東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

沼野恭子教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

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↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

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葛藤の時期を越えて

―沼野先生はどんどん新しいことに取り組んでいらっしゃる印象がありますが、これまでに何かで行き詰まった経験はありましたか?

そうですね… これから私はどうやって生きていったらいいのだろうと一番悩んでいたのは、やはりアメリカに行くことを決めたころですね。学生時代にあれだけロシア語を頑張ってきて、本当にロシア語を使える仕事に就けたわけですし、当時勤めていたNHKはとても良い職場でした。それなら仕事を頑張ればいいって思うじゃない? なのに三年という短い期間で辞めちゃうなんてもったいないし、周囲の人にも申し訳ない話なんですが、先ほども話したように私は渡米することに決めました。

決定的だったのは、こんなことを言って恥ずかしいんですけれども、NHKに勤めていた当時は23, 24とかだったんですよ。大学を卒業して一年も経たないその時期に結婚したんだけれど、新婚の大事な僕たちの青春の時期に一緒にいないってどうなのよって話をしてね。じゃあ向こうが帰ってきたらいいじゃない、とも思いましたが…(笑) でも夫は夫で自分のキャリアがありますし、ハーバード大学は研究者にとっては本当に良い研究環境でしたからね。まあ、そういうわけで、私がアメリカに行って何ができるのってすごく悩んだけれども、とりあえず私たちの人生で一番輝いているかもしれない時期を二人一緒に過ごさないというのは、やっぱり残念かなと思ったわけです。だから、結果としてキャリアよりも自分の人生を選びました。実態はそんなに素晴らしく美しくないんだけれども、そういう話し方をするとなんだか小説みたいじゃない?(笑)

でも、アメリカに渡った後もしばらく葛藤を抱えていました。向こうで日本語教師として働けるかもしれないと想定して、行く前に日本語教授法の短期の研修を受けておいたのですが、やはり働きながらもずっと悩んでいましたね。あんなにロシア語をやっていたのに、これが本当に私のやりたいことなのかと。ずっと心の中ではもやもやしていました。

 

―「自分の人生を選んだ」という言葉がとてもかっこいいです…!

沼野先生は以前に「嫌なことはすぐに忘れて切り替える」とおっしゃっていたのが印象的なのですが、そのような前向きな性格は誰かの影響があったのでしょうか?

忘れっぽいというのは昔からですね(笑) でも、物事に対して積極的になったのは、大学生の時の友人の影響がとても大きいんです。私はもともと引っ込み思案な性格で、自分から進んで人前に出たり、組織のリーダーになったりなどということには縁のないタイプだったんですよね。一方で仲良くなった友人はどんどん積極的に新しいことに挑戦していくすごくアクティブな人だったんです。その人とはロシア語の個人レッスンにも一緒に行ったし、コンツェルトで一緒に活動していた時期もありました。彼女と時間を過ごすうちに自然と学んだことはとてもたくさんあったと思います。

このような友人の影響というのは本当に大きくて、ピアレビューという言葉もあるように、研究者同士がお互いに切磋琢磨するっていうのはすごく大きな知的刺激になるんですよね。ですから、学生時代に良い親友や仲間ができるといいのではないかと、皆さんに対しても思っています。

 

―大切な仲間との繋がりは本当に価値のあるものですよね。

沼野先生には、恩師と言えるような存在の方はいらっしゃいますか?

まず高校の話をさせてもらいますが、私の通っていた名古屋大学附属中学高校がなかなかユニークな学校だったんですよ。ついこの間、名古屋大学教育学部の先生を中心に何人か年代の違うこの高校の出身者が集まってシンポジウムをして、私たちの高校って面白かったよねという思い出話をしたんです。その時に改めて思ったのが、非常に自由な学校だったということです。

その高校にはものすごくユニークで一風変わった先生が多かったんですよ。例えば、生徒に向けて一生懸命にアインシュタインの相対性理論を説明してくれる先生がいてね(笑) 生徒たちも教科書のどこにもそんなの出てこないなぁなんて言って、完全に先生の話を理解できたわけではないけれど楽しく聞いていた覚えがあります。

あるいは現代史の先生が「僕たちは反対していることがあるので来週からストライキをします」って言うんですよ。「みんなには迷惑をかけますけれども、ストライキというのは人に迷惑をかけるものだから」って(笑) それで私たち生徒も、そうかぁなんて納得したりね。私たちは迷惑をかけられるけどそれでいいんだって、先生のやりたいことをやるんだ、これが労働者の権利なんだってね。そう思ったのが今でも印象に残っています。

