東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

鈴木義一教授【ロシア語科教員インタビュー〈後編〉】

f:id:tufs_russialove:20210625001054p:plain

 

↓インタビュー前編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

f:id:tufs_russialove:20210625001834j:plain

 

大学の外での鈴木先生

―まず趣味についてお聞きしたいと思います。休日はどのように過ごされていますか?

観るほう限定ですが舞台芸術が好きなので、ここ10年くらいは、去年までは月に一本ぐらいは舞台を観に行っていましたね。去年と今年はコロナの影響や仕事が忙しかったりしてあまり足を運べませんでしたが…。時間とチケットが取れれば、東京には大小さまざまな劇場があるので、いろいろなところで芝居を観ます。

 

―その他に、誰か他の方とどこかへ行ったりということはありますか?

旅行などはあまりしませんが、コロナ前は月に1、2回土曜日に研究者の集まりがあって、その研究会の後に仲間と飲みに行くのが普通でした。あとは土日にドライブしたりもしますね。

 

―なにか好きな料理はありますか?

グルジア料理かな…。ハチャプリやシャシリクとかが好きですね(笑) 都内ではあまり行ったことはありませんが、日本でも2019年頃からグルジア料理がブームになりましたよね。だからそういった店も今後おそらく増えているはずです。出張などでロシアに行く際にはしばしばグルジア料理のカフェに行きます。

 

―鈴木先生は猫が好きなのではないかと小耳にはさみました。本当ですか?

はい、好きですね。今の住居はペット不可ですが、実家では飼っています。

 

―お好きな映画はありますか?

ジャンルで言うと、ミニシアターでやっているようなもの、文芸作品系が好きですね。最近見た映画では、セルゲイ・ロズニツァ『群衆』という、ソ連の公開裁判に関するドキュメンタリー映像の映画を観ました。

 

―研究者としてのキャリアを終えた後、何かやってみたいことはありますか?

まず大学という場では定年という制度を取りますが、その後も研究の活動自体はやめないと思います。ただ大学教授というのは、他大学での非常勤などは別にして、全く関係ないような業種との兼業には制限があるんです。だから定年してその制約が外れ、全く別のことをしてみたいとなると…。まず一つは、ちょっとこれも研究になるかもしれませんが、江戸時代の大阪・堂島の米市場について趣味で調べてみたいなと思っています。それともう一つは、映画のエキストラの老人役をやりたい!(笑) 小遣い稼ぎでもボランティアでもいいので、やってみたいですね。

 

―役者になりたいということですか?

いや、そこまでではないです(笑) ちょっとミーハーなところもあるので、制作の場に立ち会いたい感じですかね。さっきも話したように、芝居や演劇はよく観るわけです。蜷川幸雄さんが作った「さいたまゴールドシアター」という、平均年齢70歳以上のシニア劇団のようなところもありますし、劇団に入団するまではいかなくとも、まあエキストラぐらいならやってみたいという感じですね(笑)

 

鈴木先生から見た外大・外大生

―教員という立場から見た東京外国語大学やロシア語専攻について教えてください。最初に、働いていて感じる外大、外大生についての率直な印象をお聞かせください。特に先生は学生時代のご出身が外大ではないですから、その対比なども含めると面白いかもしれません。

外大に来て働き始めたのは1995年でした。外大がほかの大学と違って変わったところだなと思ったのは、まず学生が当時にしては海外に行って何かをやるということに全然抵抗がないところでしたね。1995年というと、学生が卒業旅行で海外に行くことはそれほど不思議なことではなくなっていましたが、だからといってスッと海外に遊びに行けるという時代でもありませんでした。しかも抵抗がないだけじゃなくて、当時の他大学の学生は海外に行くのでもまず行先はヨーロッパやアメリカだったけども、外大の学生はいきなりインドとかラオスとか(笑)そのあたりが独特だなと思いました。


