東京外国語大学ロシアサークルЛЮБОВЬ(リュボーフィ)のブログ

「未知なる魅惑の国」であるロシアならではの文化から、留学や旅行のこと、東京外国語大学でのキャンパスライフのことまで。このブログでは、東京外国語大学のロシアが大好きな学生たちが様々なテーマに沿って日替わりで記事を書いていきます。ЛЮБОВЬ(リュボーフィ)とは、ロシア語で「愛」を意味します。

〈4月18日開催〉ロシア系学生団体 合同新歓 参加団体を一挙紹介!

Здравствуйте (ズドラーストヴィチェ)! こんにちは!

 

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リュボーフィの各種SNSを見て既にご存知の方がいらっしゃるかもしれませんが、この度…!なんと…!

【ロシア系学生団体合同新歓】を開催することが決定いたしましたー!!!👏👏👏

このイベントには都内のロシア系サークル7団体が一度に集います✨

 

開催日時や場所、申し込み方法は以下の通りです!

◆4月18日(日)16:00-18:00

◆ZOOMにて

◆申し込みは↓のフォームから(4/17(土) 12:00〆切)

docs.google.com


※東京外大生向けですが、東京外大以外の学生も参加可能となっております。
※入会条件が東京外大生のみの団体もあります。

 

この記事では、参加する各団体についてご紹介したいと思います!要チェックです✅

 

《参加団体一覧》

 

《東京外国語大学ロシアサークル リュボーフィ》

Привет(プリヴェート)!こんにちは!私たちはロシアと旧ソ連地域に興味のある学生が集まったサークルです✨現在25名のメンバーでゆるっと活動しています。主な活動内容は、月2回のオンライン定例会、ブログでの情報発信、ロシア語話者との交流会などです。旧ソ連の好きな国について語り合いたい、ロシア語話者の友達を作りたい、上級生に留学や履修の相談をしたいそこの君…もうリュボーフィに登録したか?

 

Instagram: https://instagram.com/tufs_rujp?igshid=1s3o5k8zn7u5v

Twitter: https://twitter.com/tufs_rujp?s=21

 

 

《東京外国語大学ロシア民謡研究会ルムーク》

Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ)! 有名なロシア民謡から、あなたが好きなロシアの歌まで歌えちゃう…!?ルムークでロシアの歌に触れてみませんか?バラライカやドムラなど、ロシアの楽器も演奏できちゃいます!ロシア語科以外のメンバーも所属中!毎週火曜日18時から20時まで活動しています。ぜひぜひ遊びに来てください!

 

Instagram: https://instagram.com/rumuk_tufs?igshid=nfhkfsvdzy5y

Twitter: https://twitter.com/rumuk_tufs?s=21

 

 

《東京外国語大学中央ユーラシア研究会》

※東京外国語大学中央ユーラシア同好会ユルタに改称予定

主に外語祭、たまにSNS他で中央ユーラシアの魅力を発信している公認サークルです。

例年、外語祭で外大の森にユルタを建て、そこで現地の音楽や文化を発表したり、模擬店てんぐりを出店して現地の雑貨を販売したりします。

昨年度は、オンライン外語祭にて制作中の写真集や自作の映像を公開する、展覧会の共催といった初の試みをしました。

中央ユーラシアに興味のある外大生が、例年10~20人程度所属。部員同士のアットホームな関係性が特徴です。

活動日は週1回位で、兼部大歓迎です!

詳しくは合同新歓でお聞きください〜!

♦️ユルタ:中央アジア周辺の遊牧民住居

♦️中央ユーラシア:中国西部、中央アジア、アフガニスタン、ロシア、コーカサス、その周辺(諸説有り)

 

Instagram: https://instagram.com/projectyurta?igshid=1vpto8o7qaal4

Twitter: https://twitter.com/tufs_yurt?s=21

 

 

《東京外国語大学バルカン研究会》

バルカン研究会です。バルカン半島を中心に中東欧、コーカサスなどに興味がある人大歓迎です🌍 歴史、政治、言語、食文化、観光…など各々が調査したことをプレゼン発表し、共有しています。昨年は毎週オンラインで活動していました。一昨年は部誌を作り、冬コミで販売したりもしました。ロシ科は若干多いですが、色々な語科の会員が居ます。マイナーな国が好きな方、是非語り合いましょう🇸🇮🇭🇷🇧🇦🇷🇸🇽🇰🇷🇴🇲🇩🇧🇬🇲🇰🇦🇱🇬🇷🇨🇿🇸🇰🇵🇱🇭🇺🇺🇦🇧🇾🇱🇹🇱🇻🇪🇪🇫🇮🇬🇪🇦🇲🇦🇿

 

Twitter: https://twitter.com/tufbalkan?s=21

 

 

《ロシア語劇団コンツェルト》

コンツェルトは早稲田を中心としたインカレサークルです。

年2回、全編ロシア語での演劇公演を行っています。何か難しそう?でも、これがとても楽しいんです。ネイティブの先生による発音指導、団員たちと作り上げる舞台、さらに専攻語の上達まで、どれをとっても独創的で魅力的、コンツェルトはあなたの入団をお待ちしています!

 

Instagram: https://instagram.com/theatrekontsert?igshid=bazg3n62ds3n

Twitter: https://twitter.com/theatrekontsert?s=21

 

 

《日露学生会議》

日露学生会議はソ連時代から続く学生団体です。「日露の架け橋たらん」の理念の元、民間交流の先駆けとしての貢献を目標に活動しています。国際関係、政治経済、カルチャーの3つの分科会に分かれてロシア人学生と英語での議論を行います。議論をすることで単なる文化交流に終わらず、両者がさらに深い関係を構築することができます。その他にも、日本の歴史、文化や日露関係の理解を深めるためのフィールドワークも実施します。

 

Instagram: https://instagram.com/japan.russia.sc?igshid=u2x0v2xli7k3

 

 

《日露学生交流会》

こんにちは!私達は、「ロシア・ユーラシア」に興味を持つ学生が首都圏中から集まる、1989年から続くインカレサークルです!✨

🇷🇺何語専攻でも大歓迎!

🇷🇺何年生でも大歓迎!

🇷🇺兼サーメンバー多数!

 

◎主な行事

📍ロシア語圏学生とのオンライン交流会

📍ロシア語圏就職シンポジウム運営

📍《開催未確定》料理会・食事会・合宿・渡航企画
他にも計画中!!

 

「大学・専攻の枠を超えて」共通の趣味を持った学生や、社会人の方々との繋がりを持てる事が最大のメリットです!ご入会お待ちしております!

 

Instagram: https://instagram.com/nichiro_kanto?igshid=1ggjkz2u3wu08

Twitter: https://twitter.com/nichiro_kanto?s=21


同じロシア(やその周辺諸国)を取り扱っているとはいえ、サークルによって活動内容や目的は様々です!

是非このイベントに参加して、自分に合うサークルを探してみませんか?

皆様のお申し込みを心からお待ちしております!✨✨

 

私がロシア語を選んだ理由

こんにちは!東京外国語大学ロシア語科の川又です。

いよいよ新学期ですね!

