東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

巽由樹子准教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 巽由樹子/TATSUMI Yukiko

東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はロシア文化史。主著に『ツァーリと大衆-近代ロシアの読書の社会史』(東京大学出版会、2019年)、Yukiko Tatsumi, Taro Tsurumi (eds.), Publishing in Tsarist Russia: A History of Print Media from Enlightenment to Revolution (Bloomsbury, 2020)。共訳書にルイーズ・マクレイノルズ『遊ぶロシア-帝政末期の余暇と商業文化』(法政大学出版局、2014年)。オーランド・ファイジズ『ナターシャの踊り—ロシア文化史』の共訳が近刊予定。

 

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学生時代について 当初の本命はロシアではなく○○?

―なぜロシア語を学習言語として選ばれたのですか?

大学に入った時点で歴史を学びたいなと思っていたのと、大学院に行って研究したいと思っていて。その時にどの地域の歴史を学ぶかによって必要になる言語が違ってくるんですね。

実は最初は中国史をやろうと思っていたので、大学に入学するとき中国語クラスを選択していたのですが、一年生の五月くらいで「あ、中国史ちょっと無理だ」「今あんなに強い政権のもとで私みたいなぼんやりとしたタイプの人間が歴史研究なんて無理」って思ってしまって。

別にコミュニズムに興味があったわけではないんですけど、高校時代からロシア史にも興味があったので「じゃあロシア史で」って感じでロシア語を学び始めました。

ロシア語は第三外国語として二年生から始めたのに、結局仕事になってしまった。恐ろしい話ですね(笑)

 

ロシアについて学ぶ学校としては、日本で盛んなところってそんなにある訳ではないんですよ。東大だって当時はロシア語クラスなんて本当に少なかったと思います。一学年3000人中、文理合わせて30人くらいしかいなかったんですから。

外大ロシア語科って必ずコンスタントに一学年60人程度いますので、実はこれはかなり多い人数なんです。やっぱり外国語大学ですし、「教員は相当の語学力がいるんだ」って思ってました。

ロシアの研究をやっている人がどこかの大学に就職する段階になったっときに、「外国語大学」と言われると、ちょっとおじけづくと言うか、特に私のような歴史学の人間は思ってしまいます。文学や言語学の専門の人たちの方が、きちんと基礎から応用まで語学をやっていますから。私たちは少し粗いかもしれないので(笑)

 

―学生時代に留学に行かれた経験はありますか? 

いわゆる短期留学に当たるものに行ったのは、修士課程の一年の9月で、一か月間モスクワ国立大学の外国からの学生を私費で迎えるプログラムに参加しました。本格的な長期留学をしたのは博士課程に入って二年目のことで、2004年から2006年まで二年間行きました。所属先はロシア国立人文大学でした。

 

―学生時代のロシア語の勉強について教えてください。

外大の学生に向かって言えることは全然ないですね…。反省の方が多いです。私は研究上「読む」ことが中心で。3年にあがって研究室に入るといきなり論文を読み始めるような感じで会話の能力とのバランスが悪かったんですよね。

ロシア語学習者の皆さんにお勧めできるほどの勉強法はわかりませんが、「上達しないなぁ」「うまくできなかったなぁ」なんてへこむのは普通のことなので、とにかく粘ること。そうすると「前はこれでへこんでたけど、全然大したことなかったや」ってなります。長く続けていればちょっとのつまずきは確実に乗り越えられるので。変にへこみすぎたり、こじらせたりする必要はないっていうことですね。

 

―勉強以外で課外活動はされていましたか?

サークルは劇団に入っていました。ロシアとは全然関係ありませんでしたが。駒場は昔、小劇場演劇の発信地だったんですよ。ただその頃は大学演劇の中心地は早稲田だったのでわりとおとなしくやっていました(笑)

今振り返ると学部生時代、私は本当に消極的だったと思うんですよね。普通に勉強して、部活をやって、バイトは家庭教師とか知り合いの塾で講師とか。世界が閉じていたんですね。自分の知っている世界でしか動いてなかったなと思います。そういう意味では、学生の皆さんはインターンや、インカレ団体など、学外の活動にも積極的に取り組んだらいいんじゃないかなと思います。

大学院に進むと学会に入って、いろんな大学に行ったり、知り合いが増えたり違う考えに触れたりして外の世界を知っていきました。

だからやっぱり学部時代は見ている世界が狭かったなと思うので、就職予定の皆さんは是非今のうちにいろいろやっておいてほしいと思います。

 

研究者になると決めてから これまで

―先ほど留学に行かれた話がありましたが、博士課程での留学について教えてください。

ロシア国立人文大学に研究生として所属していたので、語学などの授業以外の時間は調べもののために歴史図書館にいました。 

1年目にモスクワにいたときは寮生活だったのでロシア社会に関わっていると実感することは少なかったんですね。学部生の時から「読むためのロシア語」は勉強していたけど、逆にそれ以外の語学力、特に会話力はあまり磨いていなかった感じだったので、フラストレーションが溜まることもありました。 

2年目にペテルブルクに中心を移してからはロシア語の先生のお宅に通うようになって、ロシア人らしい家族ぐるみの温かいおもてなしをうけました。いろいろなことを一緒に経験させてもらったいい思い出がありますね。あと、ペテルブルクは歴史的景観が保存されていて風情があったので歴史の中を歩いている感じが楽しかったし、コムナルカ(ソ連時代に一般的だった共同住宅)の生活を経験してロシア独特の文化を感じました。

 

―院や留学先での経験を経て、どのような経緯で現在の職業にたどり着きましたか?

博士課程に進むことを決めた時から研究者になることは覚悟していました。大学への就職は公募で、ほとんどの場合は博士号を持つことが条件の1つになっています。そうすると博士論文を書かないといけないんですけど、それが大変でした…(笑)  

めでたく論文を書き上げて公募の条件が整っても、うまい具合に求人があるかは別の話で、この時期が一番しんどかったですね…。 

そうしたらある日、外大で近代ロシア史の求人があって応募しました。でも、先ほどもお話ししたように、外大でロシア語の授業を持つことに対しては一種の恐怖感がありましたね…(笑) 実際始めてみると、外国語大学では一つの語科に在籍する教員の数が多いこともあって、各授業に向けてやるべきことがわかってからは少し楽になりました。

 

―先生は中央ヨーロッパ大学(CEU)で客員研究員をなさっていましたよね?

2015年2月から10月まで、文部科学省の頭脳循環プログラムでCEUのブダペシュト(ハンガリー)キャンパスに行きました。「研究員」なので、学生に教える機会はなかったです。ロシア語の史料が見つからなくて苦労したり、ハンガリーという国にやや排他主義的雰囲気を感じたこともありましたね。でもCEUの歴史学部は優れた研究拠点の一つで、ロシア帝国論の研究に関しては存在感のある大学なので、その先生方と知り合いになれたのはありがたいことでした。

 

取材・執筆担当:宮原凜(3年)、外山夏帆(3年)、杉村(1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com