あと、先ほど話したロシア文学が好きな現代国語の先生が運営されていたロシア語サークルに私も参加していました。NHKラジオのテクストを使って、АБВ…ってロシア語のアルファベットをみんなで練習しました。ですから外大に入ったとき、私はアルファベットとЧто это?(「これは何?」)だけ知っていたんです(笑) その現代国語の先生は私が外大ロシア科に入ったことをすごく喜んでくださいました。その後、私がロシア語のラジオやテレビで講師をやる度にテクストをお送りすると必ず全部見てくださったり、出版した本を送ると読んでくださったりして、いつも温かいお手紙を送ってくださるんですよ。その先生が私にとっての恩師と言える存在だと思いますね。

そんな高校が私にとって「学校」という教育の場のイメージなので、自分の考えがあれば何をやってもいいんだ、みんなそれぞれ自分の好きなことをするんだ、という高校全体の自由な雰囲気が私の中の基盤になっていると思います。何といっても「自由」が一番大事という考えは、高校の時に形成されたのではないかと思いますね。

 

大学の変化 −ロシア研究を志す皆さんへ

―沼野先生は外大のご出身ですが、現在の大学と先生が在学されていた当時の大学は、どのような違いがあると思いますか?

根幹部分はあまり変わっていないと思いますね。それが前提なんですが、時代の流れもあって、今の大学の方が留学などさまざまな面で制度が整ってきていると思います。でも、面倒見がいいということは、学生にとっては一概に良いとは言えず、良い面も悪い面もありますよね。教師や大学側が手取り足取り学生を指導していくというのは高校生までならいいと思いますが、大学というのは少し違って、自分で自分の道を切り開いて、自分から積極的に働きかけをして何かを得るところだと思うんですよね。教師があまりにも面倒見が良すぎると学生さんが安心してしまうこともあるかもしれません。昔のようにほっとかれていたら何をすべきか自分で考えなければいけないので、それはそれで悪くなかったんじゃないかなっていう気もしています。ですから、大学側がわりと放任的だった昔に対して、今は学生さんに寄り添う傾向が強いというのが一番大きな違いだと思います。

 

―最後に、今後ロシア研究に携わりたいと思っている学生に向けて、メッセージをお願いします。

まず、自分の好きなものを徹底的に追求してほしいと思います。誰が何と言おうが私はこれが好きだというものを一つ見つけて、とことん自分が納得するまで調査して追求していく、という姿勢が基本だと思いますね。ただ、それと矛盾することを言うようですけれど、私のゼミのようにいろんなことに興味を持つことも大事なので、その両方をバランスよくやってくれるといいと思います。例えば、ドストエフスキーの研究をすると決めていたとしても、他のことは全く見向きもしないのではなく、ドストエフスキーっていう軸足はあるんだけれども、いろんなことに興味を持つことが大切です。そうすると、これは何かでドストエフスキーに繋がるんじゃないか、これはもしかしてドストエフスキーの影響を受けているんじゃないかって、さまざまなものがさまざまな形で繋がっていくと思います。文学的にはインターテクスチュアリティーと呼ばれているものですが、網目がだんだんできてくる、これが面白いんですよね。これこそが知的な作業になってきます。

ですから、矛盾するようだけれど、自分のものすごく好きなことを自由に徹底的に追求すること、でも自分を狭く限定しすぎずにいろんなことに広く関心を持つこと、この二つに取り組んでほしいです。なにもロシア研究だけではなくて、どんな分野にも言えることだと思いますけどね。

 

沼野先生が当時の仕事を辞めてアメリカに行く決断をされたときの、キャリアよりも輝いている「今」を大切にしたいという思いがほんとうに文学作品の一場面のように感じられ、取材した私たちの心にぐっときました! 私たちを含む多くの学生がコロナ禍で色々なことを断念し歯痒い思いをせざるを得なかった一年でしたが、先生のお話を聞き、それでも自分の心が動く感覚を大切にして今できることに真摯に取り組んでいきたいと思いました。

 

お忙しい中で取材に応じてくださった沼野先生、本当にありがとうございました!

 

取材・執筆担当:片貝里桜(4年)、川又えみか(3年)、小副川将剛(1年)

 

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