今年度からまさかの3年生になってしまうらしいです。時が経つのは本当に早いですね…。
ゼミが始まったり就活・インターン(??)が始まったりと忙しい1年になりそうです。

今回のブログのテーマは「私がロシア語を選んだ理由」です。

私がロシア語を学びたいと思ったきっかけは、高校1年生の冬、YouTubeでロシア国歌をたまたま聴いた時でした。確か12月の上旬だったと思います。ちなみにサティ・カザノヴァさんが歌っている、こちらの動画です。

 

www.youtube.com

 

ソ連国歌の勇ましさに惚れてロシア語を始めたという人(上坂すみれさんもそうですね!)も多くいますが、私は勇ましさというよりもこの人のような繊細な発音に憧れてロシア語を学びたいと思いました。

 

この動画は例の「デェェェェン!」ではなく、前奏も繊細な感じのピアノで始まります。
でもメロディーはどちらも共通してかっこいいですよね!(ロシア国歌とソ連国歌は歌詞が違うだけでメロディーは一緒です。)

また、ありがたいことにこの動画にはロシア語歌詞、そのカタカナ表記、そして日本語訳がつけられています。ロシア国歌のサビに登場する歌詞
«Славься отечество, наше свободное» の «отечество»の部分につけられているカタカナ表記が「アチェチェストヴァ」となっていて、「文字は違うのにどっちも同じカタカナ表記ってどういうことだよ」とツッコみたくなった記憶があります。

ロシア語を勉強してる方は違いがお分かりだと思います…。ちなみに私は軟音化したтの音が結構好きだったりします。

 

ちなみに、文字を覚える際は「アー、ベー、ヴェー…」という文字の名称ではなく、実際に単語の中でどのように発音されるのかを優先して覚えた方がいい気がします(ロシア語を読もうとすると音価ではなく文字の名前が出てきちゃう父を持った娘より。父は「何か新しいことがしたい」と言ってYouTubeの動画を見ながら少しだけロシア語を勉強しています)。

 

ちょっと話が逸れた気がしますが…

ロシア国歌を聴いたのをきっかけに、どんどん関連動画として出てくるロシア語の歌(ソ連軍歌、民謡、ソ連時代のバラードっぽい映画音楽など)を聴いて、頻繁に出てくる単語なら意味もわかるようになってきました。

 

ソ連軍歌といえば、もちろんロシア軍所属のアレクサンドロフ・アンサンブル(赤軍合唱団の一つ)ですよね。私もよく聴いていました。

しかし、2016年12月25日、アレクサンドロフ・アンサンブルのメンバー64人を含む92人を乗せた飛行機が黒海へ墜落し、合唱団はほぼ全滅しました。

事故が起こる前の最後の公演がこちらだそうです。

 

www.youtube.com

 

私がソ連軍歌にハマった直後のこの事故だったので、当時はかなりショックを受けました。今ではメンバーの大半を改めた新生アレクサンドロフ・アンサンブルが活動しています!

 

以下は外大受験に至る道のりをお話しします。

 

高2の夏休みに上智大学のオープンキャンパスに参加し、「上智のロシア語学科を目指してみるか…」と思ったんですよね。それまでは上智なんて私には絶対無理だ…と思っていたのですが、オープンキャンパスに行ってお話を聞いたり実際にキャンパスを歩いてみると、勉強のモチベーションが生まれました(あるある)。

 

そして月日は流れ、確か担任の先生のアドバイスから、高3の6月ごろには外大を目指すことになっていました。7月のオープンキャンパス、そして夏休みに受けたオープンアカデミーのロシア語の初級の授業を通し、やっと受験を頑張るぞ!という気分になりました。オープンアカデミーの際には武蔵境に住んでいるひいおばあちゃんの家に泊めてもらったのですが、その時に「勉強頑張ってね」と3万円をもらったのが一番の決め手でしたね(笑)

 

ただ、何しろ数学の模試で14点を取るような出来の悪い子だったので、数学の教科書を開くだけで嫌になって現実逃避のためにロシア語を少しだけやったりしていました。10月にはオープンアカデミーが始まる前に申し込んでいたロシア語検定4級を受けて合格しました。
ここで思い出したのですが、「もう受験やめてロシア語ガチろう」とか考えて、日本の国立大学に行くよりウラジオストクの極東連邦大学(のロシア語学習センター)に行ったほうが学費安いじゃん!と思っていろいろ資料を請求したりしていました(完全に現実逃避ですね(笑))。

 

結局、苦手だった数学もセンターではほぼ過去最高点を叩き出し(それでも平均点にすら届いていない)、無事に外大に合格しました。

大学で外国語だけやっても将来に繋がらない…と嘆く人も多いのですが(もちろん外国語だけでなく、法学、経済、文化研究、ビジネス、文学の授業も外大では取ることができますよ!)、私は私にとって楽しいことをやるつもりでこの大学に来たからいいのです。そこまで勉強を頑張れていないのにこんなこと言うのもなんですが、ロシア語をやらない私の人生は考えられなかったと思います。

それでも看護の専門学校に通っている高校時代の友人と話したりすると「仕事に直結するのいいな…」とか思ってしまいます。でも楽しいからいいのです…。人生少しでもハッピーなことを見つけながら生きるのがいいと思います。


さて、「私がロシア語を選んだ理由」というテーマの性格から完全に自分語りにはなってしまったのですが、自分自身でもどんな経緯でこの大学に来たのか久しぶりにちゃんと思い出すことができました。もっとちゃんと勉強を頑張るべきな気がしてきました(笑)

 

まとめ方がわからなくなってしまったのですが、生徒の皆さんも、学生の皆さんも、社会人の皆さんも、小さな幸せを見つけながらこれからやってくる季節を楽しみましょう!

 

文責:川又

 

*今日のロシア語* 

причина(プリチーナ)

 意味:理由、原因

Гимн России(ギームン ラスィー)

 意味:ロシア国歌

 

東京外大生にインタビュー!第20弾【ペルシア語科編】〈後編〉

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ペルシア語科あまねさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【留学について】

ー留学や旅行に行ったことはありますか?

旅行は小学校の4年生くらいまでは比較的頻繁に行っていました。そこから10年くらい行っていなかったのですが、大学1年生の夏にショートビジットの前乗りを含め2カ月ほど滞在しました。メインのプログラムはシーラーズという都市の大学で受けていましたが、首都テヘランやヤズド、それから「世界の半分」という文句で有名なイスファハーンなど様々な場所を訪れました。

 

ー特に印象に残った思い出や場所はありますか?行ってみて印象が変わった点はありますか?また、その地域を知らない人が聞くと驚くであろう風習などはありますか?

やはりペルセポリスは感動しました。いまは廃墟しか残っていませんが、それでもなお何千年も前の威光を忍ばせる形跡が残っていました。写真で見ると全く伝わりませんが実際に行ってみると自分の想像の何倍もスケールがあり圧倒され、自分にイラン人の血が入っていることに誇りを感じましたね。

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ペルセポリス


大学生となって訪れた際に衝撃的だったのは、様々な技術が発展していたことです。小さい頃の印象より空港のゲートや地下鉄などが整備されていましたし、電子マネーの普及などの一部の分野では日本よりも先を行っているなと感じるものもありました。街中のガソリンの臭いも改善されているような気がします。

イランは厳格なイスラーム国で怖い国というイメージが持たれがちです。確かに厳格にイスラームを信奉するという一面は否定出来るものではありません。しかし、それがイランのすべてではなくて世俗的な考えを持った人々も少なからず存在します。例えばイランでは女性が頭にヴェールを被ることが法律で決められていますが、できるだけ自分の髪の毛を見せるように工夫してヴェールを被る女性はとても多いです。法律的にアウトかセーフかというゾーンで警察とチキンレースを繰り広げる若者もとても多く、そちらの一面はあまり知られていないと思います。

 

ー現地の人々の様子を教えてください!どのような人が住んでいますか?(多国籍?優しい?怖い?治安は良い?など)

イラン人は善人と悪人の差が激しいと思いますね。いい人は徹底的にいい人ですが、悪い人はよくもそんなことを、と思うようなことを平気でします。そういう人を判断して見分けるのが大事になってきますね。ただ全体的には治安は欧米と比べても良いと思います。外国だということを意識して最低限の警戒をすれば危険な目に合うようなことはあまりないのではないでしょうか。

またイランは多民族国家であり様々な人がいてとても面白いですね。場所によって聞こえてくる言語が違ったりもします。民族ごとに着ている服装が異なるのでよく観察すると面白いです。

そしてイランはとてもフレンドリーな人が多い国です。しかし、人によってはそれが鬱陶しくなりイラン人のことが嫌いになってしまうことも少なくありません。また、イラン人は非常にプライドが高い民族ですが、歴史の荒波にもまれて中々のコンプレックスを抱えているのでイラン人の心象は複雑で面白いと思います。 

 

ー外大にはクルド語やパシュトー語などペルシア語以外のイラン語派に属する言語の授業もありますが、何か履修されていたものはありますか?

クルド人に興味があり、クルド語は履修していました。自分の国を持たず歴史的に悔しい思いをしてきていることもあり、彼らの言葉で話しかけると心理的な距離が近くなると先生から聞いたので受けてみようと思いましたね。パシュトー語に関しては自分の興味範囲からは外れていたため取っていませんでした。

 

【地域について】

ーイランについて勉強する最初の一冊となるようなおすすめの本はありますか?

