東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

沼野恭子教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 沼野恭子/Numano Kyoko

1957年、東京都生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京大学大学院総合文化研究 科博士課程単位取得満期退学。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。ご専門はロシア文学・比較文学であり、大学ではロシア語の語学の授業も持っていらっしゃいます。ゼミでは、卒論指導のほか、ロシア現代文学作品の講読、またBLM運動やベラルーシでのデモなどの社会的なトピックに関するディスカッションなども行なっています。主な著書は『ロシア万華鏡―社会・文学・芸術』(五柳書院、2020年)、『アレクシエーヴィチとの対話──「小さき人々」の声を求めて』(共著、岩波書店、2021年)など。

 

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ロシア語に打ち込んだ学生時代

―初めに、なぜ大学の専攻としてロシア語を選ばれたのですか?

一つ目の理由としては、ロシア語に希少価値があると思ったからです。私は大学に入る頃からロシア語を仕事で使いたいと思っていたのですが、希少価値のある言語の中でも、比較的世界で広く使われており、それでいてフランス語やドイツ語ほど学んでいる人が多くない言語を選びました。二つ目の理由は、ロシア文学が大好きだったからです。高校生の時の現代国語の先生がロシア文学をお好きな方で、まるで夢見るようにロシア文学の話をしてくださったんですよね。当時、私は文学を職業にするつもりはなかったのですけれど、ドストエフスキーやトルストイの作品を原文で読むことができたらすてきだろうな、と考えていました。

 

―ロシア語を使える仕事に就きたいという思いがあったのですね。現在でも国内でロシア語が使える職場は決して多くないと思うのですが、沼野先生の学生時代にはロシアと関わる仕事は多かったのでしょうか?

私の学生時代も同じように絶望的でしたが、それでも「絶対にロシア語を使った仕事に就きたい」と考えていました。もちろん本当にロシア語で食べていけるのかという不安はずっとありましたけれど、とにかく強い思いは持っていました。

 

―ロシアに関わる仕事に就くために、学生時代に意識して取り組んでいたことはありますか?

ロシアと関わりのある仕事は多くなかったので、最初は外交官を目指して勉強していました。特に学部2年生の頃は、早稲田大学で行われていた外交官試験勉強会に参加させてもらっていました。ですが、だんだん外交官になるのは難しそうだと思い始めて、いつの間にか気持ちは薄れていきました。

ロシア語学習についてですが、今皆さんが受けるТРКИ(テ・エル・カ・イ/外国語としてロシア語を学ぶ人のための、ロシア連邦教育科学省が認定する国家能力試験)やロシア語能力検定試験ではなくて、ロシア語の通訳案内士の試験に合格することを目標に取り組んでいました。ロシア語能力の他に、日本に関する教養も求められる試験です。その試験には無事に合格したのですが、結局ガイドの仕事は一つも来ませんでした(笑) また、大学時代の岡本先生という方が何人かの学生を自宅に招いてロシア語の本の講読会を開いてくださっていたので、そこに毎週お邪魔していました。会話に関しては、ネイティブの先生や、私の所属していたコンツェルト(東京外国語大学や早稲田大学などが合同で活動しているロシア語演劇サークル)の野村タチヤーナ先生とお話しするなどして練習していたのですが、本格的な会話練習のために1年半くらいの期間、友達と個人レッスンに通っていたこともありました。

 

―同時並行での学習は大変そうですが、いろいろなリソースを活用されていてすごいですね。次に留学のお話を聞かせていただきたいです。

私は学部2年生の夏に1ヶ月ペテルブルク(当時はレニングラード)に行っただけなんです。ソ連時代なのにかなり自由なツアーで、午前中はロシア語の先生が私たちのホテルまで来て出張授業をしてくれて、午後は自由時間だったので、ずっとレニングラードの街を歩き回っていました。ちなみに、この留学が決まったことを原卓也先生に報告したら、なんと現地のコメディ劇場の看板女優オリガ・アントーノワさんに紹介状を書いてくださって、その方の自宅にも招待してもらったり、劇場の端っこの方の特別席で生の芝居を見せてもらったりして、とても貴重な経験をさせていただきました。この短期留学があまりにも楽しかったものですから、もう一度ロシアへ行きたいと思ったんですよね。長期留学は簡単にはできない時代だったので、旅行もしくは語学研修で行くことになるのですが、どうしたら安く行けるだろうと考えました。そこで、ロシア行きの飛行機の往復チケットがもらえるという、朝日新聞社が主催していたロシア語スピーチコンテストがあったんですよね。これに出場して準優勝し、3年生の時にまたレニングラードを訪れました。

 

沼野先生の考えるロシア文学研究の魅力

―沼野恭子先生のご主人の沼野充義先生もロシア文学の研究者とのことですが、研究者としてのキャリアと家族のプライベートとの折り合いはどうつけていらっしゃいますか

折り合いがついているのかいないのか、わからないうちに数十年経ってしまいました(笑) 実は、私は初めからは研究者になるつもりはありませんでした。大学卒業後の経緯から話すと、外大を卒業したあとNHKに就職して働いていたら、夫がアメリカへ留学することになったんです。夫は1,2年で帰国する予定だったので、私は遠距離の別居結婚という形で、日本で仕事をしながら待っていることにしました。ところが、いろいろな事情があって夫はなかなか日本に戻ってこないので、私も思い切ってアメリカに行くことにしたんです。そこで現地の学生に日本語を教えるという仕事を二年間続けたのですが、働いているうちにこれは自分の仕事じゃないと思うようになりました。同時に、やっぱり私はロシアの文化や文学が好きなのだとわかって、もう一度勉強し直そうと決意をしました。

