東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京外大生にインタビュー!第19弾【カンボジア語科編】〈前編〉

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カンボジア語科 Bさんへのインタビュー

 

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Здравствуйте (ズドラーストヴィチェ)!こんにちは!

国際社会学部ロシア専攻3年の芝元です!

 

他語科とコラボ企画ということで、今回私はカンボジア語科のBさんにお話を聞いてきました。

 

高校生の時にカンボジアへ旅行したことがあるのですが、その時に訪れたアンコール・ワットやアンコール・トムで見た壮大な景色は今でもハッキリと覚えています。今回、魅力たっぷりなカンボジアについて沢山知ることが出来たら良いなと思います😊

 

Bさんについて

2017年4月に東京外国語大学言語文化学部カンボジア専攻に入学。現在4年生。2年生の9月から約1年間カンボジアの王立プノンペン大学に留学。今年の4月から大学院に進学。

 

カンボジア語科について

カンボジア語科には、言語文化学部・国際社会学部合わせて1学年あたり10人ほどの学生が在籍しています。Bさんの代は全員で8人で、男女比は3:5だそうです。Bさんの入学年度で最も人数が少ない語科のひとつとのことです。

  

【学生生活について】

 本日はよろしくお願いします!まず初めに、なぜカンボジアを選んだのか教えてください

 高校生2年生の時に外大を目指すことを決めたのですが、その際に自分がよく知らない地域について学びたいと考えた結果、東南アジアが良いと思いました。東南アジアの言語の中で、せっかくならラテン文字を使っているものではなく文字が全く読めないものをやろうと思い、タイ・ラオス・ビルマ・カンボジアの4つに絞りました。でも、本当にこの4つの国について何も知らなくて。唯一知っていたのがアンコール・ワットだったんですよ。だからカンボジアに決めました。その後、調べてみたらポル・ポトの大虐殺があったにも関わらず、今非常に発展していて面白そうと思いました。

 

―そうだったんですね!カンボジア語科に実際に入ってみてどうでしたか。

 非常にアットホームで驚きました!1年から4年、院生まで垣根なくみんな知り合いといった感じです。指導教官の研究室の1つが開放されているのですが、そこに指導教官とネイティブの先生、留学生、学部生が学年を問わず集います。その研究室で先輩や後輩と留学情報や外語祭、就活について話したり、先輩に語学を教えてもらったり、留学生と宿題を教え合ったりしていました。独自のネットワークが教授の研究室を通じて作られていましたね。また、ネイティブの先生が時々ご飯やデザートを作って持って来てくれることもありました(笑)

 

-とても楽しそうで羨ましいです!仲の良さ以外にカンボジア語科に入って良かったことは何ですか。

まず、様々な視点からカンボジアを捉える視点を養えたことですかね。あと、何より学問の基礎を叩き込まれたことですかね。あまり知られていないのですが、カンボジア語科って意外に大変なんですね。入学後すぐの語科ミーティングでいきなりテキストのコピーを渡されて「1ページから40ページ全て初回の授業までに覚えて来てね」と言われました。しかも、音と文字の関係というカンボジア語を勉強する上でかなり重要なところを。それに、少し古いテキストで日本語も若干難しく、読んでもあまり理解できませんでした。しかし、文字すら習っておらず、何もわからない状態で迎えた初回の授業でなんと書き取りテストがあったんですね。その衝撃を今でも覚えています。

 

―ええええ!それは知りませんでした!授業はどのように進む(進んだ)のですか。

授業は予習してわからなかったことを質問するという形式でした。というのも、どこまで予習すればいいのか指定されず、いけるところまでいくという形式だったんです。そのため、次の授業はここまでいくだろうなと自分で考え、バーッと予習して、そして先生にたくさん質問することで予習のストックが切れないように調整していました。

 

―なるほど!なんだか授業のスピードがとても速そうですね。

はい。その結果、300ページ弱の教科書が6月の上旬で全部終わります。これはかなり大変で、夜中の3時まで予習しても終わらないこともありました。また、入学して割とすぐに指導教官や先輩に「サークルや教養外国語(※第2外国語のこと)は取り過ぎない方がいい」と言われた理由がよくわかりました。6月上旬に文法が終わってからは、がっつり民話読解に入っていきます。民話もひたすら分厚い紙辞書を引いて必死に訳していました。よくわからない文法があった時は先輩や留学生に教えてもらっていました。これらのようなことを通して、大学の学問とは自分で教科書を読んで徹底的に理解してわからないところを質問する、自分で極めていくものだと気づきました。ちなみに、このスパルタなカリキュラムには「せっかく頭が良いのだから、その才能をどんどん生かさないと」という指導教官の考えがあるみたいです。

 

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―す、すごい!ちなみに民話というのは昔のものですか。

そうです。ちなみに、カンボジアは仏教説話が沢山あるのですが、先生がそれらを編集して束でくれます。1年の時は説話をノートに書き写して、わからない単語を辞書で調べて、授業に臨んでいました。日本人からしたら「それどういうオチ!?」という話が多く、訳すのに苦戦しました。みんな自分なりに物語の展開を想像して授業で答え合わせという感じでしたね。とんでもない物語を作り出したこともありますし、ありえないと思った訳が正解だったこともあります。それを1年の間は繰り返しました。

 

―力が凄くつきそうですね!

