インペリアルポーセリン〜〜ティーカップは北欧だけじゃない!
Добрый день! (ドーブルィ ヂェーニ:こんにちは) 国社1年のTTです。ロシア語の試験が終わったにも関わらず一か月後にロシア語の学年末試験がある事に怯えています。常にロシア語に触れ続けなくちゃいけない…ってコト?!
今回僕が紹介するのはティータイムに欠かせない”アレ”についてです。
イギリスといえばウェッジウッド、デンマークといえばロイヤルコペンハーゲン、フィンランドといえばアラビア、ドイツといえばマイセン。
キリル文字表記ではИмператорский фарфоровый завод(インペラータルスキイ ファルフォーラヴァイ ザヴォート:皇帝の陶磁器工場)です。
ここまで来たらわかると思います!そう、インペリアルポーセリンです。
エルミタージュにも専用の一画がある程度には有名なこの陶磁器メーカー、知らない方もいるでしょうし、歴史をざっくりと解説したいと思います。
18世紀以前の欧州において陶磁器の製法は知られておらず、ドイツ人錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーが製法を見つけた事からドイツのマイセン工場でこの甘美なる秘密を幽閉しました。
エカチェリーナ2世に次いで有名な女帝のエリザヴェータが1744年に王室の為にサンクトペテルブルクの郊外に陶磁器の窯を作らせました。そこではドミートリー・ヴィノグラードフという製法を見つけたロシア人が磁器工場の指揮を行っていたそうです。
その数十年後、エカチェリーナ2世はこの工場で作られる陶磁器を愛用すると共に、文化的側面からも後援していました。この時代に磁器工場は2つの役割を持っており、一つはロシアの装飾美術の最先端を表現する事と、もう一つは収入源としての磁器工場でした。そして彼女の息子であるパーヴェル1世もクリスマスやイースターといった催し事で用いていてインペリアルポーセレンは隆盛を誇っていました。
アレクサンドル1世の時代となると、度重なる戦争から発展のペースが落ちます。しかし陶磁器における金の使用率が増え、そんな中でも皿にロシア軍の兵士の絵を描くなどして様々な種類の陶磁器が生まれました。ニコライ1世の時代でも引き続きインペリアルポーセリンの磁器を宮廷で使い続けており、1844年には100周年を記念して博物館が作られる程の規模になったのは驚きです。第一次世界大戦中は芸術的な磁器製品は最低限に抑えられ、前線の兵士の為のイースターエッグを作る程度でした。
しかし1917年の十月革命を経ると、彼らの陶磁器は豪華絢爛なものから質素で共産主義を体現するものへと変更することを余儀なくされました。名前もロモノソフ磁器工場へと変え、陶器の人形を作る事が増える中、第二次世界大戦を経てかの有名な「コバルト・ネット磁器」がこの磁器工場の代名詞として世に出て、今も専売しています。
ソ連崩壊後は帝国磁器工場(インペリアルポーセリン)へと名称を戻し、19世紀の作品を作り直したりする中で、今はタチヤーナ・トゥイレヴィ―チという女性に率いられ現代的な陶磁器も作っています。
大まかな歴史がわかった時点で次は陶磁器自体を見ていきましょう。先日銀座にある輸入食器専門店のル・ノーブルさんに行ってきて、写真を撮らせて頂きました!
手前に見えるのはナネルリ(на Нерли)というデザインのマグ&ソーサラーセットです。マグカップに描かれているのはネルリ河畔にある生神女庇護聖堂です。
これらのティーカップ/マグカップ&ソーサラーセットはバレエコレクションです。バレリーナ、バレリーノには特にオススメのセットです!
これら3つはクリスマスぽいマグ&ソーサーですね。今買ってもな..と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ロシアのクリスマスは1月7日なのでまだまだ使えます!!
最後は定番のコバルト・ネットです。青とピンクの二種類あり、ティーカップ、ソーサー、ポットなど一式揃っているので統一するにはぴったりです!
東京の実店舗でインペリアルポーセリンが買えるお店はル・ノーブルさんだけですので、未だにクリスマスプレゼントに迷っている方がいらしたら是非とも足を運んでみてください!(筆者はお店の回し者では無いですw)
以上、インペリアルポーセリンについての紹介でした!私も実際に足を運んで購買意欲がかなり高まりました。社会に出てこれを買える金銭的余裕ができたら買おうと思います…!
今日のロシア語
чайник(チャーイニク)意味:ティーポット
чашка(チャーシカ)意味:ティーカップ
文責:TT
参考: https://www.ipm-jsc.com/about-ipm/history-of-the-manufactory/