イランを勉強する最初の一冊は、『イランを知るための65章』か『言葉の国イランと私』ですね。前者はシリーズ本ということもあり、言語や民族、政治、経済、日本との関係など、表面的な物から少し掘り下げたものまでイランについての情報が体系的に書かれています。後者は、テヘラン大学で日本人初の博士号を取得した岡田恵美子先生のエッセイ本となっており、より直接的な視点で等身大のイラン人たちを見てみたい人におすすめです。この本が好きになった人はきっとイランに向いていると思いますよ。 

 

イランを知るための65章 エリア・スタディーズ | 岡田 恵美子, 鈴木 珠里, 北原 圭一 |本 | 通販 | Amazon

言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち | 恵美子, 岡田 |本 | 通販 | Amazon

 

ーイランの音楽や絵画、文学、映画、アニメで有名なものはありますか?

イランは近年映画産業が非常に優秀でいくつも国際的な賞を取っています。日本でも有名なのは「僕の友達はどこ」や「運動靴と赤い金魚」などが挙げられますね。難しい映画ではありますが何度も見るうちに面白さがわかってくるので、映画好きの方ほどはまる映画だと思います。 他のイラン映画も深く考えさせるものが多く、どちらかと言えば悲劇や暗い話が多い印象はありますね。

 

ーイランの著名人といえばどのような方がいますか?

イラン出身の有名人は非常に多く枚挙にいとまがありませんが日本人が知っている人は少ないように感じられます。あえて日本人が知っている人を上げるとすれば女優のサヘル=ローズさんなどでしょうか。 彼女は自分の出自をテレビでも公表していますし、そういった自身のアイデンティティと向き合うような番組やコーナーも持たれています。その他、レスリングやバレ

 

ーボール、サッカーなどが好きな方は選手の名前を一人二人くらいは知っているかもしれませんね。

出身に限らずイランにも出自を持つ方、ということでいうと、歌手のMay J. さんやプロ野球選手のダルビッシュ有選手なんかもそうですね。

 

ー近年のイランの政治・経済の状況を教えてください。

非常にまずいと思います。近年イランは2015年に結ばれたイランの核開発を制限するイラン核合意の瓦解によって政治的にも経済的にも波乱が巻き起こっています。トランプ政権が一方的に合意を離脱し経済制裁をかけたことによりイラン経済は大きなダメージを受け、政治面では欧米協調路線が弱まってきているようです。現在のバイデン新政権とイランのロウハニ大統領が6月の大統領選挙というタイムリミットがある中でどのように落としどころをつけるのか、目が離せない状況です。イランが反欧米路線を辿るのか、はたまた国際協調路線を辿るのか、今が一番重要な分かれ目ですね。

 

【ロシア×イラン】

ーイランとロシアの関わりについて知っている情報はなにかありますか?

イランとロシアは近代に入ってから何度も戦争を繰り返すなど大きなかかわりを持っています。昨今起きた紛争の当事国であるアルメニアやアゼルバイジャンを含むカフカ―スの多くの国はロシアが戦争によってイランから獲得したものです。また、現在ロシアとイランは対アメリカの利害が一致していることから軽い協力関係にありますが、互いが互いを心の底から信頼しているということはありません。またロシアのイランに対する文化面の影響では、ソ連に影響されてイラン国内でも革命前には大きな共産主義勢力が存在しました。 

 

ー2020年9月末からナゴルノ=カラバフを巡ってアルメニアとアゼルバイジャンが戦争をしていましたが、イランはどちら側の姿勢を示していたのでしょうか?

これは難しい問題で、歴史的にはアルメニアの方に支持があったのですが、近年のアゼルバイジャンの経済発展に伴う利益の面やイラン国内にかなり多くのアゼルバイジャン人がいることなどから、中立から若干アゼルバイジャン寄りの姿勢と言えるかもしれません。ただアルメニアに武器を輸出するという話もあるなど、どっちつかずな感じではありますね。

 

ーその地域の人の対露感情はどのようなものでしょうか?

一概には言えませんが歴史的な経緯からか、あまり良い感情を持っておらず、ロシア人は信用できないと考えている人が多いようです。帝政時代には他国とともにイラン国内のテヘラン近郊まで侵略をしに来て虐殺などを行っていました。レーニンの時代には不平等条約の撤廃など協調路線が取られ対露感情は良好だったのですが、スターリンの時代には再びソ連が侵略的な姿勢を取るようになるなど時代によってかなりばらつきがあります。そのせいもあって現在対米路線で一致してはいるものの信頼をし合っているわけではない、という状況になっていますね。

 

ーお付き合いいただきありがとうございました。最後に何か一言お願いします。

このようなインタビューは受験生が外大や、それぞれの地域に興味を持つうえでとても重要なので本当に良いものだと思います!また選んだ語科がイメージと違って後悔する、ということを防ぐうえでも大事なものだと思います!

 

ーありがとうございます。今回は貴重な、そして非常に含蓄に富んだお話を聞けてとても為になりました。また機会があればぜひいろいろなお話を伺いたいです。以上、ペルシア語科のあまねさんのインタビューでした。

 

 他にも、イランで撮影された写真をたくさんいただきました!

 

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以上、カーシャーン

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以上、エスファハン

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以上、ヤスド

 

文責:そーにゃ

(インタビュー実施日:2月27日)

東京外大生にインタビュー!第20弾【ペルシア語科編】〈前編〉

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ペルシア語科あまねさんへのインタビュー

 

あまねさんについて

2018年4月入学、国際社会学部中東地域ペルシア語専攻。母親がテヘラン出身のイラン人とイランに自身のルーツを持つ。ペルシア語は大学で専攻するまで話せなかったとのこと。2018年夏にショートビジット(短期留学)でイランに滞在。

 

ペルシア語科について

アラビア語科、トルコ語科とともに中東地域に位置付けられる。人数が十数人ほどのいわゆる「小語科」。ペルシア語はイランの国語で、インド=ヨーロッパ語族インド=イラン語派イラン語群に属する。タジキスタンのタジク語やアフガニスタンのダリー語はその方言とされる。話者人口は7000万人ほどで、上記の国以外では中央アジアのウズベキスタンやコーカサスのアゼルバイジャン、ロシアなどにも話者がいる。

  

【学生生活について】

ー外大に入った理由と、なぜペルシア語科にしたか、学部はどうやって決めたかを教えてください

なんと言ってもペルシア語やイランについて本格的に学べるからですね。高校2年生くらいの時から自分の出自を活かしてイランに関わるような仕事に就きたいと考え始めたのですが、そのような勉強ができる一番レベルの高いところを目指そうと思い外大にしました。学部は将来仕事で活用できるようなスキルが身に付くと思ったので国際社会学部にしました。また、国際関係に興味があったというのも理由の一つです。 

 

ー実際に入ってみてどうでしたか?思っていたことと違った!ということはありましたか?(いい意味でも悪い意味でも)

外大に入る前は自然に留学生と交流できるものだと思っていましたが、実際は自分から英語の授業などを取らないと留学生との接点があまりないというのが思っていた事とは違いました。韓国など、日本語での意思疎通ができた留学生との関係がやっぱり深くなりましたね。 

 

ーペルシア語科の雰囲気を教えてください!

ペルシア語科はいい意味で狭い語科です。小語科の中でも特に先輩後輩の結びつきが強く、学生向けに解放されている研究室(通称ペ研)で勉強や雑談をしていくうちにとても仲良くなります。また語科独自での合宿や忘年会など親交の場が設けられています。語科の皆でディズニーに行って遊んだり、コロナ以降はzoomを使ってゲームをしたりと学外でも仲は良いのですが、むさくるしいほど干渉してくるということはなく適度な距離感をもてる良い語科です。小さな語科内で良い友人関係が作れたことは一生の宝です。

 

ーペルシア語科に入って良かったことは何ですか?