はい。それと、もう一個話したいことがあります。1年の秋学期の文法の授業で、先生がみんなにわからなかった箇所をヒアリングして、それが使われている例文集を作って配布してくれました。それをもとに、それがどういう文法かディスカッションし自分たちなりの答えを出しました。結局、先生はその答えを教えてくれないまま、私達はテストを迎えたのですが、気づいたら単位が来ていました。研究とはこういうことなのかなと感じました。

 

―本当にカンボジア語科リスペクトです!ちなみに、カンボジア関連で最も面白かった授業は何ですか。また、語科と関係なく、外大の授業で面白かったものを教えてください!

カンボジア関連だと、正直ありすぎて選べませんが、強いて言えば1年の地域言語Ⅰ(※1年次の専攻言語の授業のこと)です。カンボジア以外だと、今年度(2020年度)の春学期に受講したユーラシア地域研究(政治学)の授業です。東大の教授が教えてくださいました。この講義では社会主義国の政治体制がどのように変化していったのか、準大統領制、半大統領制をとっている国々を事例にあげて徹底的に解説してくださいました。ここまで1つの事象について必死に予習復習したのは、1年の春学期以降なかったので、学問に向かう姿勢をガツンと叩き込まれました。

 

―おお!実はその授業、聴講していました!共通点があってビックリです!ところで今現在、カンボジアに関わる活動や仕事をしていますか?している場合、どのようなきっかけで始めましたか?

カンボジアで教育事業を展開する教育コンサルでお世話になっています。一緒に派遣留学に行った先輩が日本語教育に関心がある人で、最初はその人がやる予定だったのですが、彼女がカンボジアで就職が決まったので自分に回ってきたのがきっかけです。

 

―そうなんですね!興味深いです。次に、語科の卒業生はどのような進路に進む方が多いか教えてください。

進路は様々で、外務省、東南アジアに進出している企業、NGOの現地スタッフや現地企業で活躍している人も多いです。私のように院進(※大学院に進学すること)する人は、カンボジア語科では少なく、5年に1人いるかいないかという感じです。

 

【学びについて】

―所属しているゼミと、入った理由、勉強している内容を教えてください。

カンボジアの文化研究ゼミに所属しています。このゼミに入った理由はカンボジアのことを徹底的に研究したかったからです。また、派遣留学での経験やそこで感じたことを卒論にしたいと思ったのも語科ゼミ(※同語科の学生が多く集まる、地域研究に特化したゼミ)に入った理由の一つです。ちなみに卒論は、カンボジア人が広く共有しているといわれている反ベトナム感情の表出について研究しました。現代社会でも度々表出するこの事象のルーツは、フランス植民地期に求められます。そのため、植民地支配がカンボジア人の内面性に与えた影響という視点で考えると、興味深いのでは…?と思いました。

 

―反ベトナム感情というのは今も続いているのですか。

はい。ベトナム人に対する不当な料金徴収や差別的発言は一部地域では今でもあると言われています。また、派遣留学中にカンボジア人のベトナムに対する反感が表出した場面に実際に遭遇しました。私が留学していた王立プノンペン大学は一定数のベトナム人学生を受け入れています。カンボジアの大学は高校みたいにクラスが決まっているのですが、カンボジア人とベトナム人が同じクラスで共に学んでいます。ある日、ベトナムとカンボジアの歴史認識に関するFacebookの投稿が、カンボジア人の生徒の間で広まったんですね。もちろん、ベトナム人のクラスメートもそれを目にしてしまいました。その投稿のコメントでは双方を批判し合い、時に差別的言説も展開されていました。一時的にクラスのカンボジア人とベトナム人の仲が悪くなりました。この時に、これはどういう経緯があるのか、フランス植民地期に醸成された歴史観に由来する反ベトナム感情が、いかに拡散されて表出してきたのか等について研究したいと思いました。

 

―そうだったのですね。勝手な想像ですが、当時のフランスの待遇の差が原因で反ベトナム感情が生まれたのかと思っていました。

植民地支配したときにフランス政府はベトナム・ラオス・カンボジアをインドシナとして支配したんですね。その時にベトナム人官僚を多く採用し、その人達がカンボジアにもたくさん赴任していたと言われているのでそういう面もあると思います。また、その根源にあるあと言われているのが、フランス政府が作り出したと言われている歴史観です。植民地支配をするとなるとその行為を正当化する必要があります。カンボジアの歴史を見た時に、アンコール・ワットがありますよね。アンコール王朝は栄華を極めた後、アンコールを放棄してしまいます。その後、ベトナムとタイが一気にカンボジアに攻め込んできたり、王朝内の内紛が発生したりして一気にカンボジアの影響力が衰退した時代がありました。カンボジアの衰退の時代を助けるためのフランス植民地支配っていう歴史観を創出することでフランスは植民地支配、正式には保護国支配を正当化しようとしたのです。その歴史館により、ベトナム人はカンボジアの安定を乱す他者として措定され、カンボジア人に反ベトナム感情が共有されていったと言われています。

 

☆次回!カンボジア語科後編!

-インタビュー企画史上最高の濃さ!カンボジア留学について!

-カンボジアとロシアの関わりは?現在の経済・社会にも迫ります!

 

文責:芝元さや香

(インタビュー実施日:2021年2月23日)

 

↓後編はこちら 

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