あとは、外大の学生は海外での生活力があるんだなってわかりました。これは学生というより外大を卒業した人ですかね。彼らは海外での生活力が違うので、きっとその基になっている学生生活があるんだなというように思いました。どういうことかというと、例えばモスクワには外交官や商社マンの駐在員とかで日本人会があるんですよ。そこでは旦那さんがモスクワ勤務で、外大卒の奥さんとご夫婦でいらっしゃる、という方をよく拝見したのですけど、外大卒の女性が、ほかの駐在員の夫人の方々と比べてものすごく異質なんです(笑) そういった方々は必ずしもロシア語科の卒業というわけでもないので、海外経験はあってもロシア語は知らないはずなのに、まず適応が早い。サバイバルロシア語を身に着けるのが早くて、現地の人と交流する。日本人会で奥様方と仲良くお茶をするというよりは現地の人と一緒に行動するといった感じで、ほかと全く違うタイプなわけです。外大卒の方はほとんどがこうしたタイプに流れていくので、やっぱり何か違うなと思っていて、それはやっぱり全体としてのこの大学の雰囲気のようなものが反映しているのかなと思いますね。


―自分も内側にいる身としてその雰囲気というのはイメージが付きます。続いてもう少し枠を絞って、ロシア語科の学生に対する印象を教えていだけますか?

まず、外大の学生全体もロシア語専攻の学生も、最初に外大に来た95年の時の雰囲気と、2000年頃の雰囲気と、今の雰囲気とで、当然かなり変わっている部分があります。これはもちろん昔の学生は良かったみたいな懐古ではなくてね。そういう変化はありつつもそれを差し引いて考えると、外大の学生の中でもロシア語の学生はいろいろと少し違う部分があって、一つは、意外とコンスタントにジェンダーバランスがいいこと。もう一つは、ロシア語を選択した動機が世代ごとに結構大きく変わること。例えば、90年代半ばごろにロシア語を選択した人たちはペレストロイカやソ連崩壊を実感していて、国家が大きく解体するというようなことにそれなりにインパクトを受けた人たちが入ってきているわけです。ですから、そうした目的意識がストレートに出ている人たちが多かったのが90年代半ばの学生でした。そのあと90年代後半にロシア社会が大混乱を迎えて、ソ連時代とはまた違った形でロシアに対するネガティブイメージができてくると、2000年代の初めにロシア語に関心を持った理由で圧倒的に多かったのが音楽とバレエ、つまり芸術方面でしたね。そして2000年代の半ば頃になると、その時はちょうど日本企業のロシア進出などが盛んになってきていたので、ロシア経済の将来性みたいなことをいう人が増えてきました。こんな具合に、毎年60人くらいいるわけですから、傾向でいうとやっぱり世の中の変化が結構敏感に反映されている、というのがロシア語の学生ですね。

 

―質問としては最後になりますが、教員として、学生に期待するものについてお聞かせください。

(少し考えて)あんまり深刻に考えるな、くらいですかね(笑) 世の中何とかなるよ、というか。要は、そういう余裕を持っていてほしいということです。

 

―ありがとうございます。では最後に、ロシアやソ連に関わっていきたいと考えている学生に向けて先生からメッセージをお願いします。

こういうと少し逆説的かもしれませんが、ロシアにこだわらない方がいい、ということです。ロシアが好きなら好きでいいし、特にこれから就職活動などで、せっかくロシア語をやったからそれを生かせる仕事に就きたい、なんて思うかもしれませんが、それにこだわってしまうとチャンスが狭まってしまうと思います。なかなかロシア語をそのまま生かせる仕事ってそうあるわけではないし、そういう分野で採用されたとしても、はっきり言ってすぐに戦力になれるというわけにもいきません。またそのような業種だと、例えばいきなりブラジルに行けなんて言われることもあるでしょうし、そのようなことでがっかりするということがないように、ロシア語にこだわらないようにしようという気持ちは持っていてほしいなと思います。とにかく「ロシア!!」という風になってしまうと、せっかく色々とチャンスがあるのに目を配れなくなってしまうので、特に就職などを考えるなら、ロシアにこだわるなというのがメッセージですね。これはロシア語に限らないので、自分の専攻地域にこだわりすぎるな、という形で外大生全体へのメッセージにもできると思います。

 

ありがとうございました。新たに知る一面や意外な一面も垣間見ることができとても面白かったです。改めまして鈴木先生、インタビューにご協力いただきありがとうございました!

 

取材・執筆担当:しいな(3年)、Na(4年)、S(1年)、Аоки1年)

 

↓最後に、記事を読んだ感想をぜひお聞かせください!お寄せいただいたコメントは先生方にも共有させていただく場合があります。

docs.google.com