詩人フェート
こんばんは
そーにゃです。記事の執筆は久しぶりとなります。
今月は文化特集ということですが、今回の記事では19世紀ロシアの詩人アファナーシー・フェートの詩を何編か紹介したいと思います。
何を隠そうこのフェートと彼の詩作こそ、私が卒論や大学院で扱おうと思っているテーマなのです。多少ハードルが上がったところで早速紹介に移りたいと思います。
その前にフェートについて少し説明を。
1820年、オリョール州ムツェンスクにドイツ貴族アファナーシー・シェンシンと妻シャルロッタの息子として生まれますが、その出生や後の人生には苦労が絶えませんでした。
フェートは純粋芸術派と呼ばれるグループの代表的詩人であり、美を詠う芸術至上主義者でありましたが、一方で農奴制の支持者として自らの意見を雑誌に投稿したり経済・社会問題に対して論を展開したりと論客としての側面も持ち合わせており、「強欲地主」「美しい詩を書くが頭は空っぽな男」といった否定的な評価もなされています。このような背景には彼の若い時代の苦労が大いに関係しています。
しかし彼の描く詩的世界は見事で、その才能は確かなものです。トルストイやツルゲーネフといった同時代の作家達も彼の詩作を評価しています。
それでは詩の紹介に移ります。今回紹介するのは以下の2篇です。
まず一つ目。
Целый мир от красоты,
От велика и до мала,
И напрасно ищешь ты
Отыскать ее начало.
Что такое день иль век
Перед тем, что бесконечно?
Хоть не вечен человек,
То, что вечно, — человечно.
大きなものから小さなものに至るまで
様々な美から成っているこの世界
始まりを探ろうとしても
それは無駄なこと
永遠を前にして
1日や100年が何だというのか
人間は永遠の存在ではないが
永遠とは人間的なものである
初めて読んだ時、最後の「人間は永遠ではないが、永遠は人間的である」というフレーズに心を奪われました。正直詩人が意図することははっきりとは分かりかねるのですが、永遠という大きな、卑小な人間の対極にある存在を「人間的」と表現し人間と永遠との非対称性を表す様が自分にはとても美しく感じられました。
では続いての詩です。
Чудная картина,
Как ты мне родна:
Белая равнина,
Полная луна,
Свет небес высоких
И блестящий снег
И саней далеких
Одинокий бег.
素晴らしい光景
愛おしい光景よ
白い地平
満ちた月
天球の光と
照り輝く雪
そして遠く離れた橇の
孤独な轍
この詩では、3行目の地平と4行目の月、5行目の空と6行目の雪といった視点の移動が意識されています。上下のみならず、遠近という点でも表れていますね。この詩では動詞が使われておらず、ほとんど名詞と形容詞によって構成されています。一見単純な中にそのような視点の移動を組み込み、躍動感を出す手法はとても見事なものです。フェートが“Безглагольный”(動詞の無い)詩人と呼ばれる所以たる詩ですね。
今回は以上となります。
解釈や詩訳が違う、おかしい、誤訳だ、というところがあればぜひご教示ください💦
この2篇を選んだ理由は、フェートらしさの表れている作品かなと思ったからなのですが、もちろん他にも美しい詩は山ほどあります。彼は生涯に長いものから短いものまで800以上の詩を残しており、テーマも様々です。彼の作品は光景の美しさを想像させるものが多く、気に入る人は少なく無いでしょう。
フェートという名前をこの記事で初めて知ったという方も多いと思いますが、ぜひこの機会に彼の詩に触れてみてください。
それでは、また。
Пока〜(パカー)(さよなら)
文責:そーにゃ
今日のロシア語
поэзия(パエージア)
意味:詩
вечный(ヴィエーチヌイ)
意味:永遠の
参考文献
Гаспаров М. Л. ФЕТ БЕЗГЛАГОЛЬНЫЙ. Композиция пространства, чувства и слова / Избранные труды. Т. II. О стихах. - М., 1997. - С. 21-32