東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京外大生にインタビュー!第19弾【カンボジア語科編】〈後編〉

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カンボジア語科 Bさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【留学について】

―留学や旅行に行ったことはありますか。

2018年9月から2019年7月までカンボジアの王立プノンペン大学へ派遣留学をしていました。

 

―2018年ということは2年生の時ですよね。

はい。1年の9月か10月に学内選考に応募し、2年の9月から留学しました。カンボジア語科では2年生からの留学が認められていて、私がカンボジア語科で2年次に留学した4番目の学生でした。1個上の代にも1人、2年の時に留学した人がいて、そこから2つある募集枠のうち1つは2年生っていう傾向が生まれてきています。

 

―ええ!外大では大抵の人が3年次に留学に行くので驚きです!2年生のうちに行こうと思ったきっかけはありますか。

その年だけなぜか募集枠が3枠だったんですね。来年は2枠に戻って行けないかもしれないし、自分のことだから、帰国してから休学して海外インターンとかをするんじゃないかと考えました。2年生で行けば、帰ってきた時は3年生、休学しても5年卒。今行っちゃうかって思いました。ちなみに、カンボジアの派遣留学は3年生でも2年生でも着いてから3か月は宿題を自力でやるのは難しいし、授業の内容もわからないって言われているんですね。もし3年生で行っていたら、やっと授業についていけるようになって少ししたら強制帰国(※コロナの関係で)になっていたと思います。

 

―なるほど。現地での大学生活はどのような感じでしたか。

普通の正科生として留学しました。クラスの内訳はカンボジア人50人、ベトナム人10人、日本人1人といった感じでした。大学では、言語学や音声学、アンコール・ワットの石碑研究というような専門的な授業をクメール語で受けていました。また、先輩から「留学ではなく修行だ」と言われていたのですが、本当でした。大学は朝7時から授業が始まるので、夜10時に寝て朝5時に起きて、交通渋滞に引っかかったり、バイクに衝突されそうになりながら片道8キロを自転車で通学していました。大学に着いてからは運が良ければ15分で先生が来ます。大体30分くらい待ちます。ひどいときは1時間半待って休講連絡がきました(笑)また、カンボジア大学の授業は1日1コマだけなんですね。2部制になっていて、朝に授業をする学部と夜に授業する学部があります。私は朝の学部だったので、朝6時45分に登校して、授業を受けて10時くらいに下校していました。時々、午後に英語の授業があることもありました。ちなみに、比較的裕福な学生はダブルスクールといって、午後別の大学でさらに授業を受けていました。

 

―日本と違いすぎて衝撃を受けました!体力も精神力も鍛えられそうですね!次に、特に印象に残った思い出を教えてください。

沢山ありすぎますね。まずは、授業開始を2時間待っても先生が来なかったことですね。しかし、は?と思ったのは私だけでした。みんなは「普通だよね~ラッキーラッキー」という感じで、これがカンボジアか!と思いました。そのくらいカンボジアの人たちはおおらかで優しいです。時間の流れがゆったりとしていて、先生が来るまでみんなは草っぱらにしゃがんでお喋りしていました。

 

次に、私が留学に来ることを誰も知らなかったことですね。外大のネイティブの先生を通して学務課には連絡が行っていましたが、クラスメートや先生には何も伝わっていませんでした。クラスに学級委員長みたいな人がいるので、外大に留学していたカンボジア人からその人の連絡先をもらって事前に会う約束をしていたのですが、ドタキャンされてしまい、結局会えずに授業初日を迎えてしまいました。教室に行った時にみんな「誰?誰?」ってなっていました。

 

まだあります。あるカンボジア人のクラスメートの存在です。数か月すると、やたら日本人が話すカンボジア語をちゃんとしたカンボジア語に通訳できる友人ができました。その友人中心に話を伝えてもらったり、宿題手伝ってもらったりしました。授業中はとりあえず先生の話を聞く、授業終わったら通訳してくれる友人のノートの写真を撮って、帰ってからひたすら書き写すというのがルーティンになっていました。

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授業風景

また、断水と停電も印象に残っています。カンボジアは4月が1番暑く、電力需要と水道の需要が増えて供給が追い付かなくなります。そのため計画停電が行われるのですが、計画通りにいかない停電が乱発します。実際に、気温40度の日に丸1日停電と断水が発生しました。今考えるとやばいですよね。隣の地区に住む留学仲間の先輩の家で水を貰うなどして助け合っていました。

 

あとは、外科手術を見ました。カンボジア語科を卒業し、カンボジアで日本の国際協力NGOで働いている方に現地の病院を見せてもらいました。ごさの上に寝ている人がいたり、個人的な感想になってしまいますが、日本と比較し衛生環境はあまりよくなかったと記憶しています。その時、「B君、カンボジアの医療水準知りたいなら外科手術見ていかない?」と言われたので立ち会うことにしました。ちなみに、エアシャワーとかはなく、私服にガウンのようなものを羽織りマスクというスタイルでした。さらには、カメラ持ち込みOK。生の外科手術を見てカンボジアの医療を直接感じることができました。

 

