいなと思ってるところです。今年も何事もなければお客さんが入るだろうし、スッキリして卒業したいんですよね。あと、外実に苦しめられてるみたいな感じで喋っちゃったけど、向こうもたぶん手探りだし大学側から色々言われたりしてるんだなと思うし。苦しい中やってるはずなので、記事の中で外実が悪者になっちゃうと可哀想かなと思うので、そこだけ一応言っておこうかなってぐらいです。

 

片貝ーありがとうございます。すごいね、ロシア語劇やって欲しいですよね。自分も参加したいって思っちゃった。楽しみにしてます。

あと、バルシャイ先生ってやっぱり劇の世界だと欠かせない方というか、本当に演劇のプロの方ですよね。

 

德永ー大学院に行って演劇で博士号をとってたかな、それぐらいのレベルで本当にいい先生ですね。

 

片貝ーそんな方が今外大にいるってスゴイですよね。ぜひぜひ先生の演出する劇にも挑戦して欲しいです。

続いて佐野君にも今取り組んでいることとか、これからの展望を教えて欲しいです。

 

佐野ー予定としては、今後のコンツェルトの本公演で演出やるか役者やるか揺れてるところです。

あとやりたいこととしては英語劇ですね。僕はもともと演劇に入ったのが高校の授業でやった英語劇だったので、1回英語で対面舞台をやりたいなと思ってます。ESS(東京外国語大学ESS。英会話サークル)も今まで2年間ずっとZoomで撮影をした動画をアップするものだったので。一回原点に戻るというか。今の演劇の知識を加えた英語劇をやりたいなと思ってます。

あともう一つやりたいこととしては脚本を。この前の本公演で、僕は字幕を担当して結構な量を書いたんですけど。色んなキャラがいたら当然語尾とか言い回しとかも全部変わるじゃないですか。そこで人について深堀りしたというか、字幕を作る中でより鮮明にキャラが出来ていった経験がありました。言葉でキャラの人間性を作り上げる、人の型を作るみたいなことがすごく楽しくてちょっと脚本書いてみたいなというか。

今、一個書いてます。まだ手探りでやり始めたばかりなのであれなんですけど、やっていきたいと思ってます。

 

片貝ーありがとうございます。演出とか役者もやったと思うけどそれだけじゃなくて、字幕とか脚本とか、どんどんフィールドを広げていってるんですね。

最後の質問になります。これから劇に取り組もうと思っている後輩たちに向けて、ロシア語専攻に限らず全専攻の一年生を想定して簡単にメッセージをお願いしたいです。

 

野村ー語劇はやっぱり外国語で話すことがベースになっていて、ハードルの高さは人それぞれあると思います。それを劇っていう、ある意味、偽の形態で挑戦してもらうのはすごく大事なことだと思っています。それは言語学習上でも人とのコミュニケーションでも、すごく大事になってくると思うので。コロナ禍で厳しいところはあると思うんですけど、それを重視してもらえれば絶対に宝になるからこれからも続けていただきたいなと思っています。

それと、恥ずかしがらずに自分達が思っている信念だったり、発想っていうのをどんどん活かしつつ、みんなと協力しつつ、一つの作品を作り上げていってほしいと思っています。

 

德永―やめるんじゃねーぞっていうところですね。コロナがあったり、戦争が始まったり。なんかこうロシア語の演劇をやるのが憚られる状況っていうのは、なんならずっとソ連時代もそうだっただろうし。今もそんな時代が来ちゃったのかなみたいなことは思ったりするんですけど、本当に辞めないこと。これまでの先輩たちがとにかく続けてきたことっていうのが今に繋がってると思うので。あまり精神論的な話はしたくはないんですけど、でもやっぱり途切れさせないっていうことは自分のためにもなると思います。更にその後ろに語劇をやりたい子たちがいることを考えたときにやっぱり続けて欲しいと思います。

語劇って単なる演劇ではないし、言語学習も絡んできたりとか、長く続いている伝統行事っていうところもあると思うので、やめないで続けてほしいです。

あとは先輩たちがちゃんと伝統を作ってあげることが大事だと思います。後輩はそれを受け取ってさらに次の代にも、語劇をやる時に少しでもやりやすくできるようにしてあげてほしいっていうことですね。縦のつながりっていうのが途切れないようにしてほしいと思ってます。

 

佐野ーやっぱり続けてほしいというのがまず一つ。外国語大学で演劇ってやってるところも多いんですけど、そんなに直には結びついていないというか。外大って普段の授業で演劇の教育っていうのはしてくれないので、やる側は全部手探りなんですよね。

例えば、ロシア語の授業やってるから検定試験を受けるというのはふだん吸収しているものから自然に出ることだと思うんです。

じゃあ外国語を使って演劇しよう、とはたぶん普通はならないというか。伝統とか縛りがあるから仕方なく始めてみた結果として楽しかったみたいになってると思うので、一回やめたらすぐ途切れちゃうと思うんです。去年、やらなかった専攻がたくさんあったのに今年復活したことがむしろ奇跡だと思うぐらいです。

困ったら誰を頼ってもいいから、とりあえず舞台をやってほしいと思いますね。演劇を作るための環境は正直まだまだ種はまかれていないところも多いと思うんですね。自分たちが思ってる以上に語劇の意義は大きいってのは後々にわかってくることだと思います。本当に困ったらネイティブの先生にぶん投げてもいいから、何とか続けてほしいなって思います。

語劇をやったメンバーで演劇のプロに行く人は全然少ないだろうけど、演劇って作品のクオリティももちろん大事なんですけど、それ以上にその過程で大事なものがあると思うんですよね。人間というか、哲学というか。個々人に積もり積もってきたものが赤裸々にぶつかる場所で衝突もたくさん起きるのが演劇だと。語劇をきっかけにちょっとすれ違っちゃったっていう人ももちろんいると思います。でもその演劇っていう機会を得たからこそちょっとえぐいことも言えて、ぶつかってできた信頼関係ってその後ずっと続いていくので、とにかくたくさん話してほしいなって思います。

戯曲を与えられてこれを舞台に起こし、キャラクターを自分の体に落とし込む。と思うし、「なんでこんなことを」って思うこともたくさんあると思うんですけど、そこはそういう伝統がある大学に入った宿命だと思ってもらって。てほしいなっていうのが僕の思いです。

 

演劇を通して人がぶつかってその対話で生まれるものって、やっぱり後から気づくことが多いと思うし、私自身そう思うこともあります。

川又さんから何か…総括か感想をお願いしていいですか?

 

川又ー自分が観た演劇の裏なのにこんな困難があったんだなというのがわかりました。三人とも人との対面での繋がりをすごい大切にしてると思って、それが素敵だなと思いました。

 

片貝ーそうですね、ありがとうございます。インタビューは後日記事にまとめさせていただきます。

改めて、皆さんありがとうございました!

 

編者:3代に渡ってのインタビューでコロナ以前/以後の語劇の様子がうかがい知れて非常に興味深かったです。もちろん演出の意図や演劇論についてのお話も魅力的でした!

上演側の視点を覗くことで今年の語劇も一味違った楽しみ方ができるのでは!?なので学内の方も学外の方も、皆さんぜひこの記事を閲覧・拡散してこの秋の舞台を存分に味わってほしいです!