やはりペルシア語の勉強ができたことですね。「親の言葉喋れない系ハーフ」から脱却できたのはとてもうれしかったです。また、自分が今まで読むことができなかった文字(ペルシア語はアラビア文字に数文字加えたペルシア文字で表記する)を読めるようになる喜びは何物にも代えがたいですね。あとアラビア語を始めるときの取っ掛かりが多少楽になります。

 

ーちなみにペルシア語を勉強し始めてからお母さんとペルシア語で話す機会などは増えましたか?

自分からはあまり話さないのですが、母親の方はペルシア語で話すようになりましたね。今では日常会話の3割くらいがペルシア語になっています。ただ重要なことをペルシア語で言われたりすると少し困ることもあります。

 

ー逆に、ペルシア語科に入って後悔したことや辛かったことはありますか?

ペルシア語は簡単な文法を有しているがゆえ、文章を読み取るのがとても難しい言語です。私は特に講読が苦手で夜遅くまで研究室でヒイヒイ言いながら予習をしていたくらいなので、その点はとてもきつかったですね。また、外語祭で人手不足に陥るのも少数語科ならではの大変さだと思います。

 

ー確かにペルシア語の文構造を把握するのは大変ですよね。

そうですね、ペルシア語は響きが重要なので、多少文法がめちゃくちゃでも綺麗に響くように語順が変えられたりもします。だから文章を読む際には自分でも声に出して読んでみることが重要です。特に詩ではその傾向があるので読むのが大変です。

 

ー言語の勉強はどのように進みますか?

1年生の春学期は、日本人の先生の授業では教科書に沿って主に文法を学びます。ネイティブの先生の授業では先生が教科書とは別に用意した教材を使っているので、文法のクラスとはあまりリンクしていません。秋学期は春学期に進みきらずに残った文法事項を習うほか、ちょっとした講読が始まります。2年生以降は本格的に講読が始まりますね。ネイティブの先生の授業はどちらかといえばスピーキングがメインになります。

 

ー中東地域関連で最も面白かった授業は何ですか?

ニッチな授業になってしましますが、「16-19世紀イランにおける政治・法秩序の変容」という授業が面白かったです。実際にイラン政府から賞を受け取るほどの大御所の先生の講義で、新しく得る知識が多くとても為になりました。

ほかにも、同地域のA先生の授業は全般的に面白かったです。難しい話もありますが、ジョークも交えつつユーモアあふれる授業をされていたので1時間半退屈することなく聞いていました。

 

ーまた、語科と関係なく、外大の授業で面白かったものを教えてください!

文化人類学系の授業は面白いものが多いですね。人類の攻撃性についてチンパンジーとボノボを参照しつつ考察する授業や、環境変化等の問題について映画を見て考えてみる授業等があり、型にとらわれない面白さを実感しました。リフレッシュできますし、主体的に想像力を働かせて考える授業は言語とはまた違った面白さがありますね。 

 

ー今現在、ペルシア語や中東地域に関わる活動や仕事をしていますか?している場合、どのようなきっかけで始めましたか?

特に活動などはしていませんが、ペルシア語科ではアクティブラーニング(学期中に二回にわたって与えられる授業内課題)としてペルシア語の記事翻訳をしますね。翻訳したものは外大のHPや「日本語で見る世界のメディア」 というTwitterアカウントで発信されています。

http://www.el.tufs.ac.jp/tufsmedia/

 

ー語科の卒業生はどのような進路に進む方が多いですか。また、将来やってみたい仕事や夢はありますか。

みんなバラバラでペルシア語など、外大特有の知識を生かす仕事に就く方もいれば全く関係ない仕事に就く方もいるので、どのような進路が多いなどは特にないかとは思います。イラン関係の仕事でいうとJICAやマスコミ関係、また外務省に進む方も一定数いるようです。自分もイラン関係の仕事に就きたいと考えているので、その辺りの職業を目指しています。

 

【学びについて】

ー所属しているゼミと、入った理由、勉強している内容を教えてください。

自分は比較政治学ゼミに入っています。このゼミに入った理由は、ゼミの教授がイラン研究の第一人者であることに加え、地域研究よりもより広範な視座をもった勉強をしてみたいと思ったからです。比較政治学は政治学の中でも比較的社会学寄りであり、自分の性分に合っているように感じます。ゼミでは専ら社会で起きている一見不可思議な現象を社会学的な視座を用いることによって科学的に説明する練習などをしています。

 

ーゼミはどのような流れで進みますか?

ゼミでは先生が選んだ本を読み進めていました。英語で書かれたものなのですが、指定されたページの内容を毎週2人ほどが自分なりに噛み砕いて発表し、先生がそれに補足をしながら進めていました。学期末にはまとめとして、個別発表を行いました。

 

ーゼミには何人くらい所属していますか?

先輩も混じっていたのですが、同学年は6人ほどでした。東南アジアから中東地域専攻の学生が多いように感じます。

 

ーゼミで勉強しているテーマの面白さを教えてください。

やはりある社会の特徴を説明する際に「○○人は本質的にこうだからこのような結果になるんだよ。」というような言説をつかわず、科学的な理由を考察していくところが面白いです。 

 

ー卒論ではどのような内容を書く予定ですか?

まだはっきりとは定まっていませんが、イランのある社会的な出来事、例えばデモ等についてそれが起きたこと理由をきちんと科学的に考察していくような内容を書きたいと思っています。 

 

文責:そーにゃ

(インタビュー実施日:2月27日)

  

☆次回!ペルシア語科後編!

-鬱陶しいほどフレンドリー?イラン人について知れる留学のお話!
-近年のイラン情勢、さらにイランとロシアの関係も!

 

 

↓後編はこちら

tufs-russialove.hatenablog.com

 

東京外大生にインタビュー!第19弾【カンボジア語科編】〈後編〉

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カンボジア語科 Bさんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【留学について】

―留学や旅行に行ったことはありますか。

2018年9月から2019年7月までカンボジアの王立プノンペン大学へ派遣留学をしていました。

 

―2018年ということは2年生の時ですよね。

はい。1年の9月か10月に学内選考に応募し、2年の9月から留学しました。カンボジア語科では2年生からの留学が認められていて、私がカンボジア語科で2年次に留学した4番目の学生でした。1個上の代にも1人、2年の時に留学した人がいて、そこから2つある募集枠のうち1つは2年生っていう傾向が生まれてきています。

 

―ええ!外大では大抵の人が3年次に留学に行くので驚きです!2年生のうちに行こうと思ったきっかけはありますか。

その年だけなぜか募集枠が3枠だったんですね。来年は2枠に戻って行けないかもしれないし、自分のことだから、帰国してから休学して海外インターンとかをするんじゃないかと考えました。2年生で行けば、帰ってきた時は3年生、休学しても5年卒。今行っちゃうかって思いました。ちなみに、カンボジアの派遣留学は3年生でも2年生でも着いてから3か月は宿題を自力でやるのは難しいし、授業の内容もわからないって言われているんですね。もし3年生で行っていたら、やっと授業についていけるようになって少ししたら強制帰国(※コロナの関係で)になっていたと思います。

 

―なるほど。現地での大学生活はどのような感じでしたか。

普通の正科生として留学しました。クラスの内訳はカンボジア人50人、ベトナム人10人、日本人1人といった感じでした。大学では、言語学や音声学、アンコール・ワットの石碑研究というような専門的な授業をクメール語で受けていました。また、先輩から「留学ではなく修行だ」と言われていたのですが、本当でした。大学は朝7時から授業が始まるので、夜10時に寝て朝5時に起きて、交通渋滞に引っかかったり、バイクに衝突されそうになりながら片道8キロを自転車で通学していました。大学に着いてからは運が良ければ15分で先生が来ます。大体30分くらい待ちます。ひどいときは1時間半待って休講連絡がきました(笑)また、カンボジア大学の授業は1日1コマだけなんですね。2部制になっていて、朝に授業をする学部と夜に授業する学部があります。私は朝の学部だったので、朝6時45分に登校して、授業を受けて10時くらいに下校していました。時々、午後に英語の授業があることもありました。ちなみに、比較的裕福な学生はダブルスクールといって、午後別の大学でさらに授業を受けていました。

 

