Исәнмесез!(イセンメセズ /こんにちは)
久しぶりの記事執筆で勝手を忘れています、愉快なそーにゃさんです。
今回この記事で取り上げるのは、ズバリ「タタール人」について!
みなさん「タタール」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?世界史を習ったことがある人は「タタールのくびき」や「韃靼人」という言葉で馴染みがあるかもしれませんね。
タタール人はロシア連邦構成主体の一つであるタタールスタン共和国の基幹民族であり、ロシアの中で最大の少数民族です。テュルク諸語の一つであるタタール語を話します(近年はロシア語しか話せないタタール人も増えており、タタール語の保護・促進運動が熱を帯びています)。ロシア国内及び中央アジアなどに広く分布しています。フィギュアスケート選手のアリーナ・ザギトワ選手など有名人でもタタール系の人を見かけますね。またそれ以外にもフィンランドや新疆、北米など様々な場所にタタール人コミュニティ(ディアスポラ)が存在します。またイスラームを受容しており、スンニ派のムスリムが多いです。
実はそのようなタタール人は日本とも繋がりがあるのです!
1917年のロシア革命から逃れたタタール人の一部は旧満州を経由して日本へとやってきて、横浜や神戸といった港町を中心に大きなタタール人コミュニティを作っていたのです。これらの在日タタール人の尽力により、東京には「東京回教学校」やモスクが建設され、これが現在も代々木上原にある「東京ジャーミイ」の前身となっています。また神戸にもモスクが建てられました。
日本社会の中で居場所を見つけ生活していたタタール人たちですが、1950年代にトルコ共和国が国外のトルコ系住民への国籍付与を認めると国内の多くのタタール人がトルコへと移住することになりました。しかしごくわずかに日本に残ったタタール人の末裔も存在します。そのようなタタール人の多くは現在、東京外国語大学の近くにある多磨霊園に葬られています。
いかがでしたでしょうか?おそらくそのような日本とタタールの関係について初めて知った、という方が多いのではないでしょうか。自分も東京ジャーミイの前身が回教学校であったことなど、新たに知ったことが沢山ありました。
1910年代というと今ほど外国人を見かける機会もなかったでしょうし、ムスリムとの接触は当時の人々にとって大きな出来事であったと想像できますね。
東京ジャーミイや神戸モスクは一般の人も見学できるので、もし興味のある方はぜひ訪れてみてください!
また今回このテーマを扱うにあたって、櫻間瑛・中村瑞希・菱山湧人(2017)『タタールスタンファンブック:ロシア最大のテュルク系ムスリム少数民族とその民族共和国』合同会社パブリブから情報を得ました。
この本はタタールスタン共和国やタタール人、タタール語などタタールに関する情報がギュッと濃縮されたとても素敵な一冊です!タタールに興味がある方にはたまらない情報量とクオリティの高さ!
装丁も美しく凝っていて、ガイドブックのようにパラパラとめくるだけでも楽しいので、もう買わない理由がありません!
皆様、良いタタ活を!
それでは!Сау булыгыз!(サウ・ブルグズ /さようなら)
文責:そーにゃ
*今日のロシア語*
Республика Татарстан(レスプーブリカ タタールスタン)
意味:タタールスタン共和国
Tатарский язык(タタールスキイ イェズィーク)
意味:タタール語
★以前に、『タタールスタンファンブック:ロシア最大のテュルク系ムスリム少数民族とその民族共和国』を共同執筆されたタタ村さんにインタビューさせていただきました。ぜひ合わせてお読みください!
tufs-russialove.hatenablog.com