東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

「ロシア怪談集」をひらく ―死してなお人間は、死んで…これ死んでる?-

Доброй ночи(ドーブライ ノーチ)(こんばんは)...りん です...

今回は“ひんやりロシア”ということで、あの文豪たちが書いたホラーを集めた一冊「ロシア怪談集」から極限の恐怖、選りすぐりの奇譚怪談を紹介いたします。

 

 

まず最初は国民詩人プーシキン(Александр Сергеевич Пушкин)による「葬儀屋」

葬儀屋のアドリアンは新居に引っ越したところ近所の靴屋からパーティーに招かれます。様々な職業の人々が集まるパーティーではお互いがお客様同士。乾杯のスピーチ代わりにそれぞれ挨拶してゆきますが、彼らの生業はパン屋や仕立て屋など生者を相手にするものばかり。ただ一人亡者を相手にするアドリアンは“挨拶すべき相手”がいないことをからかわれてしまいます。

 

すっかり気分を悪くした彼は怒ったまま帰宅、酒も入っていてついついとんでもないことを口走ってしまいます。新宅祝いに亡者どもを俺の家に呼んでやる、と。

 

その夜、急な葬儀に呼ばれたアドリアンは仕事を済ませて帰りつきますがどうも家の様子がおかしい。なんと家は彼の口にした通り、今まで弔った亡者でいっぱいでした。肉の残っている者、骨のそろっている者、動ける体のある者は皆アドリアンに招待されてやって来たのでした。彼に口々に挨拶する亡者たちは様々な職業の人たちばかり、軍曹や旅団長までいます。肩書だけなら昼間の宴席にも負けていませんね。

 

 

あまりの恐怖に気を失ってしまったアドリアンですが、目を覚ましたところ部屋は空っぽ。使用人から昨夜は何もなかったと聞かされます。アドリアンがすっかり安心したところでお話は終わりますが、果たしてこの出来事は夢なのか現なのか…

と、いうのもこの本にはもう一編、死してぬけがらとなったはずの死者の肉体が“まだ生きている”お話がありますから…

 

 

続いてはロシア最大の文豪の一人、ドストエフスキー(Федор Михайлович Достоевский)が描く「ボボーク」

 

あちこちの編集部に持ち込みをするしがない物書きのイワンは葬式に出くわし、そのまま墓場で物思いにふけります。長い間そうしていると次第に色んな声が聞こえてきました、冷たい墓石の下から。枢密参事官や陸軍少将に上流のご夫人から商人まで、様々な人々が屍のまま口も動かさず言葉を交わしていたのです。話題も多様なもので、自分たちの身の上話から哲学の持論とひまつぶしの小話、そしてなぜ自分たちが死後も意識を保っているのかまで...

 

彼らの話によれば、人間は死後も意識が肉体と一緒に数か月は残り続けるらしいです。しかしそれもだんだんとあいまいになっていき最後には意味のある言葉は発せなくなるとのこと。

 

真偽のほどはいかにせよ、とにかく命のロスタイムを自覚している亡者たちは来るべき二度目の死が訪れるまでひたすらにお喋りを続け、イワンは耳をそばだてます。短い時間を楽しく愉快にすごそうと提案する者もいればひたすら生前を後悔する者もいます、いずれにせよ身じろぎもできずに迫る死の恐怖から狂気に浮かされているようです。

場が盛り上がってきたところでイワンはくしゃみをしてしまい死者たちは一気に静まり返ります。墓地を後にすることにしたイワンはそれでも再びそこを訪れ、聞いた話を編集部に持ち込むことを決心します。

 

 

以上、死者の肉体と魂に関する二編でした。冒頭に極限の恐怖とか書きましたがホラーというよりは不思議の側面が強かったですね。これらの話に共通していたのは死後も肉体に魂が宿っている描写でした。昔のロシアは土葬だったのでそういうこともあるんですかね。少し違うところは「葬儀屋」では死者が墓を動いて抜け出した(ように見えた)けれど「ボボーク」では死後間もない遺体でも動けなかったあたりでしょうか。ただどちらの作品においてもあまりに風化してしまった亡者は動くこともしゃべることもかなわなかったので、肉体が魂をとどめて置ける損壊には限度があるのでしょうか。興味深いですね、来年卒論のテーマにでもするか。

 

ちなみに「葬儀屋」のアドリアンは自分に挨拶に来た骸骨が怖すぎて突き飛ばしたところばらばらに崩してしまいそのことを他の亡者たちから詰められ、怖すぎて気絶します。「ボボーク」のイワンは死者たちの楽しいお喋りに水を差して中断させてしまいます。前者からは生死は分っても礼儀や態度を変えてはいけない、後者からは生者と死者は住む世界が違うのでうかつに踏み込んではいけない、といったことがうかがえます。現世の人付き合いも大変なのに幽世でも人付き合いに気を使わないといけないのは果てしなく面倒な話ですね。

 

うまいこと紹介する力がなくて諦めましたが本書は他にも傑作的怪奇が11本収録されています。ぜひご鑑賞ください。

 

文責:りん(国際社会学部ロシア地域ロシア語専攻3年)

 

今日のロシア語

Душа(ドゥシャー):魂

Тело(チェーラ):肉体

Смерть(スミェールチ):死

 

参考:「ロシア怪談集」、2019年、沼野充義、河出書房新社