Прывет! (ベラルーシ語で「こんにちは」)なつほです。
みなさんは、ロシアやウクライナに隣接するベラルーシ共和国を知っていますか?
ロシア好き以外にはなかなか縁がない国だと思います。しかし実は首都のミンスク市と仙台市が姉妹都市関係にあり、日本とも交流のある国なんです。
個人的に、「ベラルーシ」という言葉から想像するのは、まず「美人が多いこと」。そして次に思い浮かべることは「ルカシェンコ大統領」です。6月後半のテーマが「ニュース解説」なので、今回はルカシェンコ大統領についてお話します。
ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する人口950万人ほど(2018年1月当時)の共和制国家です。ソ連が崩壊した1991年に独立し、1994年からアレクサンドル・ルカシェンコ(ロシア語:Александр Григорьевич Лукашенко)が大統領を務めています。1996年の国民投票によりベラルーシ共和国憲法が改正され、大統領権限が大幅に拡大しました。また、2004年には同じく国民投票により大統領職の三選禁止規定が憲法から削除されました。
現在5期目の彼は、昨年11月に6選出馬の意向を表明し、この夏行われる(8月9日予定)選挙に挑む予定です。
親ロから対ロ路線への転向と国際的孤立
彼はエリツィン大統領時代に「ロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約」に調印しました。これは、ベラルーシとロシアが将来の政治・経済・軍事等の各分野においての統合を目指すものでした。しかしその後ロシア連邦の大統領に就任したプーチン氏は、ベラルーシの事実上吸収合併を示唆する発言を繰り返しました。するとルカシェンコ氏は反発するようになり、両国の統合は停滞しその後は関係悪化が続きました。
2010年12月の大統領選では4選を果たしましたが、野党勢力への弾圧や選挙の不正疑惑などの非民主主義的な行動が原因で西側諸国からの圧力が強まり、国際的に孤立するようになりました。
国内での抗議への抑圧
国内でも財政問題や経済不況が深刻化し、「独裁者」への反政権デモが勃発しました。厳しい規制を逃れるために市民が拍手をしながら無言の抗議を行ったことに対抗して拍手禁止法を制定しました。この法律により身柄を拘束される人が出たのですが、その中には拍手ができない片手が不自由な参加者もいました。これにより、大統領は2013年イグノーベル賞平和賞を受賞しました。今年の5月にも、首都ミンスクで彼の6選に反対する千人規模のデモが行われましたが、これは当局の許可を受けたもので、治安当局は静観したと報じられています。
なぜ「独裁者」として君臨し続けられるのか?
ルーマニアのチャウシェスクやリビアのカダフィなどのように、戦後は世界中で民主化の波によって独裁者が淘汰されてきました。しかしベラルーシには未だに「独裁者」と呼ばれる人物がいます。なぜ彼はこんなにも長い間政権を維持できるのでしょうか?
いくつかの理由を挙げてみます。
- 経済不況ながらもソ連時代から続く富の分配政策や物価の低価格設定などにより、国民の生活が一応の安定を保っていること。
- 反対勢力が弱いためアメリカやEUが期待するような反政府運動がなかなか盛り上がらないこと。
- ロシアを敵対しつつも連携し、中国や中南米諸国などといった中南米諸国を中心とした国と巧みな外交手腕で経済援助を獲得していること
彼の政策を代表するものの一つとして、「社会指向型市場経済」があります。これは、旧ソ連型の管理経済を推進しており、統制価格の導入や、自国の製造業の保護を行いました。しかし、天然資源にも乏しく、国家財政の基盤となるものが脆弱なベラルーシの成長は頭打ちとなり、ソ連型社会主義経済から、完全な市場経済社会へ向けた改革が必要であるといわれています。
EUともロシアとも関係がうまくいかないベラルーシは、現在中国の「一帯一路」建設の支持を表明した上で同国に急接近し、経済的にも軍事的にも密接な関係を築いています。それによる今後のロシアとの関係や、ルカシェンコ大統領の外交手腕にもっ注目が注がれています。
なつほ
【参考】
徳島新聞, 2020年 5月25日,「ベラルーシで大統領6選反対デモ:首都ミンスクに千人超」
外務省, 2019年6月23日, 「ベラルーシ共和国」
AFP BB News, 2011年7月4日,「ベラルーシの『拍手デモ』を警察官が鎮圧、『蜂起を夢想するな』と大統領」
外務省, 日付不明,「[11]ベラルーシ」
JETRO, 2019年12月26日,「ベラルーシ政府、中国開発銀行から約5億ドルの借款受け入れ」
*今日のロシア語*
президент(プリジヂェーン卜)
意味:大統領
диктатура(ジクタトゥーラ)
意味:独裁政治