ウクライナ・リヴィウ大学留学体験記
Добрый день!!(ドーブルィ ジェン!!)
こんにちは、ЛЮБОВЬウクライナ担当のトモヒトです!前回の記事では、ボルシチがウクライナ料理であることをご紹介させて頂きました!
https://tufs-russialove.hatenablog.com/entry/2020/04/08/212649
実は私は、昨年9月に、ウクライナへ短期留学しています!
リヴィウという町に行っていました。
今回の記事では、その留学についてお話していきたいと思います!
Episode 1. リヴィウ空港でロストバゲージ!?
西側にある☆が、リヴィウの位置です。
リヴィウは、国内で最もウクライナ色が強い街と言われます。ウクライナではロシア語とウクライナ語が日常的に使われていますが、キエフやオデッサと比べて、リヴィウでは高い割合でウクライナ語が用いられていました。
成田空港からはるばる13時間余り、ポーランドのワルシャワ・ショパン空港で乗り継いでリヴィウ国際空港に降り立った私は、なんと人生初のロストバゲージに遭ってしましました。
到着口では、東京外国語大学の海外オフィス「GJO(Grobal Japan Office)」のリヴィウ大学駐在員の方と、リヴィウ大学文学部日本語学科の学科長の先生が待っていてくれていました。
先生方に助けてもらって航空会社(ポーランド航空)にロストバゲージ申請を済ませ、とりあえず空港を後にしました。
大学校舎や寮がある中心街へは、路面電車(Трамвай)で移動しました。
リヴィウは地下鉄(Метро)が敷設されていないため、路面電車やトロリーバスが発達しています。
運賃は、一回乗車で5грн(フリヴニャ。1フリヴニャ4円程度なので、20円ほど。)でした。ウクライナは、ヨーロッパで一二を争うほど物価が安いと言われています。
Episode 2. リヴィウ大学文学部へ入学!
リヴィウ大学は、正式には、「イヴァン・フランコ記念リヴィウ国立大学(Львівський національний університет імені Івана Франка)」と言います。
ウクライナ屈指の文化人イヴァン・フランコの名を冠しており、1661年の創立以来350年以上の歴史を持つウクライナ最古の総合大学です。
同国内では、キーウ(ロシア語読み:キエフ)大学と並ぶトップレベルの高等教育機関です。
(GJOウェブサイトより引用 https://tufs-sgu.com/gjo/gjo-ukraine/)
私が入学したのは文学部(Філологічний факультет)で、平日は毎日ウクライナ語を勉強しました。
使用言語は、英語とウクライナ語でした。基本表現から勉強する、入門コースでした。
ウクライナ語はロシア語と似ているので、ロシア語専攻の自分にとってウクライナ語を学習することは難しいことではありませんでした。
同じキリル文字を使用しており、ロシア語にある文字がウクライナ語にあったり、逆の場合もあったり。語彙は共通していたり似ていたりするものも多いですが、完全に分化してしまった言葉もあります。
ウクライナ語は、とても美しい響きをもった言葉だと思います。
語学のみならず、歴史、フォークロア、文学の歴史、言語学、伝統人形作り体験などの授業を受けました。
コサックは、未開の土地であったウクライナに近世に入ってから登場した、「自由人」です。主にポーランド・リトアニア帝国やロシア帝国から逃れてきた農民や貴族を指しますが、オスマン帝国(現在のトルコ)などからの逃亡者なども混じっていました。その卓越した戦闘能力にものを言わせ、帝国による支配を拒否、一時は自らの国家を有したこともありました。
性格は豪放磊落で、日本のサムライとよく比較されます。
多くのウクライナ人は、彼ら自身の先祖であるコサックをとても誇りに感じているようです。
魔除けにも使われたこの人形が着ている服はヴィシヴァンカ(Вишиванка)といい、ウクライナの伝統衣装になります。
地域によって色と模様が異なりますが、赤と白を基調とし、花柄模様をあしらったものが最も代表的です。手首と首回りには刺繍が施されており、邪気が入り込むのを防いでいるといいます。
Episode. 3 リヴィウの街を散策
大学は正午か夕方までで終わったので、残りの時間はずーっとリヴィウの街を歩いて楽しんでいました(笑)
以下では、リヴィウで出会ったものについて紹介します。
こちらは、ダニイロ王像。
モンゴル支配を生き抜いた、ウクライナの起源とも言われる国、「ハーリィチ・ヴォルイニ公国」の王で、リヴィウの街を建設しました。
「リヴィウ」という街の名は、ダニイロの息子であった「レフ(ライオンの意)」の名に由来します。
こちらはドミニコ聖堂。とても壮麗な内装でした。
東方正教の典礼を実践しながら、ローマ教皇権を認めて、カトリックの教義を受け入れている東方典礼カトリック(ギリシャ・カトリック、ユニエイト)教会です。リヴィウのあるガリツィア(ハーリィチ)地方に特徴的な宗派です。
ウクライナといえば、ボルシチですね!前回記事でも紹介させて頂きました!
「チキン・キエフ(キエフ風カツレツ)」という料理も有名です。鶏肉の中にバターが仕込んであり、ナイフで切り分けると溶けたバターが流れ出してくる絶品です。
特に、チーズが入ったパン・ハチャプリは、とてもおいしいです。
オペラ劇場では、格安でオペラやバレエを鑑賞することができました。
僕が買った最安値のチケットは、50грн(200円…?)でした。「アイーダ」を観ました。
アルメニア教会、なんていうのもありました。ウクライナは色々な民族が一緒に暮らしている国なのです。
こちらは、先ほどご紹介したヴィシヴァンカ。
可愛らしいですよね。
Episode. 4 キエフ旅行
週末は大学も休みだったので、旅行に行きました。
旅行先は、首都キエフ。
授業が終わった後、リヴィウ駅へ向かいます。
半日近くゆられて、広大なウクライナの大地を移動します。
キエフ駅に到着しました!
リヴィウには西ヨーロッパの風情が感じられる街並みが広がっていますが、キエフではさすが首都だけあり、高層ビルなども見られました。
駅からしばらく歩くと立っているのが、こちらの真っ赤な建物をもつ、タラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学が見えてきます。
ウクライナの最高学府です。
一説によれば、この赤い色は、ウクライナがロシア帝国の支配下にあった時代、ロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として、建物を血の色で塗りつぶすよう命令した名残だといいます…
(地球の歩き方 ロシア ベラルーシ ウクライナ コーカサスの国々 2018~2019より)
キエフの中心に、「独立広場(Майдан Незалежності)」という広場があります。
この広場は、2013年、当時ウクライナの首相だったヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏がウクライナ‐EU連合協定への署名を中止し、ロシアとの結びつきを強化する方針へ舵を切ったことをきっかけに勃発した暴動「ユーロマイダン」の舞台です。多数の死傷者が出ています。
人もまばらな広場に、多くの人の想いが渦巻いている気がしました。
高台を登っていくと、東ヨーロッパ
世界最古のキリスト教修道院・ペチェールスカ大修道院があります。
個人的にジョージア料理がとても気に入ったので、キエフでもジョージア料理店に入ってしまいました(笑)
ウクライナは、探求しても探求しても新しい顔を見せてくれる奥深い国です。
私は今年の9月からリヴィウ大学へ1年間の長期留学が内定しています(コロナウイルスの影響で行けるかどうかは判然としませんが…)。
これからも着々と、ウクライナへの愛着を育てていこうと思います。
それではПока!
トモヒト
*今日のロシア語*
Страна(ストゥラーナ)
意味:国、国家
Козак(カザァーク)
意味:コサック