他には、自分の医療費が50万円かかったのも衝撃でした。授業終わって10時くらいにみんなで学食に行き、お腹を壊すというのが月1でありました。その度に日本人の開業医がやっている病院に行って、点滴と血液検査をしてもらうというのを10回くらい繰り返しました。帰国直前に今までの領収書を見返したら日本円で50万~60万円くらいいってて驚きました。保険でチャラになったので良かったです。みなさん、留学に行く際には必ず保険を。

 

あとは、トルコ料理レストランで一夜を明かしたのも鮮明に覚えています。2019年の年明けに新年会をしようという事で、留学仲間の先輩2人と南部にある綺麗な港町に行くことにしました。先輩が予約サイトで2泊3日3人で予約してくれて、バンに乗って夜9時くらいにその町に着きました。が、先方のミスで予約が1泊2日2人になっていました。ホテルに「そっちの責任だ」と言っても断られてしまい、泊まるところがなくなってしまいました。街中の泊まれる宿を探しましたが、全部閉まっていました。その後、たまたまトルコ人が経営しているトルコ料理屋を見つけ、オーナーに全ての事情を話して「泊めてくれないか」と頼み、レストランの薄くてかたい白いプラスチックのテーブルとイスを貸してもらうことにしました。お店の人は快諾してくれて先輩と3人で一夜を明かしました。翌日朝の7時に出て、新たに予約した宿に行き、シャワーを先に浴びさせてくれないかと頼んだところ、屋上にあるシャワーに案内してくれました。そのシャワールームが超開放的で衝撃を受けました。ちなみに出てくるのは水で、カンボジアと言えど凄く寒かったです。旅行っていうよりサバイバルでした。

 

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―確かに(笑)ドキドキハラハラアドベンチャーですね!ところで、カンボジアの印象が特に変わった点は何かありますか。

想像以上にあったかい国でした。非常に自由なので、日本人的な感覚だと「え?」ってことも沢山ありますが、戸惑っている自分にも家族のように接してくれます。彼らは思っていたよりも優しいです。留学を決めた理由の一つに、ネイティブの先生や日本に留学しているカンボジア人の学生がなぜあれほど優しいのか、彼らが育った環境を知りたいというのがあったので、それを実際に肌に感じられました。また、日本にはないくらい、友達を大事にしていて、幸せの価値観が充実していると思いました。助け合いとかも思った以上でした。どんなに遠い親戚でも、仏教行事とかだと一箇所にみんなが集まるのですが、そこに入れてもらえた時は自分も家族の一員なのかなと思い心温まりました。

 

―本当にカンボジアの人々は優しいんですね!素敵です。しかし、少し話を戻してしまいますが、こんなに優しい人達の一部が反ベトナム感情を抱いているというのは複雑ですね…

はい。実際の投稿内容が、「ベトナムが1979年にカンボジアに侵攻した、これは紛れもなく残虐な行為である」とシンガポールの首相が発言したという体のものでした。実際はしてないと思いますが。

 

この話の発端は、ポル・ポト政権にあるんです。この政権がなんで崩壊したかと言うと、ポル・ポト政権の幹部の一部が粛清を逃れてベトナムに逃げたんですね。ベトナム共産党やベトナム軍の支持や協力を得て、一気にカンボジアに入ってきて、1979年の1月7日にポル・ポト政権をタイ国境に追いやったっていう歴史があります。

 

そこから10年間は、ベトナム共産党の支持を受けて入ってきた人たちが人民革命党という党を作って、ベトナムの支援を得ながら国家づくりをしたんです。結局それが今政権を握っている人民党のルーツになっています。それで、このベトナムの侵略っていうのが複雑な問題で。というのも、ベトナムや現在政権を握る人民党、そして人民党の支持者は、人民革命党がカンボジアをポル・ポト政権による圧政から解放したと認識していると言われています。ただ、やはり主に人民党を批判する野党支持者の一部はこれをベトナムの侵略とみなしていると言われています。

 

Facebookの投稿に対して「シンガポールこういう発言をしてくれてありがとう」「ベトナムのカンボジア侵攻を侵略と認めてくれてありがとう」というようなコメントが結構ありました。それらに対し「ベトナムが救っていなかったらお前らはないんだぞ」というようなコメントもありました。ここには歴史認識の問題があるんですね。それが俗にいう1月7日問題と呼ばれる問題です。それが反ベトナム感情が共有されているから先鋭化しやすいのではないかと考えています。

 

ちなみに歴史と感情は別という意見もあります。留学当初カンボジア人の一部がベトナム人に対して嫌な感情を抱いていると知っていたので、友人になんでベトナム人学生を大学は受け入れているのか尋ねたら、その人も「歴史の問題と友情は別だ」と言っていました。

 

【地域について】

 その地域を勉強する最初の一冊となるようなおすすめの本はありますか?

