東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

「宇宙飛行の父」の数奇な人生

Здравствуйте!しおりです!

 

6月21日に金環日食が観測されたそうですね!

みなさん、見られましたか?私は、残念ながら見られませんでした。

空が曇っていたからというのもあるのですが、それ以前に課題に追われていました……

うう……空を見上げる余裕が欲しいものです。

民間のロケット発射実験もニュースになりましたし、宇宙関連がアツいですね!

 

宇宙開発の歴史には、実はロシアも大きく関わっています。

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出典:https://jp.sputniknews.com/opinion/201603241832900/

というわけで、今回は、ロシアの宇宙開発研究のパイオニアであるコンスタンチン・ツィオルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский)をご紹介したいと思います。

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出典:http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/kaihatu_pioneer_tsiolkovsky.html

彼は、世界で初めて「宇宙ロケット」の研究をした人物であるといわれ、ロシアの宇宙開発の歴史は彼抜きでは語れません。宇宙飛行の父とも呼ばれる偉大な人物です。

 

1857年9月17日、ツィオルコフスキーはモスクワ近郊のイジェーフスコイエ村に生まれました。10歳の時、猩紅熱(しょうこうねつ)にかかって難聴になってしまった彼は、そのせいで学校になじめず、16歳の時に古典ギムナージヤ(高等中学校)を中退してしまいます。しかし、彼はこの頃から大気中飛行に関心を持っており、在学中から紙で水素気球を製作する実験を行っていたそうです。その才能を生かそうと、父親は彼をモスクワの大学に行かせようとしました。古典ギムナージヤを中退していたため入学することはできませんでしたが、ツィオルコフスキーはモスクワにとどまり、図書館で数学や物理、哲学や社会思想を独学で勉強したのだそうです。才能にあふれている……!

 

ツィオルコフスキーは23歳の時に高等小学校の数学教師になります。学校の物理の授業時間に熱気球を製作して、教師生活から引退するまで気球を生徒たちと上げ続けたそうです。でんじろう先生みたいな人ですね。

彼の気球に関する論文は、当時気球に関する研究をしていたドミトリー・メンデレーエフにも評価されたとか。メンデレーエフに関しても記事が出ていますので是非お読みください!

いつも一緒にメンデレーエフ - 東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

 

ツィオルコフスキーは、教師生活の傍ら研究を続け、宇宙へ飛び出すには多段式ロケットが必要だという考え方、液体水素と酸素をロケット燃料に使うアイデア人工衛星のアイデアなど独創的なアイデアを数多く発表しました。特に有名なのは、1897年に発表されたツィオルコフスキーの公式」です。噴射ガスの速度が大きく、ロケット点火時と燃焼終了時の質量比が大きいほど、大きな速度を得られるという公式らしいです。文系しおり、宇宙は大好きですが、物理はさっぱりわからないので解説はできません。求有識者

 

彼のロケット関連のアイデアは、後にロケット推進の基礎となりましたが、あまりに独創的だったため、当初はなかなか理解されませんでした。「科学論文ではない、空想小説だ。」などといわれてしまったこともあるようです。アマチュアの科学者ながら手製の装置による簡素な実験で無視できない結果を出す厄介者、というある種嫉妬めいた見方もあったようで、長くアカデミズムの妨害を受けました。才能にあふれた人だったがゆえに苦労するという皮肉は悲しいものです。

 

彼の功績は、ソ連へと時代が変わってからしばらくして、やっと評価されました。彼のロケットのアイデアに軍事的な期待がかけられるようになったのです。1925年には、空軍アカデミー名誉教授の称号も与えられています。

 

ツィオルコフスキーは1935年にその生涯を閉じました。彼の研究の成果が人類初の人工衛星スプートニクの開発につながるのはもう少し先のお話。

かなり劇的な人生を送った方ですね。

 

ちなみに論文を空想小説と酷評されてしまったツィオルコフスキーですが、本当にSF小説も書いており、なんと邦訳もあります!また、彼が76歳の時、月旅行をテーマにした「宇宙飛行」というソ連SF映画の顧問も務めました。こちらは、1935年に制作された映画ですが、当時の最先端宇宙科学の成果や、宇宙観が反映された作品です。ぜひチェックしてみてくださいね!

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出典:https://movie.walkerplus.com/mv32924/

最後に、ツィオルコフスキーの名言を紹介します。

「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」

(Планета есть колыбель разума, но нельзя вечно жить в колыбели)

宇宙飛行の父らしい言葉です。

 

宇宙ってロマンがあっていいですよね!

私にとって、とても興味があり、もっと詳しくなりたい分野です。

今日も星空を見上げてかなたに思いをはせ……たかったけど課題が終わってなかった……

強く生きます。

それではまた!Пока!

 

 

しおり

 

 

【参考文献】

ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで 富田信之 2012年 東京大学出版会

JAXA 宇宙情報センター http://spaceinfo.jaxa.jp/

 

*今日のロシア語*

космос(コースモス)

 意味:宇宙

космический полёт(カスミーチェスキー パリョート)

 意味:宇宙飛行