東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

日本式バレンタイン文化の生みの親 モロゾフ

Здравствуйте!(ズドラーストヴィチェ/こんにちは)

最近久々にone directionの曲を聞いて頭から離れなくなっているなつほです!

 

巣ごもり生活が長引き、家でもおいしいお菓子を食べたい~と思ってネットをぽちぽちしていたら、めっちゃおいしそうなモノが…!それはモロゾフの商品でした。

モロゾフって、帝政ロシアのなんかと関係なかったっけ?」と気になったので、今回は「日本とロシア」というテーマに沿ってモロゾフについて書きたいと思います!

 

モロゾフとは?

神戸を基点に全国に展開する洋菓子メーカー。神戸といえばユーハイムも有名ですが、実はモロゾフの方が歴史は長いです。

時遡ること1931年。コンビニやスーパーなどどこでも安く買うことのできる現代とは違い、当時チョコレートは高級品でした。

創業者のフョードル・ドミトリエヴィッチ・モロゾフはシンビルスク出身(レーニンと同郷!)の実業家です。ここからはわかりやすいように「フョードル氏」と呼ばせていただきます。彼は当時急速に西洋化を目指していた日本で、西洋の食料品を売る商売を始めることを決意し、チョコレートを中心とした洋菓子の販売をはじめます。

ロシアのチョコレートが美味しいのは皆さんご存知の通り!(魅力を知りたい方はこちらの記事をチェック!https://tufs-russialove.hatenablog.com/entry/2020/06/05/210000)

1931年6月に事業家の葛野友槌と共に神戸モロゾフ製菓株式会社を設立。モロゾフ氏はそれ以前にお菓子の製造に従事した経験がありました。ロシアから菓子職人を招いて、さらには自分の息子ヴァレンティン氏も職人になりました。彼らの才能と努力の甲斐あって、会社の経営は順調に伸びました。創業の翌年には「バレンタインデーにチョコを贈る」という、今では当たり前のスタイルを初めて紹介しました!(詳しくはこちらhttp://www.morozoff.co.jp/quality/valentine/

 

フョードル氏はなぜ日本に来たのか?

モロゾフの成功からみて、かなりやり手そうな実業家フョードル氏。なぜロシアではなく、日本で会社を興したのでしょうか?

彼はいわゆる「白系ロシア人」。つまりロシア革命に反対して亡命しました。

革命前はロシア帝国で交易を行い、第一次世界大戦時には軍馬や軍服の調達にあたりました。1917年、彼は家族とともに革命の波から逃れハルビンへ。その後23年にアメリカのシアトルへ移住。しかしそこでは事業は成功しませんでした。

24年に日本の神戸へ移住します。港を持ち工業地点としても賑わっていた神戸で洋菓子店を開いて成功を収めたのです。

 

実は現在はモロゾフ一族は洋菓子店モロゾフの経営に関係していない?

波に乗った神戸モロゾフ製菓株式会社でしたが、1933年ごろから葛野氏とフョードル氏の関係が悪化し、法的争いの末会社を去ります。日本語が不自由なモロゾフ家は不利だったのかもしれません。祖国は革命の結果ソ連になり、異国で生きていくことを余儀なくされた上に自分の会社を失ってしまった彼の心情はいかなるものだったでしょうか。

神戸モロゾフ製菓株式会社を去ったフョードル氏は紅茶の輸入販売を手がけるようになりましたが、息子ヴァレンティン氏はバレンタイン製菓店を開きます。しかし太平洋戦争末期の1945年にB29の空襲を受け全壊…。それでも戦後にコスモポリタン製菓を設立し、モロゾフ家は日本で洋菓子を販売し続けてくれました。日本と共に空襲とその後の復興を経験し、苦楽を共にしてきたと言えます。

 

そろそろバレンタインの時期ですね。皆さんは何を贈りますか?それではДо свидания!(ダ スヴィダーニヤ/さようなら)

 

文責:なつほ

 

*今日のロシア語*

сладость(スラーダスチ)

 意味:甘いお菓子

День святого Валентина(ヂェーニ スヴィトーヴァ ヴァレンチーナ)

 意味:バレンタインデー