そういったわけで日本に帰国してから大学院に入り、そこからは好きな研究、文学の翻訳や紹介をしていこうと思ったのが私の研究者としてのスタートでした。その時点で夫は研究者としてすでに十歩くらい前を走っている人で、とても追いつけるような人ではありませんでした。私は彼と同じことをやっても仕方がないと考えて、まだ彼がやっていない分野の中で、日本とロシアの関係や女性文学といった分野が私にぴったりだと思いました。そして院生になったころにちょうどソ連ではペレストロイカが始まって女性作家たちが活躍し始めたのもあって、これこそ私がやりたかった分野だと再確認しました。夫とは同じ人文系で話は合いますから、毎晩のようにお酒を飲みながら(笑) 話しています。どんなことを言っても通じますし、話題が尽きず楽しいですね。会社から帰ったらプライベートの時間というように分けられているわけではありませんから、家に帰ってもずっと研究や教育のことを考えています。だから我々のような職業には仕事とプライベートの明確な折り合いはない、というのが答えですね。

 

―沼野先生はロシア語だけではなく日本語を学生に教えた経験をお持ちですが、日本語を教えることとロシア語を教えることの違いはありますか?

ネイティブとして母語を外国人に教えるのと私にとっての外国語を日本人に教えるというのは全然違いますね。ネイティブだと感覚として母語が身についているものですけど、ロシア語は自分で苦労して学んだ語学なので、その習得の苦労もわかれば文法の難しさもわかるため、学生の立場になって説明することができますね。私自身は日本語を教えることにあまり使命感を持てなかったのですけれど、今の仕事のようにロシア語を学生たちに教えることはとても楽しくて、やはり私は今のほうが好きですね。最初はキリル文字も知らなかった学生を教え、そして留学に送り出し、帰国した時の語学能力の伸長を見るというのは本当に楽しく、教師冥利につきます。

 

―沼野先生の考えるロシア文学の魅力を教えてください。

徹夜で付き合う?(笑) それは冗談として、私の研究している現代文学を中心に三点話しま すね。

まず20世紀のロシアは、革命からソ連崩壊まで社会がドラスティックに変化した時代でした。そういった社会情勢そのものを描くわけではないのですけれども、その変化のなかを生きていた人間たちをどう小説の中で描くかというのが面白いと思います。例えば私が大好きなリュドミラ・ウリツカヤ(ロシアの小説家。1943-)という作家はそういった時代を人々が生き延びたり、あるいは殺されてしまったりといった様々な人生を掬い取って小説にしている人で、そうした変革の激しいロシア社会と人間をテーマにしているところが大きな魅力だと思います。

二つ目に、20世紀初頭のロシアというのは「銀の時代」と呼ばれる文化の高揚期で、文学以外にも美術、音楽、演劇など多彩な文化の広がりが見られました。この多様性、とくにロシア革命前後の多様な文化の広がり方、そしてしぼんだように見えたそれらの文化が地下で脈々と生き残り、ペレストロイカがきっかけで火山が噴火するかのようにまた噴き出てきたところも魅力だと思います。

三つ目に、私は大学院で比較文学として日本とロシアの比較をしていたのですが、20世紀初頭の日本とロシアはどちらも遅れて近代化した国であり、常に西欧と比較して自分を規定し、西欧を参照にしながらどうやって国を良くしていくかという意識が共通しています。 こういった日本とロシアの類似点を含む日ロの相互関係というのも面白く、一つの魅力なのだと思います。

 

―沼野先生のゼミでは、BLM運動やベラルーシでのデモなど、一見先生のご専門とは異なるトピックでディスカッションをすることがありますが、ロシア文学・文化以外にも幅広い分野に興味を持つことはどのような意味で重要なのでしょうか?

私の専門はロシア文学・文化なので、ゼミにはそれに関心のある学生さんに参加してもらっていますけれども、文学というのは、人間の営みのありとあらゆるものが関係してきますよね。自分は政治家ではないから政治のことは知らなくていいなどと思っていると、文学が本質的に理解できないこともあります。実際に作品を翻訳しているときでも、細々したディテールから大きな思想まで、全ての要素が作品に詰まっているわけですよね。ロシア文学の翻訳というのは、ロシアに関して背景知識がないと訳せないものもあります。ですから、日頃からできるだけいろいろなことに興味を持とうと、私自身の自戒として思っているということが一つ目です。

それからもう一つは、学生の皆さんにいろいろなことに興味を持ってもらいたいという気持ちがあります。自分はロシア文化だけ知っていればいいというような狭い蛸壺のような考え方ではなく、様々なことに知的関心を持つと、それが色々なところで結びついていることがわかってきます。そういった繋がりを発見した時ってすごく大きな喜びを得ることができるわけで、学生さんにもそういう体験をしてもらいたいですね。政治の話題をわざわざ意図的に授業に持ち込んでいるわけではありませんが、とはいえ政治だって人間の生活でとても重要な役割を果たしています。特にベラルーシのことは私たちの研究に直結していますよね。例えばスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ出身の小説家。1948-)の作品や思想を深く考える上で、ベラルーシのデモや独裁制について無関心ではいられないはずです。

 

取材・執筆担当:片貝里桜(4年)、川又えみか(3年)、小副川将剛(1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

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