東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

匹田剛教授【ロシア語科教員インタビュー〈前編〉】

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● 匹田剛/Go HIKITA

東京都生まれ。東京外国語大学卒業。北海道大学大学院修了。小樽商科大学助教授を経て、現在東京外国語大学教授。ご専門はロシア語学で、主な論文に「ロシア語における主語・述語の一致をめぐって」(『北海道言語文化研究』第8号、2010年)、「ロシア語の数量詞と一致が示すいくつかの問題点」(『東京外国語大学語学研究所論集』第12号、2007年)などがあります。大学では1・2年生のロシア語の必修授業を担当されています。ロシア語学のゼミではロシア語学全般についての文献を読み、具体例を挙げつつ詳細に解説してくださっています。

 

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ロシア語との出会い

ーまず始めに、何度も聞かれている質問かと思いますが、匹田先生はなぜロシア語を大学で専攻するに至ったのでしょうか。

必ず聞かれるでしょう、なぜロシア語なのか。ロシア語は理由がないと勉強しちゃいけないのかと。世間的にはそう思われる節があるかと思います(笑) 僕の場合は、高校生の頃から言葉を勉強したいと思っていました。外国語を勉強したい、外大にいきたいと考えていたんです。

問題は「どの言語を勉強するのか」ということでしたが、正直なところ、候補を消していったらロシア語が残ったというわけですね。高校でも勉強していた英語は難しくてうんざりしてもういいやと思っていたので、なにか新しい言語がいいなと思いました。また、子どもの頃から漢字を書くのが得意ではなく、なかなか覚えられないので、中国語は冗談じゃないとなりました(笑)

このように消していって、なんとなくロシア語が残ったのかなと思います。入学後もロシア語をやめたいと思ったことは何度かありました。でも、そのような紆余曲折を経て結果的には一生の商売になったので、決してこの選択に後悔はしていません

鈴木先生(ロシアやソ連の経済が専門分野。外大のロシア語の授業も担当されています。)がおっしゃっていましたが、「大学に入ってからどうしてこの大学に入ったか考えなさい」という言葉は、その通りだと思いますね。入ってから、このために入学したんだというものを見つけたらいいのではと僕も思います。

 

ー学生時代はロシア語科に在籍されていたということですが、匹田先生は留学の経験はありますか?

僕らの在学していた頃は、留学というのは考えにくい時代でした。まだロシアはソ連で社会主義国家でしたから、なかなか簡単に現地へ行けるものではありませんでしたね。僕の大学院博士課程の頃になるとゴルバチョフの時代(1980年~1990年頃)で、だんだんと風通しがよくなっていきました。

行こうと思えば行けたのが大学院時代の最後の最後くらいで、僕らのちょっと後の世代から、留学がごくごく当たり前になりました。ですから私は留学には行っていません。大学院生の頃には現地調査に同行してロシアに何か月か滞在していましたがね。

 

ー今とはかなり留学の状況が違うのですね。

そうですね、全然違います。今は留学したことで4年で卒業しない学生が結構の割合でいるじゃない? 我々の時代は、留学しないのに同じく4年で卒業しない学生がかなりいた、そういう時代だったのです。

 

ーでは、匹田先生の学生時代の授業の取り組み方についてお伺いしたいのですが、ロシア語や他の科目の授業への取り組み方は、自分自身で振り返ってみてどう思いますか?

あまり言いたくないのですが、一応留年はしなかったけれど、いくつか危ない橋を渡りましたね(笑) 僕らの時は、1年生から2年生、2年生から3年生と2回ハードルがありました。学生のみなさんに悪い影響を与えたくないけれど、そんなに優等生とは言えなかったと思います。

1年生の時は文法ばかりで、我々の時代は今のような一冊にまとまった教科書はなかったので3冊くらいの語学書をそれぞれの先生方が並行して進めていきました。1回どこかでしくじると、ロシア語科の仲間が100メートル先にいて、そのずっと後ろにいる自分に気がつきます。その分を取り返すのもなかなか大変だったので、かなり危ない橋を渡ったと思いますね。

ただ、一生懸命真面目に勉強したいという気持ちはずっとありました。2年生になってロシア語で内容のあるテキストを読み始めると、楽しさを覚えたんですよね。一生のうち真面目に文学読もうと思ったのは、大学2年生の時だけかもしれません。授業で先生がプラトーノフ(1899-1951年。ソ連前期の作家)の小説を読む機会をくださって、おおよそ文学に向いてない人間だと自分では思っていたけれど、その時は文学は面白いし楽しいものだと思いました。

 

ー先ほど、大学時代に苦労されたお話をされていましたが、失敗談や挫折した経験はありますか?