―日本と違いすぎて衝撃を受けました!体力も精神力も鍛えられそうですね!次に、特に印象に残った思い出を教えてください。

沢山ありすぎますね。まずは、授業開始を2時間待っても先生が来なかったことですね。しかし、は?と思ったのは私だけでした。みんなは「普通だよね~ラッキーラッキー」という感じで、これがカンボジアか!と思いました。そのくらいカンボジアの人たちはおおらかで優しいです。時間の流れがゆったりとしていて、先生が来るまでみんなは草っぱらにしゃがんでお喋りしていました。

 

次に、私が留学に来ることを誰も知らなかったことですね。外大のネイティブの先生を通して学務課には連絡が行っていましたが、クラスメートや先生には何も伝わっていませんでした。クラスに学級委員長みたいな人がいるので、外大に留学していたカンボジア人からその人の連絡先をもらって事前に会う約束をしていたのですが、ドタキャンされてしまい、結局会えずに授業初日を迎えてしまいました。教室に行った時にみんな「誰?誰?」ってなっていました。

 

まだあります。あるカンボジア人のクラスメートの存在です。数か月すると、やたら日本人が話すカンボジア語をちゃんとしたカンボジア語に通訳できる友人ができました。その友人中心に話を伝えてもらったり、宿題手伝ってもらったりしました。授業中はとりあえず先生の話を聞く、授業終わったら通訳してくれる友人のノートの写真を撮って、帰ってからひたすら書き写すというのがルーティンになっていました。

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授業風景

また、断水と停電も印象に残っています。カンボジアは4月が1番暑く、電力需要と水道の需要が増えて供給が追い付かなくなります。そのため計画停電が行われるのですが、計画通りにいかない停電が乱発します。実際に、気温40度の日に丸1日停電と断水が発生しました。今考えるとやばいですよね。隣の地区に住む留学仲間の先輩の家で水を貰うなどして助け合っていました。

 

あとは、外科手術を見ました。カンボジア語科を卒業し、カンボジアで日本の国際協力NGOで働いている方に現地の病院を見せてもらいました。ごさの上に寝ている人がいたり、個人的な感想になってしまいますが、日本と比較し衛生環境はあまりよくなかったと記憶しています。その時、「B君、カンボジアの医療水準知りたいなら外科手術見ていかない?」と言われたので立ち会うことにしました。ちなみに、エアシャワーとかはなく、私服にガウンのようなものを羽織りマスクというスタイルでした。さらには、カメラ持ち込みOK。生の外科手術を見てカンボジアの医療を直接感じることができました。

 

他には、自分の医療費が50万円かかったのも衝撃でした。授業終わって10時くらいにみんなで学食に行き、お腹を壊すというのが月1でありました。その度に日本人の開業医がやっている病院に行って、点滴と血液検査をしてもらうというのを10回くらい繰り返しました。帰国直前に今までの領収書を見返したら日本円で50万~60万円くらいいってて驚きました。保険でチャラになったので良かったです。みなさん、留学に行く際には必ず保険を。

 

あとは、トルコ料理レストランで一夜を明かしたのも鮮明に覚えています。2019年の年明けに新年会をしようという事で、留学仲間の先輩2人と南部にある綺麗な港町に行くことにしました。先輩が予約サイトで2泊3日3人で予約してくれて、バンに乗って夜9時くらいにその町に着きました。が、先方のミスで予約が1泊2日2人になっていました。ホテルに「そっちの責任だ」と言っても断られてしまい、泊まるところがなくなってしまいました。街中の泊まれる宿を探しましたが、全部閉まっていました。その後、たまたまトルコ人が経営しているトルコ料理屋を見つけ、オーナーに全ての事情を話して「泊めてくれないか」と頼み、レストランの薄くてかたい白いプラスチックのテーブルとイスを貸してもらうことにしました。お店の人は快諾してくれて先輩と3人で一夜を明かしました。翌日朝の7時に出て、新たに予約した宿に行き、シャワーを先に浴びさせてくれないかと頼んだところ、屋上にあるシャワーに案内してくれました。そのシャワールームが超開放的で衝撃を受けました。ちなみに出てくるのは水で、カンボジアと言えど凄く寒かったです。旅行っていうよりサバイバルでした。

 

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―確かに(笑)ドキドキハラハラアドベンチャーですね!ところで、カンボジアの印象が特に変わった点は何かありますか。

想像以上にあったかい国でした。非常に自由なので、日本人的な感覚だと「え?」ってことも沢山ありますが、戸惑っている自分にも家族のように接してくれます。彼らは思っていたよりも優しいです。留学を決めた理由の一つに、ネイティブの先生や日本に留学しているカンボジア人の学生がなぜあれほど優しいのか、彼らが育った環境を知りたいというのがあったので、それを実際に肌に感じられました。また、日本にはないくらい、友達を大事にしていて、幸せの価値観が充実していると思いました。助け合いとかも思った以上でした。どんなに遠い親戚でも、仏教行事とかだと一箇所にみんなが集まるのですが、そこに入れてもらえた時は自分も家族の一員なのかなと思い心温まりました。

 

―本当にカンボジアの人々は優しいんですね!素敵です。しかし、少し話を戻してしまいますが、こんなに優しい人達の一部が反ベトナム感情を抱いているというのは複雑ですね…

はい。実際の投稿内容が、「ベトナムが1979年にカンボジアに侵攻した、これは紛れもなく残虐な行為である」とシンガポールの首相が発言したという体のものでした。実際はしてないと思いますが。

 

この話の発端は、ポル・ポト政権にあるんです。この政権がなんで崩壊したかと言うと、ポル・ポト政権の幹部の一部が粛清を逃れてベトナムに逃げたんですね。ベトナム共産党やベトナム軍の支持や協力を得て、一気にカンボジアに入ってきて、1979年の1月7日にポル・ポト政権をタイ国境に追いやったっていう歴史があります。

 

そこから10年間は、ベトナム共産党の支持を受けて入ってきた人たちが人民革命党という党を作って、ベトナムの支援を得ながら国家づくりをしたんです。結局それが今政権を握っている人民党のルーツになっています。それで、このベトナムの侵略っていうのが複雑な問題で。というのも、ベトナムや現在政権を握る人民党、そして人民党の支持者は、人民革命党がカンボジアをポル・ポト政権による圧政から解放したと認識していると言われています。ただ、やはり主に人民党を批判する野党支持者の一部はこれをベトナムの侵略とみなしていると言われています。

 

Facebookの投稿に対して「シンガポールこういう発言をしてくれてありがとう」「ベトナムのカンボジア侵攻を侵略と認めてくれてありがとう」というようなコメントが結構ありました。それらに対し「ベトナムが救っていなかったらお前らはないんだぞ」というようなコメントもありました。ここには歴史認識の問題があるんですね。それが俗にいう1月7日問題と呼ばれる問題です。それが反ベトナム感情が共有されているから先鋭化しやすいのではないかと考えています。

 

ちなみに歴史と感情は別という意見もあります。留学当初カンボジア人の一部がベトナム人に対して嫌な感情を抱いていると知っていたので、友人になんでベトナム人学生を大学は受け入れているのか尋ねたら、その人も「歴史の問題と友情は別だ」と言っていました。

 

【地域について】

 その地域を勉強する最初の一冊となるようなおすすめの本はありますか?

明石書店の『カンボジアを知るための62章』ですね。

カンボジアを知るための62章【第2版】 (エリア・スタディーズ) | 上田 広美, 岡田 知子, 上田 広美, 岡田 知子 |本 | 通販 | Amazon

地域基礎の授業(専攻地域の文化や政治、経済、歴史などについて学ぶ授業)でこの本を全員読む必要がありました。まんべんなく色んなことが載っています。おすすめの章は、カンボジア語科の先生が書いている第62章「読むことが一番大切 カンボジア研究の始め方」です。この章には「地域のことを学びたいからすぐ現地に行くっていうのは違うよ。日本で手に入るカンボジア関連の書物も沢山あるから、まずはそれを読むことから始めよう。」というようなことが書いてある。外大生だと「とにかく現地に行っちゃえ」という傾向がありますが、日本にたくさん本があるからそれを見てみようという今までの常識を疑う姿勢が端的に書かれているので好きです。

 

―胸に刺さりますね。今はちょうどコロナで留学に行けていないのですが、日本で出来ることを精いっぱいやろうと思えました。次に、カンボジアの音楽や絵画、文学、映画、アニメなどで有名なものはありますか?