明石書店の『カンボジアを知るための62章』ですね。

カンボジアを知るための62章【第2版】 (エリア・スタディーズ) | 上田 広美, 岡田 知子, 上田 広美, 岡田 知子 |本 | 通販 | Amazon

地域基礎の授業(専攻地域の文化や政治、経済、歴史などについて学ぶ授業)でこの本を全員読む必要がありました。まんべんなく色んなことが載っています。おすすめの章は、カンボジア語科の先生が書いている第62章「読むことが一番大切 カンボジア研究の始め方」です。この章には「地域のことを学びたいからすぐ現地に行くっていうのは違うよ。日本で手に入るカンボジア関連の書物も沢山あるから、まずはそれを読むことから始めよう。」というようなことが書いてある。外大生だと「とにかく現地に行っちゃえ」という傾向がありますが、日本にたくさん本があるからそれを見てみようという今までの常識を疑う姿勢が端的に書かれているので好きです。

 

―胸に刺さりますね。今はちょうどコロナで留学に行けていないのですが、日本で出来ることを精いっぱいやろうと思えました。次に、カンボジアの音楽や絵画、文学、映画、アニメなどで有名なものはありますか?

近代文学で日本語訳があるものだと『萎れた花』ですね。カンボジア国民だったら大体知っていると言われています。この作品は私の指導教官が翻訳しています。個人的にカンボジアの近代小説って恋愛ものが多い印象があり、話の内容こそ悲しいものの、これもその一例だと思います。カンボジアの近代小説には一概には言えないけど共通する要素があると考えていて、それを感じられるので良いと思います。

萎れた花・心の花輪 アジア現代文芸 CAMBODIA(カンボジア)3 | ヌー・ハーイ 著 岡田知子 訳 |本 | 通販 | Amazon

 

―読んでみたいです!また、カンボジアの著名人といえばどのような方がいますか?

もう亡くなられていますが、シン・シサモットという日本で言う美空ひばりみたいな誰もが知っている歌謡歌手がいます。ホームステイしていた家のホストマザーが彼の奥さんと実家がご近所で、近くに行ったことがあるのですが、観光地化されていてかなり有名だと感じました。

 

―なるほど!ところで寮ではなくホームステイをしていたのですか。

そうです。外大からの派遣留学は絶対ホームステイと決まっています。というのも、治安や設備的に寮だと何があるかわからないからです。私は指導教官の昔からのお友達の比較的裕福な家にホームステイしていました。一緒に留学していた先輩の1人は今年から来たネイティブの先生がカンボジアにいた時に住んでた家にホームステイをしていました。つまり、今のネイティブの先生が元同居人です(笑)また、私の時は3枠だったので、一軒新規開拓しなければならず、その結果新しいネイティブの先生と入れ替わりで帰ったネイティブの先生の親戚の新築の家が選ばれました。全員外大カンボジア語科の先生と親交がある家庭に住みます。本当に留学先で何したのかが全て筒抜けで、実際に小川でホストファミリーの子どもと遊んでいたら、ホストファミリーが指導教官にメッセンジャーでその写真を送り、先生が授業で後輩にその話をしていた、なんてことがあったそうです(笑)

 

―そうなんですか!ロシアへの派遣留学は基本的に寮なので羨ましいです!話を戻しますが、近年のカンボジアの政治・経済の状況を教えてください。

カンボジアは著しい経済発展を遂げています。海外の企業に対する税制が優遇されていたり、法規制が緩かったりするので、外資が凄く入ってきています。また、一帯一路の影響もあって中国の進出が強いです。南部にシハヌークビルという南部の風光明媚な港町があるのですが、そこはもう中国人の町と化していると言われ、中国資本のカジノやマンションが多く建てられています。実際にこの町に行った際、街中で見る看板のクメール語と中国語の割合が1対1くらいでした。一方で、中国資本で建設されていたビルが途中で倒壊してしまったという事故もあったりして、地元民の中では中国に反感を覚えている人もいると聞いたことがあります。このように、中国の進出が拡大していて、中国に対する懸念はたかまりつつあると思います。

 

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シハヌークビルでの写真①

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シハヌークビルでの写真②

 

【ロシア×カンボジア】

 カンボジアとロシアの関わりについて知っている情報はなにかありますか?

1980年代東側諸国と所縁があったことから、ロシア(ソ連も含む)に関連するものが随所に見られます。留学先の大学の前にある大通りの名前は「ロシア大通り」です。また、1980年代にカンボジア人が留学した場所の多くは東欧諸国です。またプノンペンの中心的な国立病院として「クメールーソビエト友好病院」があります。

 

―えええ!その通りに行ってみたいです…。また、カンボジアの人の対露感情はどのようなものか知っていたら教えてください。

すみませんが、わかりません。しかし、かつてソ連に留学していた先生方は、今でもロシア語を話せたりもするので決して無関心というわけでもないと思います。

 

―なるほど!探せばもっとロシアとカンボジアの繋がりを見つけられそうな気がしてきました!以上でインタビューは終了です。長々と質問にお付き合いいただきありがとうございました!最後に何か一言あればお願いいたします。 

カンボジア…良いところだよ…(笑)

 

カンボジアでのお話、あまりにも衝撃的なものが沢山でしたね!

顎が外れていないか確認を忘れないでくださいね☻

 

それではпока(パカー)!さようなら!

 

文責:芝元さや香

(インタビュー実施日:2021年2月23日)