東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

東京外大生にインタビュー!第10弾【中央アジア地域編】〈後編〉

f:id:tufs_russialove:20201029181005p:plain

中央アジア地域専攻Tさんへのインタビュー 

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

―近年のウズベキスタン政治・経済の状況を教えてください。

政治は、ミルジヨーエフ大統領が国のトップであり、留学して現地で過ごす限りでは、国民からの人気も高いように感じました。ミルジヨーエフ大統領が昨年(2019年)に訪日するなど、ウズベキスタンと日本との関係もこれからさらに強くなっていくように思われます。

 

経済についてですが、サマルカンドが青の都として日本でも人気が出てきているように、観光による収入が多いと思います。貿易相手としては輸入も輸出もロシアが一位です。アジアでは韓国との結びつきが強いように感じました。現地に住んでいるのも中国人や日本人よりも圧倒的に韓国人が多く、美味しい韓国料理屋さんも多かったです(笑)

また、外資が極端に少なく、マクドナルドもスターバックスもありません(2020年4月時点)。しかし2016年に大統領が代わって以来解放路線を歩んでいると思います。

 

ウズベキスタンとロシアの関わりについて知っている情報はなにかありますか?

(例えば…歴史、文字、文化、近年の政治・経済など)

なによりもともとソ連として同じ国だったことが大きいですね。ロシア系住民も数多く住んでいますし、ソ連時代に教育を受けた年齢層の国民はロシア語も話せます。ウズベク語にもロシア語からの借用が数多くあります。文字に関しては、ソ連から独立したタイミングでそれまでのキリル文字表記からラテン文字表記への移行が発表されましたが、今でも町の至る所でキリル文字も使われています。実際私たちも外大ではキリル文字ウズベク語を勉強します。また政治的、経済的にもロシアとの繋がりはとても強く感じます。

 

―対露感情はどのようなものでしょうか?

もともとソ連として同じ国だったこともあり、国民はロシアにもロシア語にも比較的親近感はあると思います。ただ、国家としては脱ロシア、脱ロシア語を目指している雰囲気を時折感じました。

 

 

また、留学についてもお話を伺うことができました!

f:id:tufs_russialove:20201029223605p:plain

ヒヴァ

―留学先の授業はどのように進みましたか?

ロシア語、ウズベク語、どちらとも週4コマでした。ロシア語の授業は宿題が多くてとても大変でした。反対に、ウズベク語は授業もゆるくて簡単でした。

 

―留学当初は大学の寮で生活していたそうですが、どんな様相でしたか?

寮費は月20万ソム、日本円にして2000円くらいでした。3人部屋だったのですが、部屋がとても狭く、プライベートスペースがなかったです。しばらく寮で過ごしたのち、周辺に日本円換算で家賃5万円くらいのアパートを借りてそこで過ごしました。また、冬の始めと終わりに、アタプレーニエというセントラルヒーティングの調整を理由に水が止まることがありました。

 

f:id:tufs_russialove:20201029223655p:plain

ウズベキスタンのバザール

 ―授業がない日やまとまった休暇中には、何をして過ごしましたか?

金曜日の午後は授業がなかったので、金曜午後と週末を使ってブハラサマルカンドといった都市を巡りました。また、カラカルパクスタンや、ウズベキスタン南部のテルメズにも行きました。

カラカルパクスタン :ウズベキスタン内にある自治共和国。国家としては未承認だが、首相がおり、憲法も持っている。)

手付かずの遺跡を見ることができ、印象深かったです。

f:id:tufs_russialove:20201029223907p:plain

カラカルパクスタン共和国

―留学先で、ウズベク語を身に着けるために意識していたことはありますか?

寮の食堂で仲良くなった現地の学生たちとウズベク語で話したりしました。何も机上の学習にこだわる必要はなく、例えば市場やタクシーなど、話す機会はたくさんあります。実際、ウズベク語で価格交渉をした結果安くなったり、何か聞かれた際ウズベク語で返すと良い反応をもらったりしました。ロシア語も通じますが、ここでは使わず、ウズベク語で返すのがポイントだったと感じています。

 

f:id:tufs_russialove:20201029223945p:plain

ヒヴァ

長々と質問にお付き合いいただきありがとうございました!

 

中央アジアとロシアのつながりとは?】

中央アジアとは、ユーラシア大陸の中央部、カスピ海の東側にある、ロシア、中国、アフガニスタン、イランに囲まれた5つの国(カザフスタンウズベキスタンキルギスタジキスタントルクメニスタン)を指します。

※外務省HPの「わかる!国際情勢」というコーナーに、「中央アジア~アジアと欧州が出会う場所」という記事が掲載されています!中央アジア各国の特色がわかりやすく説明されていますので、こちらもぜひご覧ください。

外務省: 中央アジア~アジアと欧州が出会う場所

 

中央アジア地域の北部には草原が広がり、古来イラン系、トルコ(テュルクとも)系、モンゴル系の騎馬遊牧民が暮らしていました。南部はオアシス地帯が広がり都市国家が多く成立しており、イラン系を中心に定住する人々が現れました。

 

今回取り上げたウズベキスタンは、当時で言うところの南部オアシス地帯にあたり、現在観光地として人気の高いサマルカンドやブハラは商業空間の拠点でもありました。

 

その後、民族のトルコ化によるトルコ語の浸透や、タラス河畔の戦いを契機とするイスラーム化を経て発展を続けました。13世紀になるとモンゴルに征服され、チャガタイ=ハン国の支配を受けるものの、14世紀には勢力が衰退し、それに乗じてティムールがサマルカンドを都にティムール朝を開きます。モスクや学院が建設され、商業、学芸の中心として発達しました。16世紀初め、ティムールの衰退と前後してカザーフ、キルギスウズベク、新ウイグルなどのトルコ系民族社会が誕生します。ウズベク族はブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国に分かれて抗争しました。

 

ここまで見ていくと、なかなかロシアが出てこないことが見てとれます。

ロシアとの関わりは19世紀以降になってからです。16世紀に東方進出を加速していたロシアは、19世紀にはカザフ草原、コーカンド・ハン国の重要都市タシュケントをする占領など駒を進め、地域の多くがロシアの支配を受けることになりました。

 

1917年、ロシア二月革命ロシア帝国が崩壊し十月革命レーニントロツキーらが権力を握ります。1922にソヴィエト社会主義共和国連邦が結成され、中央アジアの5カ国もその構成国になり、1991年のソ連崩壊まで続きました。

 

ざっと見ても、中央アジア地域は、イラン、トルコ、イスラームソ連、そしてロシアとキーワードが盛り沢山な地域であることがわかります。今回お話を伺ったウズベキスタン中央アジア内では最大の人口規模を誇り、地域内の主要国として認知されています。外大では専攻言語や外語祭を通して、その魅力につかることができます。カザフスタンの記事と合わせて、興味を持っていただけたら幸いです。

 

カザフスタン留学の経験を持つ方へのインタビューはこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

tufs-russialove.hatenablog.com

 

文責:K

 

f:id:tufs_russialove:20201029224034p:plain