近代文学で日本語訳があるものだと『萎れた花』ですね。カンボジア国民だったら大体知っていると言われています。この作品は私の指導教官が翻訳しています。個人的にカンボジアの近代小説って恋愛ものが多い印象があり、話の内容こそ悲しいものの、これもその一例だと思います。カンボジアの近代小説には一概には言えないけど共通する要素があると考えていて、それを感じられるので良いと思います。

萎れた花・心の花輪 アジア現代文芸 CAMBODIA(カンボジア)3 | ヌー・ハーイ 著 岡田知子 訳 |本 | 通販 | Amazon

 

―読んでみたいです!また、カンボジアの著名人といえばどのような方がいますか?

もう亡くなられていますが、シン・シサモットという日本で言う美空ひばりみたいな誰もが知っている歌謡歌手がいます。ホームステイしていた家のホストマザーが彼の奥さんと実家がご近所で、近くに行ったことがあるのですが、観光地化されていてかなり有名だと感じました。

 

―なるほど!ところで寮ではなくホームステイをしていたのですか。

そうです。外大からの派遣留学は絶対ホームステイと決まっています。というのも、治安や設備的に寮だと何があるかわからないからです。私は指導教官の昔からのお友達の比較的裕福な家にホームステイしていました。一緒に留学していた先輩の1人は今年から来たネイティブの先生がカンボジアにいた時に住んでた家にホームステイをしていました。つまり、今のネイティブの先生が元同居人です(笑)また、私の時は3枠だったので、一軒新規開拓しなければならず、その結果新しいネイティブの先生と入れ替わりで帰ったネイティブの先生の親戚の新築の家が選ばれました。全員外大カンボジア語科の先生と親交がある家庭に住みます。本当に留学先で何したのかが全て筒抜けで、実際に小川でホストファミリーの子どもと遊んでいたら、ホストファミリーが指導教官にメッセンジャーでその写真を送り、先生が授業で後輩にその話をしていた、なんてことがあったそうです(笑)

 

―そうなんですか!ロシアへの派遣留学は基本的に寮なので羨ましいです!話を戻しますが、近年のカンボジアの政治・経済の状況を教えてください。

カンボジアは著しい経済発展を遂げています。海外の企業に対する税制が優遇されていたり、法規制が緩かったりするので、外資が凄く入ってきています。また、一帯一路の影響もあって中国の進出が強いです。南部にシハヌークビルという南部の風光明媚な港町があるのですが、そこはもう中国人の町と化していると言われ、中国資本のカジノやマンションが多く建てられています。実際にこの町に行った際、街中で見る看板のクメール語と中国語の割合が1対1くらいでした。一方で、中国資本で建設されていたビルが途中で倒壊してしまったという事故もあったりして、地元民の中では中国に反感を覚えている人もいると聞いたことがあります。このように、中国の進出が拡大していて、中国に対する懸念はたかまりつつあると思います。

 

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シハヌークビルでの写真①

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シハヌークビルでの写真②

 

【ロシア×カンボジア】

 カンボジアとロシアの関わりについて知っている情報はなにかありますか?

1980年代東側諸国と所縁があったことから、ロシア(ソ連も含む)に関連するものが随所に見られます。留学先の大学の前にある大通りの名前は「ロシア大通り」です。また、1980年代にカンボジア人が留学した場所の多くは東欧諸国です。またプノンペンの中心的な国立病院として「クメールーソビエト友好病院」があります。

 

―えええ!その通りに行ってみたいです…。また、カンボジアの人の対露感情はどのようなものか知っていたら教えてください。

すみませんが、わかりません。しかし、かつてソ連に留学していた先生方は、今でもロシア語を話せたりもするので決して無関心というわけでもないと思います。

 

―なるほど!探せばもっとロシアとカンボジアの繋がりを見つけられそうな気がしてきました!以上でインタビューは終了です。長々と質問にお付き合いいただきありがとうございました!最後に何か一言あればお願いいたします。 

カンボジア…良いところだよ…(笑)

 

カンボジアでのお話、あまりにも衝撃的なものが沢山でしたね!

顎が外れていないか確認を忘れないでくださいね☻

 

それではпока(パカー)!さようなら!

 

文責:芝元さや香

(インタビュー実施日:2021年2月23日)

 

東京外大生にインタビュー!第19弾【カンボジア語科編】〈前編〉

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カンボジア語科 Bさんへのインタビュー

 

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Здравствуйте (ズドラーストヴィチェ)!こんにちは!

国際社会学部ロシア専攻3年の芝元です!

 

他語科とコラボ企画ということで、今回私はカンボジア語科のBさんにお話を聞いてきました。

 

高校生の時にカンボジアへ旅行したことがあるのですが、その時に訪れたアンコール・ワットやアンコール・トムで見た壮大な景色は今でもハッキリと覚えています。今回、魅力たっぷりなカンボジアについて沢山知ることが出来たら良いなと思います😊

 

Bさんについて

2017年4月に東京外国語大学言語文化学部カンボジア専攻に入学。現在4年生。2年生の9月から約1年間カンボジアの王立プノンペン大学に留学。今年の4月から大学院に進学。

 

カンボジア語科について

カンボジア語科には、言語文化学部・国際社会学部合わせて1学年あたり10人ほどの学生が在籍しています。Bさんの代は全員で8人で、男女比は3:5だそうです。Bさんの入学年度で最も人数が少ない語科のひとつとのことです。

  

【学生生活について】

 本日はよろしくお願いします!まず初めに、なぜカンボジアを選んだのか教えてください

 高校生2年生の時に外大を目指すことを決めたのですが、その際に自分がよく知らない地域について学びたいと考えた結果、東南アジアが良いと思いました。東南アジアの言語の中で、せっかくならラテン文字を使っているものではなく文字が全く読めないものをやろうと思い、タイ・ラオス・ビルマ・カンボジアの4つに絞りました。でも、本当にこの4つの国について何も知らなくて。唯一知っていたのがアンコール・ワットだったんですよ。だからカンボジアに決めました。その後、調べてみたらポル・ポトの大虐殺があったにも関わらず、今非常に発展していて面白そうと思いました。

 

―そうだったんですね!カンボジア語科に実際に入ってみてどうでしたか。

 非常にアットホームで驚きました!1年から4年、院生まで垣根なくみんな知り合いといった感じです。指導教官の研究室の1つが開放されているのですが、そこに指導教官とネイティブの先生、留学生、学部生が学年を問わず集います。その研究室で先輩や後輩と留学情報や外語祭、就活について話したり、先輩に語学を教えてもらったり、留学生と宿題を教え合ったりしていました。独自のネットワークが教授の研究室を通じて作られていましたね。また、ネイティブの先生が時々ご飯やデザートを作って持って来てくれることもありました(笑)

 

-とても楽しそうで羨ましいです!仲の良さ以外にカンボジア語科に入って良かったことは何ですか。

まず、様々な視点からカンボジアを捉える視点を養えたことですかね。あと、何より学問の基礎を叩き込まれたことですかね。あまり知られていないのですが、カンボジア語科って意外に大変なんですね。入学後すぐの語科ミーティングでいきなりテキストのコピーを渡されて「1ページから40ページ全て初回の授業までに覚えて来てね」と言われました。しかも、音と文字の関係というカンボジア語を勉強する上でかなり重要なところを。それに、少し古いテキストで日本語も若干難しく、読んでもあまり理解できませんでした。しかし、文字すら習っておらず、何もわからない状態で迎えた初回の授業でなんと書き取りテストがあったんですね。その衝撃を今でも覚えています。

 

―ええええ!それは知りませんでした!授業はどのように進む(進んだ)のですか。

授業は予習してわからなかったことを質問するという形式でした。というのも、どこまで予習すればいいのか指定されず、いけるところまでいくという形式だったんです。そのため、次の授業はここまでいくだろうなと自分で考え、バーッと予習して、そして先生にたくさん質問することで予習のストックが切れないように調整していました。

 