まあ最初に失敗したと思ったのは、原卓也先生(ロシア文学者)も若い頃に同じようなことをおっしゃっていた記憶がありますが、外大ロシア語科に入ったことですね(笑) しまった、と思ったね。当時はかなり多くの学生がそう思ったんじゃないかな。僕も格変化が6つもあると知ってたら、ここには入らなかったんじゃないかなと思いました(笑)

加えて、僕は学生時代バイトばかりしていたんです。中学生相手に塾の先生をしていたのですが、気がついたら、自分の熱意がバイトの方にいってたのかもしれません。自分は本当に大学生なのかよく分からなくなり、宙ぶらりんな精神状態だったこともありますね。

 

ー匹田先生は東京外国語大学卒業後に北海道大学の大学院に進学されていますが、どういった理由で北大を選ばれたのですか?

まずは、ロシア語の世界というより、言語学の世界に身を入れたかったんです。当時から北大には露文(ロシア文学専攻)もありましたが、言語学を研究したかった自分を北大が入れてくれたというのが正直なところかな。 

また、両親が北海道にいたからという理由もありました。流れに身を任せる形で選んでしまいましたが、最終的には北大の大学院に進学していなかったら、たぶん今のこのロシア語学の世界にはいないだろうなと思います。だから運は良かった。あのまま東京にいたら、なにか別の道に進んでいたかもしれません

  

「研究者」としてロシア語に触れる

―匹田先生はどのような経緯で現在の教授職になられたのですか?

今の時代とはだいぶ違うのだけれど、僕の時代だと文科系の大学院に入る人は、研究者を目指す人ばかりだったね。というのも、文科系の大学院に入ると一般企業に就職するのは難しいというイメージがあったからです。僕が修士課程で気弱になっている時に、大学時代の友人の会社に雇ってもらえないかと聞いてみたら、「無いね。」の一言で済まされてしまったね(笑)

大学院に入ったのは勉強が何となく面白かったから。就職できなかったらその時に考えればいいかなという気持ちでした。これは今考えるとまずいなと思うのだけれど、僕が学問の中で面白いと思うことを持つようになったのは、大学院の修士論文を書き始めてからなんですよね。大学の学部時代ではなくて。北海道大学の大学院に行ってなかったら、その面白さに気づけなくて、挫折していたかもしれないとも思いますね(笑)

 

―研究をしていて、楽しいと感じるのはどのような時ですか?

研究をしていると、楽しい時と本当にやめておけばよかったと思う時の両方があるんだよね(笑) 何か見つけたときはすごく嬉しいわけです。それがあるから僕は研究職を続けているのだと思います。

言語学は自分でパズルを見つけて解くようなものであって、そのパズルを解いているときと、それが突然解けたときは、研究職に就いてよかったという気持ちになりますね。逆につらい時というのは、主に行き詰まった時だね。研究は誰も知らない答えを自分で考えなければならないので、つらい時の閉塞感は半端ではないです…(笑) パズルが解けたと思ったけれど、間違っていたと気づいた時もつらいと感じます。

 

―匹田先生は以前小樽商科大学に勤められていましたが、東京外国語大学と小樽商科大学は研究の環境面で比較するとどう感じますか?

小樽商大と外大を比べると、任せられる仕事の量が違うと感じます。外大はコマ数が小樽商大にいた頃に比べて倍くらいあって、会議や監督業務といった仕事もあります。その環境に慣れるのは大変でしたね…。

研究時間や予算面では小樽商大の方が個人的に合っていた気がします。外大での授業は自分の研究分野(ロシア語)に近く専門的なので、小樽商大でのいわゆる第2外国語の授業と比べて、生徒からのフィードバックの量はかなり多いです。その分やりがいのある日々ですね。

また、外大の大学院生はもはや研究仲間のような認識で、彼らから得られるものは多いと感じています。小樽商大は「北海道外国語大学」と言われるほど、言語をまじめに学ぶ学生が多いので、それはそれでよかったね。だから、どちらも一長一短で、小樽商大に戻るかと言われると迷うなあ(笑)

 

―最後に、学生に教える時や接する時に匹田先生が心掛けていらっしゃることはありますか?

語学を教えている時に、ロシア語「研究者」としての自分とロシア語「教師」としての自分を混ぜてはいけないと思っていて、かなり注意を払っています。自分自身でコントロールしないと、僕の研究分野を細かい部分まで授業で話しすぎてしまうからね(笑)

僕は文法の専門家として教育にかかわり、文学や経済といった他の分野は別の先生にお任せしようと考えているところはあります。ロシア語の教科書や参考書をつくる時には、語学の授業で教えるのには適しているけれども、厳密に言うと言語学的には正しくない表現を使う場合があります。そこに気づく学生が意外といて、「さすが外大生だな」と、悔しいような嬉しいような気持ちになります。 

  

取材・執筆担当:戸板咲紀(4年)、片貝里桜(4年)、高野裕生(1年)

 

↓インタビュー後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com