―なるほど!なんだか授業のスピードがとても速そうですね。

はい。その結果、300ページ弱の教科書が6月の上旬で全部終わります。これはかなり大変で、夜中の3時まで予習しても終わらないこともありました。また、入学して割とすぐに指導教官や先輩に「サークルや教養外国語(※第2外国語のこと)は取り過ぎない方がいい」と言われた理由がよくわかりました。6月上旬に文法が終わってからは、がっつり民話読解に入っていきます。民話もひたすら分厚い紙辞書を引いて必死に訳していました。よくわからない文法があった時は先輩や留学生に教えてもらっていました。これらのようなことを通して、大学の学問とは自分で教科書を読んで徹底的に理解してわからないところを質問する、自分で極めていくものだと気づきました。ちなみに、このスパルタなカリキュラムには「せっかく頭が良いのだから、その才能をどんどん生かさないと」という指導教官の考えがあるみたいです。

 

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―す、すごい!ちなみに民話というのは昔のものですか。

そうです。ちなみに、カンボジアは仏教説話が沢山あるのですが、先生がそれらを編集して束でくれます。1年の時は説話をノートに書き写して、わからない単語を辞書で調べて、授業に臨んでいました。日本人からしたら「それどういうオチ!?」という話が多く、訳すのに苦戦しました。みんな自分なりに物語の展開を想像して授業で答え合わせという感じでしたね。とんでもない物語を作り出したこともありますし、ありえないと思った訳が正解だったこともあります。それを1年の間は繰り返しました。

 

―力が凄くつきそうですね!

はい。それと、もう一個話したいことがあります。1年の秋学期の文法の授業で、先生がみんなにわからなかった箇所をヒアリングして、それが使われている例文集を作って配布してくれました。それをもとに、それがどういう文法かディスカッションし自分たちなりの答えを出しました。結局、先生はその答えを教えてくれないまま、私達はテストを迎えたのですが、気づいたら単位が来ていました。研究とはこういうことなのかなと感じました。

 

―本当にカンボジア語科リスペクトです!ちなみに、カンボジア関連で最も面白かった授業は何ですか。また、語科と関係なく、外大の授業で面白かったものを教えてください!

カンボジア関連だと、正直ありすぎて選べませんが、強いて言えば1年の地域言語Ⅰ(※1年次の専攻言語の授業のこと)です。カンボジア以外だと、今年度(2020年度)の春学期に受講したユーラシア地域研究(政治学)の授業です。東大の教授が教えてくださいました。この講義では社会主義国の政治体制がどのように変化していったのか、準大統領制、半大統領制をとっている国々を事例にあげて徹底的に解説してくださいました。ここまで1つの事象について必死に予習復習したのは、1年の春学期以降なかったので、学問に向かう姿勢をガツンと叩き込まれました。

 

―おお!実はその授業、聴講していました!共通点があってビックリです!ところで今現在、カンボジアに関わる活動や仕事をしていますか?している場合、どのようなきっかけで始めましたか?

カンボジアで教育事業を展開する教育コンサルでお世話になっています。一緒に派遣留学に行った先輩が日本語教育に関心がある人で、最初はその人がやる予定だったのですが、彼女がカンボジアで就職が決まったので自分に回ってきたのがきっかけです。

 

―そうなんですね!興味深いです。次に、語科の卒業生はどのような進路に進む方が多いか教えてください。

進路は様々で、外務省、東南アジアに進出している企業、NGOの現地スタッフや現地企業で活躍している人も多いです。私のように院進(※大学院に進学すること)する人は、カンボジア語科では少なく、5年に1人いるかいないかという感じです。

 

【学びについて】

―所属しているゼミと、入った理由、勉強している内容を教えてください。

カンボジアの文化研究ゼミに所属しています。このゼミに入った理由はカンボジアのことを徹底的に研究したかったからです。また、派遣留学での経験やそこで感じたことを卒論にしたいと思ったのも語科ゼミ(※同語科の学生が多く集まる、地域研究に特化したゼミ)に入った理由の一つです。ちなみに卒論は、カンボジア人が広く共有しているといわれている反ベトナム感情の表出について研究しました。現代社会でも度々表出するこの事象のルーツは、フランス植民地期に求められます。そのため、植民地支配がカンボジア人の内面性に与えた影響という視点で考えると、興味深いのでは…?と思いました。

 

―反ベトナム感情というのは今も続いているのですか。

はい。ベトナム人に対する不当な料金徴収や差別的発言は一部地域では今でもあると言われています。また、派遣留学中にカンボジア人のベトナムに対する反感が表出した場面に実際に遭遇しました。私が留学していた王立プノンペン大学は一定数のベトナム人学生を受け入れています。カンボジアの大学は高校みたいにクラスが決まっているのですが、カンボジア人とベトナム人が同じクラスで共に学んでいます。ある日、ベトナムとカンボジアの歴史認識に関するFacebookの投稿が、カンボジア人の生徒の間で広まったんですね。もちろん、ベトナム人のクラスメートもそれを目にしてしまいました。その投稿のコメントでは双方を批判し合い、時に差別的言説も展開されていました。一時的にクラスのカンボジア人とベトナム人の仲が悪くなりました。この時に、これはどういう経緯があるのか、フランス植民地期に醸成された歴史観に由来する反ベトナム感情が、いかに拡散されて表出してきたのか等について研究したいと思いました。

 

―そうだったのですね。勝手な想像ですが、当時のフランスの待遇の差が原因で反ベトナム感情が生まれたのかと思っていました。

植民地支配したときにフランス政府はベトナム・ラオス・カンボジアをインドシナとして支配したんですね。その時にベトナム人官僚を多く採用し、その人達がカンボジアにもたくさん赴任していたと言われているのでそういう面もあると思います。また、その根源にあるあと言われているのが、フランス政府が作り出したと言われている歴史観です。植民地支配をするとなるとその行為を正当化する必要があります。カンボジアの歴史を見た時に、アンコール・ワットがありますよね。アンコール王朝は栄華を極めた後、アンコールを放棄してしまいます。その後、ベトナムとタイが一気にカンボジアに攻め込んできたり、王朝内の内紛が発生したりして一気にカンボジアの影響力が衰退した時代がありました。カンボジアの衰退の時代を助けるためのフランス植民地支配っていう歴史観を創出することでフランスは植民地支配、正式には保護国支配を正当化しようとしたのです。その歴史館により、ベトナム人はカンボジアの安定を乱す他者として措定され、カンボジア人に反ベトナム感情が共有されていったと言われています。

 

☆次回!カンボジア語科後編!

-インタビュー企画史上最高の濃さ!カンボジア留学について!

-カンボジアとロシアの関わりは?現在の経済・社会にも迫ります!

 

文責:芝元さや香

(インタビュー実施日:2021年2月23日)

 

↓後編はこちら 

tufs-russialove.hatenablog.com

 

東京外大生にインタビュー!第18弾【ラオス語科編】〈後編〉

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ラオス語科 ラオ科の元店長さんへのインタビュー

 

↓前編はこちらよりどうぞ

tufs-russialove.hatenablog.com

 

【ラオスの文化】

―留学や旅行でラオスに行ったことはありますか?

はい、1年生の冬休みに2週間、語科のみんなでショートビジットで行きました。ラオス国立大学というところに全員で行って授業を受けたんですけど、一緒に行った11人で1つの教室が与えられて、そこにラオス人の先生が来て授業やってくれる感じでした。授業もすごく多いわけじゃなかったので、ネイティブの先生が観光地とかに連れて行ってくれました。修学旅行みたいな感じでしたね。

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ラオス国立大学にて

―特に印象に残った思い出や場所はありますか?また、行ってみて印象が変わった点はありますか?

想像通りの発展途上国でした。首都は発展しているので首都にいれば不備はないって感じです。あと、車が歩行者のために止まってくれないので、走る車の間を渡る技術が身に付きます(笑)

発展度がどのくらいって難しいですけど、タイとかマレーシアみたいに超高層ビルが立ち並んでるみたいな感じではなく、規模感でいえば日本のそんなに大きくない都市ぐらいかなって感じです。

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朝の市場での様子

―物価はどのくらいなんでしょうか?

首都だと少し高めなんですけど、めっちゃ安いです。詳しくは覚えていないんですが。外食で一食150円あれば食べられます 。ビールが一缶40円くらい。屋台は多いんですけど生野菜とか屋台で売られているものを食べるとあたるので、300円~500円くらい出してかなり良いものを食べていました。

 

観光地で有名なのは、パトゥーサイとタートルアンです。パトゥーサイっていうのがフランス風の凱旋門で、タートルアンは金ぴかの寺院です。どちらも教科書によく出てきたので、これが本物!という感じでした。パトゥーサイや有名なお寺などの入場料が、ラオス人価格と外国人で値段が違ってて、(外国人価格のほうが高い)それが新鮮でした。ほかにも、商業施設に連れてってもらったり、市場に行ったり、メコン川沿いを散歩したりしました。

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パトゥーサイ

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タートルアン 手を合わせているのはラオスの挨拶なんだとか。

 

―ラオスの料理はどんな感じですか?

料理は辛いです(笑)。東南アジアの中では味付け が薄い方らしいのですが私は濃いなって思いました。

 

―パクチーが使われてたり?

パクチーも使われています。これは私の感覚なんですけど、日本でいうパクチーを使った料理って、大量に使うじゃないですか。私もあれは食べられないんですけど、タイとかベトナムとかラオスの人とかってそんなにどっさり入れないんです。日本でいう玉ねぎとかにんじんとかと同じ感覚なので。だから、食べられますね。入学してすぐ日本のラオス料理屋さんに行ったときはパクチーにちょっと抵抗があったんですけど、そんな大した量が入ってるわけじゃないから、今は普通に食べれます。

 

―日本で思い浮かべるパクチー料理とは違いますね。現地の適量入ったもの食べたら好きになるかもしれないのにちょっともったいないです

外語祭でラープっていうラオスの肉料理を出すとき、基本パクチー入りを出すんですけど、パクチー嫌いな人のためにパクチー抜きも作ってるんです。だけど、パクチー抜きを頼まれると、皆、入ったのも食べてほしいな~ってなります(笑)。香辛料というかスパイスなんで、無いと、ラープの味とは違うというか。

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ラープとラオスのビール”ビオラオ”

 

―へえ!私も本場で食べてみたいです。先ほども話に出てきて気になったのですが、ラオスはフランスに統治されていた過去があるんですよね。現在どのくらいその影響はあるのでしょうか?(ラオスはカンボジア、ベトナムとともにフランス領インドシナ三国として支配されていた)

フランス統治の影響は、凱旋門のようになくはないんですけど、そこまでは見られないです。逆にフランスの影響が少ないから、全然発展してないんですよ。フランスがインドシナ三国を支配してた時に、優先順位が、ベトナム、カンボジア、ラオスだったんですね。なので教育機関を整備したり、官僚制度を作ったり、フランス語教育したりとかする前に支配が終わって、ラオスは何もされてないというか。だからあんまり発展してないのかなって思います。

 

―それは調べても出てこなかったので面白いです。

あ、でもフランスパンをめっちゃ食べるところはフランスの影響らしいです(笑)。フランスパンにラオス風に味付けした肉とかを挟んで食べるカオチーっていうものがあるんですけど、それとかも一つ70円くらいで買えてめっちゃおいしいです。

 

―どういう宗教を信仰しているんですか?

宗教は、上座部仏教で、今も、托鉢と喜捨は朝やっています。朝4時とかに起きて、炊いたお米を歩くお坊さんに喜捨するみたいなことをやっているそうです。あと毎月のように仏教行事があるんですけど、それは日本の行事よりも少し多いくらいの感覚です。雨季に関するお祭りなど年に何回か大事な行事があって、そのときはかなり盛大に祝います。4月の13,14,15が仏教の新年で、そのとき雨季に入るお祭りをします。多分東南アジアのこの辺の国は一緒だと思うんですけど、お坊さんが用意した仏像を拝みに行った後、皆で水を掛け合うんです。水で去年の汚れを洗い流すという意味があるみたいです。

 

―現地の人々の様子を教えてください

治安は思っていたよりはよくて、普通に過ごしていれば何も起きないです。悪い人はいなくて、皆穏やかで優しい印象です。話す時に声調を間違えると通じないことが多かったです。

あとラオス人やその周辺地域の人はビールが大好きなイメージがあります。ビールがめっちゃ安いので、すごい量飲みます。騒ぐのが好きなのか、結婚式とかも、村の皆を呼んで盛大にやるみたいです。

面白いなと思った文化は、人を呼ぶときに、~さんって言う代わりに~お姉さんとか~おばさんとか言うことです。姉じゃないのに、○○お姉さんって呼ぶみたいな。もっと上になるとおばさんになる。逆に、上が下を呼ぶときに親子くらい離れてると、子どもっていう単語を名前に付けるんですよ。さんとかちゃんの代わりに。一応さんとかに当たる単語はあるんですけど、ほんとに会ったことない人とか有名人とかに使われてるイメージがあります。

 

―それは面白いですね。

あとラオス人はコーヒー飲むときブラックコーヒーとか、ミルクコーヒーを飲まなくて、代わりにコップの底から二センチくらい練乳を入れて、そこにコーヒーを淹れて、混ぜて飲むんです。めちゃくちゃ甘いんですよ。これはちょっとラオス独自かもしれません。

 

―その地域を勉強する最初の一冊となるようなお勧めの本はありますか?

『ラオスを知るための60章』ですかね。ほかのシリーズと比べ口語的で旅行記みたいなので読みやすいです。

 

―東南アジア地域関連で面白い授業を教えてください

M先生の「現代東南アジア経済論」です。タイ経済の先生なのでラオスではなくタイとタイを中心とした東南アジア全体の話なんですが、私が経済に疎かったため、アジアの通貨危機やリーマンショック時の影響、現在のコロナで変わったことなどが学べました。

 

―ラオスの授業というより、東南アジアの授業が多いんですか?

東南アジアって、東南アジア第一と第二を合わせて、やっと大語科くらいなんですよ。なのでラオスに限定した授業はそんなにないです。ラオス語科の人しかとらないので。タイ語科の人数が一番多いからタイの授業が多いですね。ラオス史とかミャンマーの政治とかの授業もありますが、かかわりが深い語科の人も受けに来てます。

 

―その地域の音楽や絵画、文学、映画、アニメで有名なものはありますか?

とんちを利かせ、上の人をぎゃふんと言わせる少年シエンミエンが有名です。日本の一休さんのような存在です。貧乏人のカムパーくんが成り上がって王になる物語も多く、これは旺盛時代王への不満からこのような話が作られたそうです。

現在の作品であまりラオス制作の何か、というのは思いつかないです。あるにはあるみたいですけど、面白くないからみんなタイの番組を見ているみたいです。

 

―近年のラオスの政治・経済の状況を教えてください

政治は社会主義の一党独裁だけど、経済はほぼ完全に資本主義。独裁だからと言って国民が何かを奪われていたり、何かを恐れていたりするわけではないです。

 

―社会主義と言えば昔ロシアも社会主義だったんですが、かかわりはあったんですかね?

冷戦時代多分支援してくれてたんですよ、社会主義だから。技術支援とか。でも結局中国となんやかんやあって、ロシア人が去って代わりに中国の支援が入った…みたいなことを聞いたことがある気がします。

 

―ではラオスの人々の対露感情はどういったものでしょうか?

今は無関心に近いと思います。無ということはないのでしょうが、現在支援してくれているタイや中国・韓国・ベトナムなどと比べれば関心は低いですね。

 

―今もう社会主義という感じはほとんどないんですか?経済も資本主義ですし。

社会主義っていうのは私はあんまり感じなかったかな。他の社会主義国に行ったことないからわからないですけど。でも経済は完全に資本主義の摂理にのっとってます。とはいえ首都とか大都市以外の田舎では自給自足らしいです。焼き畑とか稲作をやって物々交換みたいな。現金収入がなくても生きていける環境だからGDPが低いんですよ。最近は現金を求める傾向も強くなってきて、プランテーション作物とかもあるんですけど、ラオスは内陸国で河口とかの平らなところがあんまりなくて、切り開くのが難しいみたいです

―長々とお付き合いいただきありがとうございました。言語を学ぶ上での苦労やラオスを含む東南アジアの文化などを垣間見ることができて、とても楽しかったです。 

 

文責:もも

(インタビュー実施日:2021年2月8日)